香椎 か て ぃ。 エーワン香椎店II

エーワン香椎店II

香椎 か て ぃ

竣工直後の香椎 1941年7月15日 基本情報 建造所 運用者 艦種 級名 建造費 成立予算:7,200,000円 母港 佐世保 艦歴 計画 度 、 起工 進水 竣工 最期 戦没 除籍 要目(特記無きは計画) 5,830 または5,890英トン 公表値 5,800英トン 6,300 6,720トン 133. 50 水線長 130. 00m または 129. 77m 公試状態 垂線間長 123. 50m 最大幅 16. 700m 水線幅 15. 95m 深さ 10. 5m 5. 750m 公試状態 空気余熱器付 3基 主機 2基 2基 連結 推進 2軸 x 280 直径2. 800m、ピッチ2. 580m 出力 8,000 うちタービン 4,400馬力、ディーゼル 3,600馬力 速力 18. の3番艦である。 その艦名は、のに由来している。 概要 [ ] 度()のによる仮称「第101号艦」としてで建造され 、(昭和16年)に竣工した。 練習艦として建造されたが、竣工時には既に国際情勢は悪化しており、長距離練習航海には使用されなかった。 香椎は同年に新編された (司令長官中将)に編入され 、同艦隊 としてへ進出する。 10月中旬、南遣艦隊長官は平田中将から中将に交代した。 太平洋戦争に備えて馬来部隊(指揮官南遣艦隊司令長官)は一挙に増強され、小沢長官は重巡洋艦からを指揮した。 同年の開戦後は(、)に参加する。 マレー上陸作戦の輸送船団の護衛やシンゴラ上陸作戦・チュンポン上陸作戦の支援に従事した。 (昭和17年)4月上旬、馬来部隊に編入されていた各艦・各部隊は内地へ帰投し 、香椎は第一南遣艦隊 南遣艦隊から改称 の旗艦に再び復帰する。 その後はに常泊し 、海防艦 等とともに、同地を拠点に輸送任務や警備任務に従事した。 内地帰投後の 昭和18年 12月31日、香椎は呉練習戦隊に編入された。 まもなく1944年(昭和19年)3月25日に部隊に編入され 、対潜掃討艦へ改装された。 香椎はやと共に、門司・シンガポール間の船団護衛に従事した()。 (昭和19年)11月15日、旗艦となる。 12月10日、第一海上護衛隊や護衛船団司令部は第一護衛艦隊に改編された。 (昭和20年)1月12日、香椎はを護衛中ににともなう米機動部隊艦上機の空襲を受け 、カムラン湾沖合で沈没した。 艦型の変遷 [ ] 竣工時 [ ] 竣工時の艦型はを参照のこと。 香椎は艤装中に臨戦態勢となり、もはや練習艦隊を編制する見込みが無くなったため、竣工時には香取・鹿島は4門装備していた5cm礼砲のうち、2門は撤去し残り2門は天測甲板に設置としており、開いた場所には25mm連装機銃2基を増備した。 舷外電路も竣工時から装備されている。 方位測定用の空中線 アンテナ の位置も前部マストと煙突の間に移動済みだった。 大戦中 [ ] 開戦から1943年までで判明している主な変更は以下の通り。 1942年2月21日、爆雷兵装新設の訓令が出されている。 後甲板に爆雷投下台4基を戦時中のみの仮装備としている。 1943年4月の写真では前後のトップマストを短縮、羅針艦橋に防弾板の装備が確認される。 前部マスト上に対潜見張所も設けられた。 トップマストの短縮は1942年末から敵潜水艦の活動が活発になり、当時の艦長の強い進言で1943年1月頃にシンガポールで工事を実施したと言われる。 1943年時点での搭載機はで、尾翼には「U1-1」の文字が確認出来る。 また「U-1」の文字が確認される機もあるという。 その後はも搭載したという。 香椎は1942年9月から10月にかけて陸軍部隊をからに輸送した時 沖輸送の一環 に、鋼材をフレームに帆布で覆った擬装煙突を射出機支柱の前方に設置 、2本煙突の重巡に見えるような擬装を行った。 対潜掃討艦 [ ] 香椎は1944年3月25日には海上護衛総司令部部隊に編入され 、3月26日 から4月29日 にで対潜掃討艦への改装が行われた。 主な改造は以下の通り。 艦尾の司令部居住区を改造し爆雷300個 を搭載、艦尾上甲板に片舷式爆雷投射機8基と爆雷投下軌道2条を装備した。 煙突両側の魚雷発射管を撤去し、その跡に12. 7cm連装高角砲を左右舷に各1基増備、後部の1基と合わせて合計3基になる。 カタパルトと後部マスト間の上甲板上両舷、後部マスト両舷の上構上に25mm3連装機銃計4基が増備された。 を前部マストに装備。 そのためマスト形状が変更された。 艦内の防御区画を強化、爆雷庫はコンクリートで防御された。 その他に最下段の舷窓の閉鎖などが行われ、水測兵器が充実された。 搭載艇は12m内火艇2隻、12m内火ランチ1隻、9mカッター2隻の計5隻となっている。 なお公式図による爆雷庫に搭載可能な爆雷の数は329個となっている。 あ号作戦 1944年6月 以降は単装機銃を増備した。 「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」によると同年7月時点の兵装は以下とされる。 50口径14cm連装砲 2基4門• 40口径12. 7cm連装高角砲 3基6門• 25mm3連装機銃4基、同連装4基、同単装10挺• 13mm単装機銃8挺• 片舷爆雷投射機 装填台共 8基、爆雷投下軌道2条• 22号電探1基、逆探• 探照灯2基• 1基 艦歴 [ ] 建造経緯 [ ] 日本海軍は老朽化した練習巡洋艦(、など)の代艦として新世代の練習巡洋艦を4隻配備することになり、いずれも で建造することになった。 (昭和14年)9月25日、横浜船渠で香取型練習巡洋艦2番艦が進水する。 同年10月4日、香椎も同造船所で起工。 (昭和15年)8月30日、練習巡洋艦香椎、14番艦、陽炎型15番艦等に艦名が与えられる。 同年、香椎は進水した。 の名代として、進水命名式には元帥が臨席した。 (昭和16年)、日本海軍は大佐を香椎艤装員長に任命する。 翌日、三菱横浜船渠の香椎艤装員事務所は事務を開始する。 、竣工した。 同日附で香椎艤装員事務所も撤去された。 艤装員長大佐も制式に香椎艦長(初代)となった。 籍となる。 南遣艦隊 [ ] 詳細は「」を参照 (昭和16年)に竣工した香椎は、横浜から横須賀へ移動した。 続いて佐世保へ回航される。 に南遣艦隊が新編され (司令長官中将) 、香椎はその旗艦となった。 香椎以外の戦力は、海防艦、特設砲艦1隻、掃海艇2隻、警備部隊と設営隊のみであった。 午前7時、香椎はサンジャック沖合に到着した。 当時の日本海軍はにともない 、第二遣支艦隊(旗艦、指揮官第二遣支艦隊司令長官)を基幹戦力として「ふ号作戦」を実施しており 、8月上旬までに南部仏印進駐を完了していた。 同日12時30分、新見中将(ふ号作戦部隊指揮官)は平田長官に事務の引継を完了する(ふ号作戦部隊は解散)。 以後、方面の作戦は南遣艦隊の担当となった。 10月15日、香椎艦長は岩淵大佐から大佐 に交代した。 10月18日附で、南遣艦隊司令長官は平田中将から中将に交代した。 10月21日、直轄だった南遣艦隊はに編入され。 10月24日、小沢中将はに停泊する香椎に到着した。 南方部隊指揮官中将(第二艦隊司令長官:旗艦)は「小沢中将は『香椎』か陸上基地 サイゴン で指揮すれば良い」という立場だったが、小沢中将は指揮旗艦として重巡洋艦の派遣を要請した。 そこで山本長官は4隻の第四戦隊(愛宕、高雄、鳥海、摩耶)から重巡を引き抜き馬来部隊に編入する。 11月27日、馬来部隊指揮官南遣艦隊司令長官は、旗艦を香椎から鳥海に変更した。 マレー半島攻略を目指す(司令官陸軍中将)の輸送船団と馬来部隊は、に集結した。 詳細は「」を参照 太平洋戦争緒戦では「香椎」と海防艦「」で馬来部隊(指揮官海軍中将)の第二護衛隊を編成し、上陸に参加した。 第二護衛隊はタイ南部のナコンなどに上陸する宇野支隊を乗せた船団を護衛して12月5日にサンジャックを出発。 一方、、へ向かう船団も12月4日に三亞より出撃しており、両船団はいったん合流した後分離しそれぞれの目的地へと向かった。 「香椎」はチュンポンとバンドンへ向かう「山浦丸」、「伏見丸」、「良洋丸」を護衛した。 チュンポンへ向かう2隻と分かれた後、「香椎」と「山浦丸」は12月8日2時30分頃にバンドン川河口の北約23海里に入泊し、上陸部隊はバンドンの飛行場を占領した。 続いて「香椎」は第三水雷戦隊の一部などと共に第一護衛隊を編成し 、第二次マレー上陸に参加した。 上陸部隊および「香椎」などは12月13日にを出発し、12月15日にシンゴラ・パタニ方面とシンゴラ方面へ向かうものに分かれた。 「香椎」は軽巡洋艦「」などとともにシンゴラ・パタニ方面行きであった。 12月16日に輸送船は目的地に着き、揚陸が開始された。 「香椎」は泊地警戒に従事し、12月19日にシンゴラを離れた。 12月末からは第二護衛隊の一隻として第25軍と第15軍の一部を馬公からシンゴラおよびバンコクへ運ぶ船団の護衛に従事した。 第二護衛隊は「香椎」、軽巡洋艦「」、駆逐艦14隻および海防艦1隻からなっていた。 「香椎」は「占守」は駆逐艦2隻(、)と共にタンカー「」を護衛して12月24日にカムラン湾を発ち馬公へ向かった。 その途中の12月27日、給炭艦「」は香港南方海面でアメリカ潜水艦から雷撃され、損傷を受けた。 3隻(香椎、磯波、綾波)が野島救援に派遣され、「香椎」は「野島」を香港まで護衛し、それから馬公へ向かった。 12月31日、船団は馬公より出発した。 1942年(昭和17年)1月3日、船団中の「明光丸」(明治海運、4,383トン)が爆発事故を起こして沈没した。 「明光丸」には落下傘部隊である第一挺進団第一連隊約1500名が乗っていたが「香椎」などが救助活動を行い、船員も含めて全員が救助された。 1月7日に船団は分離され、「香椎」と「占守」および駆逐艦2隻はバンコクへ向かう船団を護衛した。 1月9日に船団はバンコクに到着した。 上記作戦中の(昭和17年)1月3日、南遣艦隊はと改名されている。 2月、連合国軍艦隊はいまだ巡洋艦数隻を保持していた。 馬来部隊指揮官第一南遣艦隊司令長官は、第二護衛隊に属していた軽巡由良を、鳥海以下の主隊に編入、それまでアナンバス基地部隊だった香椎を第二護衛隊に編入する。 2月11日、第二護衛隊(香椎、占守、第20駆逐隊〈、〉)は攻略を目指す輸送船14隻と共にのを出撃した。 2月下旬〜3月上旬、日本軍輸送船団撃滅を企図するはと、および南雲機動部隊の掃蕩作戦によって東南アジア方面から一掃され 、日本軍輸送船団の脅威は取り除かれた。 馬来部隊は2月27日にのセレター軍港に入港し、続いて攻略作戦を開始した。 「香椎」は3月8日からの北部スマトラ攻略作戦、3月19日からのビルマへ陸軍部隊を運ぶ輸送船の護衛作戦に参加した。 北部スマトラ攻略作戦からの帰路、3月13日に「香椎」は小型商船を発見、これを捕らえ掃海艇をつけてペナンへ送った。 昭和17年4月以降の行動 [ ] 4月12日 、第一南遣艦隊旗艦は鳥海から香椎に変更された。 馬来部隊に派遣されていた各艦艇(鳥海、由良、第三水雷戦隊、第七戦隊、龍驤)は、に参加するため 、それぞれ内地へ帰投した。 その後、香椎は第一南遣艦隊旗艦として海防艦 、第5駆逐隊(、、)、掃海艇や根拠地隊と共に南西方面の警戒・哨戒に従事する。 6月25日、香椎艦長は大佐に交代した。 7月14日、第一南遣艦隊司令長官は小沢中将から中将に交代した (大川内の着任は7月24日)。 7月下旬、日本海軍は・方面通商破壊作戦 「 B作戦」を実施する。 第十六戦隊(司令官少将:、、〔8月1日より〕) 、 第七戦隊(司令官少将:、)、 第2駆逐隊(、、、)、 第15駆逐隊(、、)、 第三水雷戦隊(司令官少将:、第11駆逐隊〈、、、〉、第19駆逐隊〈、、〉、第20駆逐隊〈、、〉) 等が第一南遣艦隊(旗艦香椎)の指揮下に入った。 香椎を含めた各艦は西岸()に集結する。 だがB作戦を発動しないうちにアメリカ軍はとへ上陸作戦を敢行する ()。 が始まったことにより8月8日附でB作戦は中止され、部隊は解散した。 第七戦隊や第三水雷戦隊はトラック泊地やガダルカナル島方面へ急行する。 香椎はに戻ると、僚艦と共に、南西方面の警戒・哨戒任務に従事した。 9月下旬、日本軍は瀬戸内海及び南西方面からラバウル方面へ、日本陸軍部隊 を緊急輸送することになった。 この輸送作戦を「 沖輸送」と称する。 各部隊 はそれぞれ護衛部隊や艦艇を派遣し、香椎も沖輸送に参加した。 香港~パラオ間は第二遣支艦隊司令長官が、パラオ~ラバウル間は外南洋部隊指揮官(司令長官)が指揮をおこなった。 9月26日、第一護送隊(巡洋艦〈香椎、〉、水雷艇〈〉)は輸送船2隻を護衛して香港を出発する。 10月4日、パラオに到着した。 香椎と輸送船1隻は分離してラバウルへ先行 、10月8日に到着した。 南部を経由して 、10月19日にシンガポールへ戻った。 以後、シンガポールを中心に行動する。 詳細は「」を参照 1943年(昭和18年)1月7日、香椎艦長は重永大佐から大佐 に交代した。 4月1日、日本海軍は昭和十八年度帝国海軍戦時編制を実施、4月15日に南西方面艦隊司令部と第二南遣艦隊司令部が分離するなどの変化があった。 第一南遣艦隊は軍隊区分に於いて西方部隊となり、香椎と占守などの小艦艇、南西方面の各根拠地隊で構成されていた。 5月、を装備したが方面に進出することになり、第一南遣艦隊は同方面の調査を実施した。 なお・の防衛を担っていたのは日本海軍だった。 連合軍の反攻の気配があったため、陸海軍は協力してニコバル諸島の防衛強化を進める。 香椎以下の馬来部隊も、同方面の調査や航空基地建設 、陸上兵力の輸送に協力した。 7月下旬、香椎と掃海艇7号は、シンガポールからへ向かう呉第八特別陸戦隊を乗せた特設運送艦屏東丸を護衛する。 8月中旬、第十六戦隊()の協力を得て、第一南遣艦隊(香椎、占守、屏東丸)等はスマトラ島北東部からポートブレアへの輸送作戦に従事する。 8月22日、ポートブレア着と共に香椎はシンガポールへ戻るが、屏東丸は翌日ポートブレアで空襲を受け撃沈された。 8月下旬、香椎および第一南遣艦隊はシンガポールから(インドネシア)へ第三三一航空隊(空母、駆逐艦輸送物件)の整備員を輸送する。 8月29日、香椎はサバン入港直前にイギリスの潜水艦 HMS Trident, N52 の魚雷攻撃を受けたが 、命中しなかった。 9月になると、南西方面(ニコバル諸島、アンダマン諸島、ビルマ方面)で連合軍の反撃の兆候が見られるようになり、日本軍は各地の防衛を強化していった。 香椎はシンガポールからスマトラ島やニコバル諸島への輸送作戦を実施する。 10月上旬、イギリス東洋艦隊がを出撃したとの情報が入り、南西方面艦隊は11日にC作戦用意(ジャワ、西部スマトラ方面)・D作戦用意(ベンガル湾方面)を発令したが、15日に警戒態勢を解除した。 12月下旬、香椎が待機するシンガポールに、第一南遣艦隊の指揮下に入った敷設艦(12月22日着)と重巡(12月24日着)が到着した。 12月26日、香椎はシンガポールを出発、台湾高雄市を経由し佐世保へ向かった。 航海中の12月31日、香椎は第一南遣艦隊から除かれた。 呉練習戦隊 [ ] (昭和18年)12月1日、日本海軍は呉練習戦隊(、、)を編制する。 呉練習戦隊司令官は少将(海軍兵学校副校長兼務)。 香椎は第一南遣艦隊から除かれると共に12月31日附で予備艦となり、練習兼警備艦に指定され 、呉練習戦隊に編入された。 (昭和19年)1月6日、佐世保に到着する。 以降、佐世保で修理と整備を実施した。 1月下旬、香椎は佐世保に繋留中だった軽巡洋艦 の曳航を下令される。 2月3日、香椎は平海を曳航して佐世保を出発する。 翌日呉到着、平海を引き渡した。 2月中旬以降、呉練習戦隊(鹿島、香椎、磐手、八雲)は瀬戸内海において、練習艦として行動した。 同時期、装甲巡洋艦も呉練習戦隊に編入された。 3月5日、香椎艦長は高田大佐から、松村翠大佐へ交代した。 この頃、内海西部にあって練習艦としての任務に従事した。 3月22日、海軍兵学校卒業式に(軍令部大佐、昭和天皇弟宮)が臨席することになり 、高松宮は鹿島を御召艦とする。 香椎は御召艦予備艦として、共に江田内に在泊した。 この日は江田内に呉練習戦隊の5隻(鹿島、香椎、磐手、八雲、出雲)がそろっていた。 同日、鹿島と香椎は江田内を出港 、兵学校を卒業した少尉候補生を大阪まで輸送した。 23日大阪着、25日呉に到着した。 同日(3月25日)、香椎は呉練習戦隊より除かれ 、海上護衛総司令部部隊に編入された 海上護衛任務 [ ] (昭和19年)2月15日、トラック泊地にあって旗艦だった練習巡洋艦は 、海上護衛総司令部部隊に編入された。 輸送船団と共に内地帰投が決まるが 、ので沈没した。 3月25日、香椎は部隊に編入された(前述)。 翌日から呉海軍工廠で改造工事に従事する。 魚雷発射管を撤去するかわりに12. 7cm高角砲を増設、艦尾の司令長官室を爆雷庫に改造し機雷300個 を搭載、不沈対策を実施するなどの改造を施された。 カタパルトと水上偵察機はそのまま残された。 海上護衛任務の主力を担う海防艦について「護衛船団旗艦とするならを、已むをえない場合は通信能力と居住性を向上させたを適当とすべし」 「海防艦は艦隊旗艦としては狭すぎる、香椎型程度が適当である」という不満が出ていた経緯もある。 「」も参照 、香椎はに編入される。 高速タンカー船団の護衛に従事することになった。 5月下旬まで内海西部で訓練を実施、その後門司に回航された。 、第七護衛船団司令官少将 は香椎に将旗を掲げる。 護衛部隊(香椎、空母、海防艦〈、、 〉、駆潜艇60号、敷設艇燕)は 、陸軍特殊艦や油槽船11隻からなる ヒ65船団を指揮して北九州を出撃、シンガポールへ向かった。 午前2時45分 、アメリカ潜水艦 USS Guitarro, SS-363 の雷撃で海防艦が沈没した。 また回避行動をとった貨客船が神州丸と衝突した。 神州丸は搭載爆雷の誘爆で大破 、香椎は神州丸を台湾まで曳航した。 香椎は基隆市から高雄市へ移動し、4日に出発した。 、ヒ65船団部隊はシンガポールに到着した。 帰路の ヒ66船団(香椎、海鷹、海防艦〈千振、7号、11号〉 、タンカー4隻)はにシンガポールを出発する。 ヒ66船団部隊は損害を出さず、門司に帰投した。 、第五護衛船団司令官少将 は香椎に座乗、護衛艦艇(巡洋艦〈香椎〉、海防艦〈千振、、第7号、17号〉)、空母3隻(、、海鷹) 、加入船舶14隻 からなる ヒ69船団を指揮して門司を出発した。 航海中、海防艦17号が被雷して離脱した。 ヒ69船団部隊の他艦に損害はなくにへ到着し 、各空母は航空機を陸揚げした。 空母2隻(大鷹、海鷹)と分離後、ヒ69船団部隊は護衛艦2隻を加えて7月25日マニラを出発する。 、ヒ69船団部隊はシンガポールに到着した。 、は第十六戦隊の軽巡洋艦「」 をヒ70船団部隊に同航させたいと申し入れた。 第五護衛船団司令官はを通過すると通告する。 そこで北上艦長大佐は、「北上」をヒ70船団に途中合流させる旨を報告した。 ()、 ヒ70船団は護衛艦艇(巡洋艦〈香椎〉、空母〈神鷹〉 、〈〉 、海防艦〈千振、佐渡 、第13号、19号〉) 、タンカー8隻でシンガポールを出発した。 途中でから来た軽巡北上を、ヒ70船団部隊に編入する。 8月15日、ヒ70船団部隊は門司へ戻った。 北上は佐世保へ、霜月は横須賀へ 、それぞれ回航された。 8月19日から24日まで、香椎は呉海軍工廠で修理を行う。 、第五護衛船団司令官少将の指揮下 、護衛部隊(香椎、空母 、海防艦〈千振、第1号海防艦、3号、13号、19号、21号、27号〉)は 、補給艦など加入船舶12隻の ヒ73船団を護衛する。 25日、ヒ73船団部隊は門司を出撃する。 、ヒ73船団部隊はシンガポールに到着した。 、 ヒ74船団(指揮官第五護衛船団司令官) はシンガポールを出発して台湾へむかった。 ヒ74船団部隊は 、第一護衛隊(巡洋艦〈香椎〉、海防艦〈13号、19号、21号、27号〉)、第二護衛隊(雲鷹、千振)、船団部隊(播磨丸、御室山丸、八紘丸、音羽山丸、あづさ丸)という戦力である。 9月16日、ルソン島方面にはアメリカ軍潜水艦2隻(バーブ、)が行動しており、米機動部隊艦載機の不時着救助任務に従事していた。 夜、旗艦香椎は船団各艦に対し敵潜発見を伝達するが、その時点での襲撃はなかった。 日付変更直後、ヒ74船団部隊はアメリカ潜水艦 USS Barb, SS-220 の襲撃を受けた。 あづさ丸が被雷 、炎上し 、まもなく沈没した。 つづいて雲鷹も被雷してヒ74船団から落伍 、午前7時55分に沈没した。 ヒ74船団部隊はそれ以上の被害を受けることなく、内地に帰投した。 香椎は佐世保海軍工廠で9月24日から10月19日まで入渠整備をおこなう。 10月28日、香椎は ヒ79船団を護衛して日本を出撃する。 高雄市(台湾)を経由し、11月13日シンガポールに到着した。 第一〇一戦隊 [ ] 同時期、護衛任務に従事する関係者から、固有の司令部と艦艇を持つ専門の護衛戦隊設置を求める声が高まり、建制の護衛戦隊を編成することになった。 11月15日 、香椎と海防艦(、、、23号、27号、51号)により 、 (司令官少将) が編成される。 香椎は第101戦隊旗艦となった。 (当時、海上護衛総隊参謀)は著書『海上護衛戦』において「(旗艦香椎は)戦闘力も防御力も貧弱であった。 しかし、航海するのに燃料消費が少ないのがこの艦の取り柄であった」と記述している。 第102戦隊(巡洋艦〈鹿島〉 、海防艦6隻)と第103戦隊(秋月型駆逐艦〈〉、海防艦6隻)も順次編成された。 11月17日、 ヒ80船団(巡洋艦〈香椎〉、海防艦〈、、、、、17号、23号、51号〉 、船舶7隻 )を護衛してを出撃する。 12月4日 、ヒ80船団部隊はに着いた。 12月10日、従来の第一海上護衛隊は 第一護衛艦隊に昇格した (司令長官中将)。 編成当初は第101戦隊、第五護衛船団司令部、第七護衛船団司令部、第八護衛船団司令部、、空母以下附属艦艇多数という戦力だった。 12月19日、第101戦隊(香椎、対馬、鵜来、大東、海防艦ほか)は と モタ38船団を護衛してを出発する。 12月25日にに着き、そこで多数のが船団に加わったが、フィリピンに向かう船団(陸軍輸送船〈、、、青葉山丸〉及び護衛艦艇)と別れた。 ヒ85船団部隊は12月27日に高雄を出発し 、1945年(昭和20年)1月4日 にのに到着した。 詳細は「」を参照 第101戦隊(旗艦〈香椎〉、海防艦〈鵜来、大東、27号、23号、51号〉)は、サン・ジャックから ヒ86船団を護衛し内地に戻ることになった。 この船団はシンガポールから北上して来ていたもので 、タンカー4隻(極連丸、さんるいす丸、六三播州丸、優情丸)と貨物船6隻(予州丸、永萬丸、大津山丸、辰鳩丸、健部丸、昭永丸)からなっていた。 ヒ86船団部隊は正午にサン・ジャックを出発したが、このとき多数の空母を含むアメリカ軍のがに侵入していた。 提督が率いる米機動部隊は前年末にウルシー環礁を出撃して台湾方面に出動しており 、ルソン島方面の作戦を支援しつつ南シナ海に進出する。 カムラン湾付近に潜伏中と推定した日本艦隊 (〈、〉や)を攻撃することで、から間の補給路を安全にしようとした。 だが日本艦隊 はシンガポール近海のリンガ泊地へ退避していたので発見できず、仏印周辺で行動していた香椎と輸送船団を攻撃する。 詳細は「」を参照 第101戦隊司令官渋谷少将(旗艦香椎)は米機動部隊接近の情報を得ていたが、遅延はかえって事態を悪化させると判断しのサン・ジャック出撃を決断した。 ヒ86船団部隊は未明にバンフォン湾(ベトナム)仮泊、同日21時にに仮泊する。 、キノン湾を発ち北上したが、その日にヒ86船団部隊は第38任務部隊による空襲を受け壊滅し 、香椎も沈没した。 戦闘経過は以下のとおり。 1月12日午前9時頃、ヒ86船団部隊はアメリカ軍機少数機による空襲を受けたが撃退した。 午前11時以降の空襲で永萬丸が沈没する。 渋谷司令官は「万一ノ場合機密書類ヲ確実ニ処理スル如ク準備シオケ」を発令する。 12時以降、ヒ86船団部隊は数次にわたる空襲を受けた。 輸送船団の先頭を航行していた香椎(旗艦)は 、第38. 3任務群(空母、、、基幹)による空襲で午後1時45分にまず爆弾2発が命中し、続いてさらに爆弾3発と魚雷2本が命中して午後2時5分に総員退艦となり、艦後部から沈没した。 海防艦が救助に向かうも 、松村艦長や渋谷少将も含む621名が戦死した。 香椎以外に海防艦23号と51号も沈没、加入船舶も全滅 (7隻は座礁放棄) 、生存艦は3隻(鵜来、大東、27号)に過ぎずなかった。 この被害は、アメリカ軍が南シナ海の制海権・制空権を掌握したことを意味していた。 また空母機の攻撃に対して、護衛船団は対抗手段がないことを改めて証明した。 1945年(昭和20年)、練習巡洋艦香椎、軽巡は軍艦籍より除籍された。 艤装員長 [ ]• 大佐:1941年4月1日 - 7月15日 艦長 [ ]• 岩淵三次 大佐:1941年7月15日 - 10月15日• 大佐:1941年10月15日 - 6月25日• 重永主計 大佐:1942年6月25日 - 1943年1月7日• 高田俐 大佐:1943年1月7日 - 1944年3月5日• 松村翠 大佐:1944年3月5日 - 1945年1月12日戦死(同日附、海軍少将) 同型艦 [ ]• 橿原 建造中止 参考文献 [ ]• Eric Lacroix; Linton Wells II 1997. Japanese Cruisers of the Pacific War. 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C08030708400。 脚注 [ ] [] 注釈• 公式には類別等級内での艦 艇 型に「香取型」はない 画像5など。 Sheet116では練習艦として6,650トンの値もある。 48では 過熱器と表現している。 Sheet7では候補生275名になっている。 香取・鹿島の竣工時 1940年の練習艦隊時 は艦橋トップ後方で、1941年までに香椎と同じ場所に移動。 岩淵大佐は11月1日より水上機母艦艤装員長。 後日、における戦艦沈没時艦長。 野島を雷撃したのは、アメリカ潜水艦であった。 魚雷は野島に命中したが、不発だった。 香港から出発する輸送部隊は、大陸命第688号によりからに転用されると 甲 であった。 ()、()、、各鎮守府(、、)。 第二護送隊は駆逐艦、水雷艇と、輸送船4隻。 第一護送隊の鵲は、パラオから香港に帰投した。 球磨護衛下の第一護送隊は10月5日にパラオを出発、10日ラバウルに到着した。 重永大佐は1月20日より重巡艦長となった。 中将(南西方面艦隊司令長官)は第二南遣艦隊司令長官との兼務を解かれ、中将が第二南遣艦隊司令長官となる。 の2隻(、)はにおいてに停泊中、1937年(昭和12年)9月下旬に空母航空隊を含む日本海軍基地航空部隊の空襲で大破、擱座した。 12月上旬、を目指して遡江中の日本海軍が捕獲した。 その後、寧海型2隻とは浮揚されて日本に回航された。 平海は修理改造により1944年(昭和19年)6月10日に「八十島」と改名され 、9月25日に籍に編入されて軽巡「八十島」となった。 同年11月25日、西岸で空襲により沈没した。 高松宮は兵学校卒業式に臨席した他、のや基地、高速潜水艦等を視察した。 所見 中略 七 旗艦トシテ海防艦ハ狭隘ニ過グ香椎型程度適当ナリ。 松山少将は、時の第十八戦隊司令官であった。 香椎と神州丸を、海防艦と第19号海防艦が護衛した。 有馬山丸も基隆に避難し、修理をおこなった。 第19号海防艦は高雄回航中に機関故障をおこし、修理のためヒ65船団部隊から外れた。 タンカーなど12隻、航空機輸送をおこなう空母2隻(大鷹、海鷹)を護衛対象として扱い 、加入船舶14隻となる。 木俣滋郎『海防艦戦史』70頁では、第17号海防艦を撃破したのは潜水艦とする。 記録では潜水艦の戦果であった。 北上は輸送を終えたあとの1944年(昭和19年)1月27日にでイギリス潜水艦 ()の雷撃を受け、大破した。 とで修理をおこなったが 、速力15ノット以下しか発揮できなかった。 佐渡は8月12日に神鷹等と共同で敵潜水艦を攻撃したあと 、ヒ70船団部隊から離脱した。 台湾よりに加入後 、マニラ沖合で僚艦およびと共に撃沈された。 『戦史叢書46 海上護衛戦』381頁では、ヒ70船団加入船舶を12隻とする。 木俣滋郎『撃沈戦記 2013 』24頁では、タンカー9隻、特設巡洋艦、特殊船など貨客船4隻、給糧艦、加入船舶計14隻とする。 『海防艦三宅戦記』116頁では護衛艦8隻(香椎、新井崎、三宅、満珠、能美、鵜来、海防艦17号、ほか1隻)とする。 良栄丸、松島丸、天栄丸、宗像丸、、日南丸、海邦丸。 『海防艦三宅戦記』117頁では2日六連島の安全海域着とする。 第102戦隊(1月1日新編)、第103戦隊(1月20日新編)、(1月1日附属)も、編成と共に第一護衛艦隊に編入されている。 第101戦隊の海防艦は輸送船を護衛してに立ち寄り、12月31日の対空戦闘で損傷した。 修理のため第101戦隊には同航せず、惨劇から逃れた。 楡林在泊中、ヒ86船団全滅より生還した3隻(鵜来、大東、第27号)と合流した。 『戦史叢書46 海上護衛戦』464頁では、6日サンジャック着とする。 に参加した(、、)を含む第二遊撃部隊(指揮官第五艦隊司令長官)。 (日向、伊勢)、重巡、軽巡、二水戦等。 著『海上護衛戦』369頁では、香椎被害を「魚雷1本、爆弾2発命中、艦後部砲塔弾薬庫爆発で艦尾から沈没」と記述する。 木俣滋郎『日本軽巡戦史』631頁では「鵜来に7名が救助され、後は不明」と記述する。 の「軍艦香椎顕彰碑」で便乗者含め1000余名が戦死し、生存者17名とする。 184• 22〔 香椎 練習巡洋艦 性能略 三菱横濱 起工年月日14-10-4 進水年月日15-10-15 竣工年月日16-7-15 兵装略 〕• 5〔 練習巡洋艦 香取、鹿島、香椎 〕• 565• 画像5-6〔 内令第八百二號 軍艦 香椎 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル 佐世保鎮守府籍 軍艦 香椎 右警備艦ト定メラル 昭和十六年七月十五日 海軍大臣 及川古志郎 〕• 575、 マル4計画の 建造状況。 44〔 内令第二四八號 軍極秘 |佐世保鎮守府在籍 軍艦 香椎 舞鶴鎮守府在籍 軍艦 木曾|右帝國軍艦籍ヨリ除カル 昭和二十年三月二十日 海軍大臣 〕• 784-785• 画像9、艦船要目公表範囲• 667• 46-47• 167• 1693-1694• 371-372• 昭和16年7月15日付 海軍内令 第806号改正、海軍定員令〔 第48表ノ3 練習巡洋艦定員表 〕。 この数字は飛行科要員を含み、候補生を含まない。 834 "Armament". 834 "Fire-Control Equipment". 834 "Armor and Protective Plating". 671• 68上の写真とその解説• 19〔 達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日 海軍大臣 吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎 カシヒ |株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風 タニカゼ |舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分 ノワキ |横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫 ツクシ |鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇 〕• , p. 27船名の由来は神社の名前から• 516第五艦隊・南遣艦隊の追加的新編• 77頁「昭和16年 1941年 7月31日」• 64下写真の解説• 21-22. 23-24. , pp. 35-40. 66下写真の解説。 668-669. , pp. 71-72. 342-343香椎 かしい• 67写真とその解説。 , p. 151. 68下写真の解説• 418-421建制の護衛戦隊編成• 127-129一〇一戦隊らの設立• 531頁「第1護衛艦隊」• , pp. 292-293 昭和19年 十二月の対潜戦• , pp. , p. 463-467米機動部隊の南シナ海進入とヒ八六船団の大被害• 52-55,58-63のそれぞれの写真の比較による。 66上写真の解説。 38の解説• 37の写真と解説• 23〔 二六 略 香椎呉工廠ニ於テ新役務ニ對スル新設改造工事着手 〕• 681. 682, Drawing 13. 662, Drawing 13. , pp. 355-356あ号作戦後の兵装増備の状況調査• , p. 26a「香取」など4隻の建造を当所が担当• 26b. 4〔 鹿島 練習巡洋艦 艦諸元略 三菱横濱船渠 13-10-6 14-9-25 15-5-31 兵装略 〕• , p. 210 昭和十五年十月 十五日 火曜日 三菱重工業株式会社横浜船渠において軍艦香椎の命名式挙行につき、博恭王を差し遣わされる。 C13072080600• 「」 Ref. 「」 Ref. C13072081600• 「」 Ref. 「」 Ref. 「」 Ref. , pp. 305a-306南遣艦隊の新設• 「」 Ref. C13072081600• , pp. 305b-306兵力• , pp. 306a-307南遣艦隊の進出と「ふ」号作戦部隊の解散• , pp. , pp. 298-304「ふ」号作戦部隊の行動• , pp. 528-530全面禁輸と軍令部• , pp. 303-304. 77頁「昭和16年 1941年 7月28日 陸海軍部隊、南部仏印逐 西貢・ナトラン等 に平和進駐』、78頁「昭和16年 1941年 8月8日 第25軍の南部仏印進駐完了」• , p. 306b. , p. 315南部佛印進駐と南遣艦隊の設置• C13072082800• 「」 Ref. C13072083000• 「」 Ref. C13072082900• 84頁「昭和16年 1941年 10月21日 大本営、大本営直轄の南遣艦隊を聯合艦隊編入を発令〔1-62、91-516〕」• , pp. 25-34南遣艦隊司令長官時代• , p. , pp. 27-28 昭和16年11月27日記事 1500旗艦を変更す• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、132ページ• , pp. 324-325南方部隊の動き• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、358-359ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、407ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、380、393-394、407ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、407ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、408-409ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、508ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、511、516ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、517、519ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、557-558ページ• , p. 186. 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、558-559ページ、日本軽巡戦史、111ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、561ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、562ページ、日本軽巡戦史、112ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、562ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、563ページ• 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、564ページ• 99頁「昭和17年 1942年 1月3日 大本営、海軍戦時編制の一部改正を発令」• 529頁「第1南遣艦隊」• 294-298船団の進航• , pp. 65-70. , p. 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、596-597、600、603、609-610ページ• 日本軽巡戦史、217ページ• , p. 130 昭和17年4月12日記事 旗艦変更• 10〔 3. 馬來部隊機動部隊ハ四月十一日昭南皈着十二日旗艦ヲ鳥海ヨリ香椎ニ変更7S 3sd 4sf 第二聯隊欠 ハ四月十三日昭南發内地ニ皈還セシム 〕• 「」 Ref. , p. 39〔 四月十三日 一七〇〇 7S 3sd 4sf 第二聯隊欠 馬來部隊指揮官ノ指揮下ヲ離レ昭南發内地ニ皈還ス 〕• , p. 182. 24〔 四. 参考 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕• C13072085900• , p. 「」 Ref. C13072086200• 35〔 司令長官 中将 大川内傳七 七月二十四日着任 〕• , pp. 132頁「昭和17年 1942年 7月31日 海軍B作戦」• 4「五十鈴ハ丁作戰 「タンニバル」攻略 部隊ニ編入中ノ處八月一日丁作戰部隊ヨリ除カレB作戰部隊ニ編入セラル」• 31-32〔 B作戰兵力部署 七月二十八日附 〕、 pp. 35-36〔 16S 五十鈴欠 二十日附B作戰 「ベンガル」湾竝ニ印度西岸ノ海上交通破壊作戰 部隊ニ編入セラル 略 16S 五十鈴欠 11dg二十八日〇八〇〇昭南水道西口發「サバン」経由 二十九日一六五二着三〇日一〇〇〇發 三十一日一六四六「メルギー」ニ進出ヲ了ス B作戰部隊機動部隊左ノ通編成セラレ16S司令官ヲ指揮官ト定メラル 七月二十八日附 〕、 p. 16〔 四. 38-41〔 四. 参考 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕• , p. 97機動部隊 3F の進出• , pp. 66-67南東方面への兵力移動• 132頁「昭和17年 1942年 8月7日 米軍反攻開始」• 44〔 イ 一般情勢 「セイロン」島方面ノ敵ハ警戒ヲ厳ニシ我ガ機動作戰ヲ阻止セントスルモノノ如ク「アンダマン」諸島ニ屢敵機偵察ニ飛来ス。 B作戰部隊ハ「メルギー」方面ニ在リテ待機中ナリシ處八日「ソロモン」諸島方面ノ情勢変化ニ依リB作戰ハ中止セラレ7S 3sd 15dg 2dg旭東丸 日本丸ハ南西方面部隊ヨリ除カレ南東方面ニ轉進セリ爾後互ニ飛行警戒ヲ厳ニシ「カルカッタ」方面ヘノ敵海上交通ハ一時途絶シ彼我對峙ノ状態ニアリシモ中旬以後漸次常態ニ復セリ 〕• 51-56〔 四. 参考 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕• 11〔 四. 参考 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕• , pp. 525-527第十七軍への兵力増強• 366b-367. , pp. 195-203南東砲煙への陸軍部隊の輸送及び護衛• 141頁「昭和17年 1942年 9月19日〔62-197、77-721〕」• , pp. 196-202沖輸送及び護衛• , pp. 366a-367沖輸送• , pp. 162a-164陸軍兵力の南東方面への輸送 沖輸送• , pp. 115-116沖輸送船団• , p. 162b. , p. 197. , p. 164a香港からの輸送• , pp. 201a-202香港発の沖輸送• 201b. 164b. 24〔 1 香椎ハ冲輸送ニ従事八日「ラバウル」着陸軍部隊ヲ揚陸即日發十九日昭南着 〕、同戦時日誌 p. 28〔 四. 参考 麾下艦船部隊ノ行動 昭和十七年十月 第一南遣艦隊 〕• 37〔 四. 参考 麾下艦船部隊ノ行動 十一月 第一南遣艦隊 〕• 50〔 四. 参考 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕• C13072089000• 「」 Ref. C13072089400• , pp. 80-81緬甸方面軍の創設と海軍との西向き作戦合同研究• 「」 Ref. C13072090500• , p. 106南西方面艦隊兵力部署の概要• , pp. 58-59第二十五軍のマレー、スマトラ方面配備概要• , pp. 93-94アンダマン、ニコバル群島の防衛強化• , p. 7〔 二. 参考 麾下艦船部隊ノ行動 昭和十八年五月 第一南遣艦隊 〕• 14-15〔 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕 昭和十八年六月• 20〔 香椎掃七屏東丸ヲ以テ12abg増勢部隊ヲ二十四日昭南發ニテ「ブレア」ニ輸送二十八日同地着香椎ハ即日發昭南ニ屏東丸ハ荷役終了後雁護衛ノ下ニ彼南ニ皈投セシム 〕• 29〔 四 陸軍部隊輸送 當方面行動中ノ16S 球磨 ノ協力ヲ得テ陸軍部隊八〇〇名ヲ「ベラワン」ヨリ「ブレア」ニ輸送 第一次十八日ベラワン発十九日ブレア着ペナン補給、第二次二十四日ベラワン発二十五日ブレア着 香椎 屏東丸 占守一壽礁ヨリ護衛 ヲ以テ 十七日昭南發ベラワン二十日發 陸軍部隊軍需品ヲ「カーニコバル」ニ輸送セシム香椎ハ二十二日着即日發昭南ニ帰投 屏東丸ハ揚搭作業中二十三日一五一〇敵機二機ノ爆撃ヲ受ケ沈没セリ 〕• 34〔 麾下艦船部隊ノ行動 昭和十八年八月 第一南遣艦隊 〕• , pp. 127-129南方軍の豪北反撃作戦準備• , pp. 133-134南西方面作戦に関する研究• 46〔 麾下艦船部隊ノ行動 〕 昭和十八年九月• 9〔 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕 昭和十八年十月• 26〔 別表第一 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕 昭和十八年十一月• , pp. 163-164英東洋艦隊来攻の情報• 33〔 別表第一 麾下艦船部隊ノ行動 第一南遣艦隊 〕 昭和十八年十二月• 14-15〔 三 麾下艦船部隊ノ行動 〕• 40〔 ロ 我軍ノ情況 十二月三十一日附香椎ヲ主隊ヨリ除カル 〕• 4〔 一 十二月一日附呉練習戰隊ヲ編制セラレ同日附鹿島 磐手 八雲ヲ十二月三十一日附香椎ヲ麾下ニ編入セラル 〕• 8〔 イ 主要職員官氏名 〕• 「」 Ref. C13072094600• 画像23〔 内令第二千八百二十七號 佐世保鎮守府豫備艦 軍艦 香椎 右練習兼警備艦ト定メラル 昭和十八年十二月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕• 13〔 二 麾下艦船部隊 特設ヲ含ム ノ行動 〕• , pp. 407-410江陰方面中國艦艇攻撃 第二、第五空襲部隊• , p. 459「寧海」の捕獲• 18〔 一月十七日仝右 宛略 機密呉鎮守府命令第二四號 呉練習戰隊司令官ハ香椎ヲシテ一月下旬準備出来次第平海ヲ呉ニ回航 曳航 セシムベシ 回航指揮官ヲ香椎艦長トス 〕、 p. 18〔 一月二十日香椎艦長 一月二十一日〇五一六呉練習戰隊旗艦|香椎機密第二〇一九三〇番電 工事ヲ切ツメ平海曳航二月七日呉着可能ノ見込 〕• 50〔 三 天候略 香椎 平海ヲ曳航 佐世保發 〕• 13-14〔 二 麾下艦船部隊ノ行動 特設ヲ含ム ノ行動 〕、 p. 50〔 四 天候略 香椎呉着平海ノ引渡ヲ了ス 〕• , pp. 242-243八十島 やそしま• , p. 343八十島 やそしま• , p. 22-23〔 四 麾下艦船部隊ノ行動 〕、同部隊戦時日誌 p. 22〔 三 所在海面ノ防衛並ニ對潜對空警戒ニ任ズルト共ニ二月十三日以降兵學校生徒乗艦實習ニ從事セリ 〕• 7〔 二十日附 出雲ヲ呉練習戰隊ニ編入 支那方面艦隊ヨリ 〕• C13072096400• 32〔 六 麾下艦船部隊ノ行動 〕• 354-355頁〔 三月二十二日 水 半晴 〕• 画像35、令達報告等〔 三月十日海軍大臣発文書 三月十七日呉鎮守府司令長官受 呉練習艦隊司令官通達 官房軍機密三一二號 海軍兵学校卒業式当日同校ヘ差遣ノ皇族御乗用トシテ軍艦鹿島 予備軍艦香椎 ヲ充ツル様取計フヘシ 〕〔 三月十八日呉鎮守府司令長官発信號、三月十八日呉練習戦隊司令官受 海軍省、海軍兵学校通達 信令第一四一號 呉練習戦隊司令官ハ軍艦鹿島 予備軍艦香椎 ヲシテ官房軍機密第三一二號ニヨル役務ニ従事セシムベシ 〕• 画像35、令達報告等〔 三月十四日呉鎮守府司令長官発文書、三月十五日呉練習戦隊司令官受 機密呉鎮守府命令第一〇五號 貴官ハ麾下二艦ヲシテ三月二十二日海軍兵学校卒業海軍少尉候補生ノ江田内、大阪間輸送ニ任ゼシムベシ 〕• 31〔 一 三月二十五日附香椎ヲ當隊ヨリ除カル 〕• 6〔 二 麾下艦船 特設ヲ含ム ノ行動 〕• , pp. 340-341香取 かとり• 52〔 一五 略 敵攻略部隊「グリン」島ニ上陸開始 香取ヲ當総司令部部隊ニ編入セラル 〕• , pp. 131-133米機動部隊トラックに来襲• , pp. , pp. 622-623四二一五船団の戦闘状況• 5〔 三 南西方面航路ノ護衛強化ヲ期シ特設空母海鷹ヲ一海護衛司令部ニ編入又香椎ヲ海上護衛總司令部部隊附属部隊ニ編入セラレタリ 〕• , pp. 597-598九 三五一五 往航 、四五三〇 復航 船団 岡戸大佐• , pp. 599-600十一 ヒ六一 往航 、六二 復航 船団 細谷大佐• 11〔 二 略 第一護衛船團司令部及香椎ヲ附属部隊ヨリ除キ第一海上護衛隊ニ編入ス 〕、 p. 4〔 五月二日 第一護衛舩団司令部及香椎當隊編入 〕• 9〔 三 第一護衛船團司令部及香椎ヲ海上護衛總司令部部隊ヨリ除キ第一海上護衛隊ニ編入シ主トシテ高速石油船團ノ護衛ニ任ゼシム 〕• 15-17〔 四 麾下艦船部隊ノ行動 其ノ二 〕• , p. 606ヒ船団行動実績表• 321-322特設船団司令部の設置• 685頁• , p. 27〔 別表第二 舩団護衛状況 馬來直行航路 昭和十九年五月 第一海上護衛隊司令部 〕• , p. 378b海鷹 旧名あるぜんちな丸 三 ヒ六五船団• 5〔 ロ 淡路ヒ六五舩団 五月二十九日門司発昭南直航 ヲ護衛航行中六月二日〇二四五北緯二二度東経一二一度四二分ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ沈没セリ 〕• , p. 231淡路 あわじ• , p. , pp. 154-157船団の身代わりとなった淡路• , pp. 58-59. , pp. 62-63. 32〔 四 略 「ヒ六五」船團部隊 香椎第七護衛船團司令官旗艦 〇六〇〇高雄着二〇〇〇在營沖發昭南ニ向フ 〕、 p. 18-20〔 四 麾下艦船部隊ノ行動 其ノ二 〕• 34〔 一一 略 ヒ六五船團部隊一三五〇昭南着 〕• 36〔 一七 略 ヒ六六船團 旗艦香椎海鷹千振海防艦七及十一號 部隊〇四〇〇昭南發 〕• , p. 378c海鷹 四 ヒ六五船団• 34〔 別表第二 舩団護衛状況 馬來直行航路 昭和十九年六月 第一海上護衛隊司令部 〕• , pp. 380b-381神鷹 旧名獨商船シャルンホルスト号 一 ヒ六九船団• , pp. 258-260「神鷹」• 53〔 一三 略 「ヒ六九」船團 第五護衛船團《旗艦》香椎 神鷹其他 一六〇〇 六連發 大鷹 海鷹輸送任務ヲ帯ビ「マニラ」迄右船團ト同行 〕• 28〔 別表第二 舩団護衛状況 馬來直行航路 昭和十九年七月 第一海上護衛隊司令部 〕• 681a. 56〔 二五 略 「ヒ六九」船團部隊昭南ニ向ケ〇五三〇「マニラ」發 〕• 692頁• 57〔 三一 略 「ヒ六九」船團部隊昭南着 〕• 日本軽巡戦史、408-409ページ• , pp. 322-324北上 きたかみ• 53〔 二日一一四六GKF参謀長 二日一四五五香椎 16S司令官 1KEg 第五船団護衛司令官 北上應急修理完成近日「マニラ」発佐世保ニ同航ノ予定ノ所常用シ得ル速力一五節以下ナルヲ以テ適當ナル船団ニ續行セシメ度 今ノ處ヒ七〇 香椎 船団ヲ最適当ト認メラルルニ就テ貴団ノ都合竝ニ行動予定至急知ラサレ度 〕• 55〔 二日一八三五 五護衛船団司令官 二日二〇〇〇GKF長官 16S 1KEg各司令官 五日午前昭南発佛印東岸台湾海峡ヲ経テ門司直航速力十一節予定 航路 「ルソン」海峡ヲ避ケ極力西寄ニ選ブ 続報 〕• 59〔 六日一八一七北上艦長 宛略 本艦左ニ依リ佐世保ニ回航ノ予定 一. 九日〇五〇〇「マニラ」発十日一三〇〇頃N一七-五五E一一六-一五附近ニ於テ「ヒ七〇」船団ト合同 爾後同船団ト同航十六日一三〇〇佐世保着 以下略 〕• , p. 259. 37〔 五 天候略? , p. 290. , pp. 384-385ヒ七一船団の被害• , pp. 73-74. , p. 226佐渡 さど• 45〔 別表第二 舩団護衛状況 馬來直航々路 昭和十九年八月 第一海上護衛隊司令部 〕• 12〔 五 略 「ヒ七〇」船團八隻香椎 五ES旗艦 神鷹 霜月 千振 佐渡 第一三、一九號海防艦四日二一〇〇昭南發 〕• , p. 381a神鷹 二 ヒ七〇船団• 日本軽巡戦史 409-411ページ、 p. 41〔 北上ハ九日「マニラ」發高速船團ニ加入シテ十四日佐世保着爾後本修理ニ従事中ナリ 〕• 14〔 一五 略 「ヒ七〇」船團部隊一四三〇門司着 雲鷹ヲ附属部隊ヨリ除キ第一海上護衛部隊ニ編入ス 〕、 p. 4〔 ハ 第四十一駆逐隊 冬月内地方面霜月「リンガ」方面ニアリテ夫々訓練警戒待機ニ従事中ノ所霜月四日「リンガ」発昭南着ヒ七〇船團護衛五日同地発横須賀ニ回航同隊十日附第七基地航空部隊ニ編入爾後ノ経過當司令部ト別動中ニ付詳細不明 同艦戦時日誌参照 〕• 25-26〔 一七 一六〇一雲龍 宛略 雲龍機密第一七一六〇一番電 霜月横須賀着 〕• 23-25〔 四 麾下艦船部隊ノ行動 其ノ二 〕• 10〔 香椎 自八月十九日至八月二十四日 呉海軍工廠 舩体兵器機関ノ整備 〕• , p. 382b雲鷹 旧名八幡丸 一 ヒ七三船団• , pp. 250-251「雲鷹」• 4〔 24日ヒ73船団六連沖ニ集合 〕• , p. 17〔 二五 略 ヒ七三船團 五ES《旗艦》香椎 雲鷹 千振 海一、三、一三、一九、二一、二七號 〇六三〇門司發 略 〕• 382a. , pp. 25-27運命のヒ七四船団• , p. 382c雲鷹 二 ヒ七四船団• 48〔 五. 我兵力ノ現状 〕• , p. 100. 251. , p. 35〔 0034 右100度1000米ノ「あづさ丸」ニ水柱ヲ認メ被雷ト判断シ取舵一杯両舷第二戦速トナス再度ノ被雷ニ因リ「あづさ丸」大火災トナル 〕• , pp. 157-158海面に浮かぶ雲鷹の遺品• 45〔 0755沈没ス 北緯19度8分東経116度33分 1230生存者総員27号海防艦、千振ニ救助サル 准士官以上仝待遇者55名 下士官兵706名 便乗者含 〕、 p. 45〔 別表第二 舩団護衛状況 馬來直航々路 昭和十九年九月 第一海上護衛隊司令部 〕• 10〔 香椎 自九月二十四日至九月三十日 佐世保海軍工廠 入渠工事、舩体兵器機関ノ修理整備 〕、 p. 9〔 香椎 自十月一日至十月十九日 佐世保海軍工廠 入渠諸修理工事 〕• 55〔 別表第二 舩団護衛状況 馬來直航々路 昭和十九年十月 第一海上護衛隊司令部 〕• 52〔 別表第二 舩団護衛状況 馬來直航々路 昭和十九年十一月 第一海上護衛隊司令部 〕• 266頁「昭和19年 1944年 11月15日 海軍戦時編成改訂 第101戦隊〈軽巡1・海防艦6〉を編成して海軍護衛総司令部部隊に編入」• 64〔 一五 略 香椎 對馬 大東 鵜来 海防艦二十三 二十七 五十一號ヲ以テ第一〇一戰隊編成シ海上護衛総隊司令部々隊ニ編入ス 略 〕、 pp. 5-6〔 十五日 略 香椎當隊作戰指揮ヲ解カル 對馬 大東 鵜来 第二十七号海防艦 第二十三号海防艦 第五十一号海防艦ヲ當隊ヨリ除カル 香椎 對馬 大東 鵜来 第二十七号海防艦 第二十三号海防艦 第五十一号海防艦ヲ以テ第一〇一戰隊ヲ編制ス 第一〇一戰隊ヲ當隊ニ編入セラル 〕• 「」 Ref. C13072102000• , pp. 日本軽巡戦史、622ページ• , p. 364. , pp. 341-342鹿島 かしま• , p. 116• 32-34〔 五 麾下艦舩部隊ノ行動 其ノ四 〕• , p. 117. 日本軽巡戦史、623-624ページ• , pp. , pp. 129-130第一護衛隊、第一護衛艦隊に昇格• 270頁「昭和19年 1944年 12月10日 第1護衛艦隊を新編 第1海上護衛隊廃止 し海上護衛隊総司令部部隊に編入 司令長官岸福治中将 」• , pp. 421-423第一護衛艦隊の編成• , p. 422. 日本軽巡戦史、624ページ• 6〔 一九 天候略 |第一〇一戰隊|ヒ八五船團直衛|一二〇〇転錨ノタメ門司出港/一二四五六連沖仮泊/一三三〇昭南ニ向ケ出港|ヒ八五船団護衛 護衛艦、香椎、対馬、鵜来、大東、海二七、海二三、海五一、駆潜六 高雄迄 〕• 日本軽巡戦史、625ページ• , pp. 119-120. , pp. 122-123. , p. 143. , p. 124. , p. 145. 464. 日本軽巡戦史、625-626ページ• , p. 142. 日本軽巡戦史、626-627ページ• , pp. 362-364決死の油輸送に終止符うたる• 日本軽巡戦史、627-629ページ• , pp. 553-554空母機動部隊による海上交通破壊戦• , p. 404. , p. 410. , pp. 55-56. , p. 412. , pp. 51-53. , pp. 139-142ベトナム沖の大出血 昭和二十年一月• , p. 366. 465. 日本軽巡戦史、629-631ページ• 26〔 二六|航海中| 天候略 |ヒ八六船團直衛|〇六四五キノン湾出港/〇八五五敵機動部隊ト交戰/二二〇〇 三亜ニ向ケ避退|香椎、海二三、海五一及八六船團一〇隻沈没 〕、 p. 28〔 20. 12 船団護衛中仏印キノン北方ニ於テ敵機動部隊ト交戦船団部隊全滅 〕• , p. 368. , p. 367昭和20年1月12日午後仏印東海岸における米機動部隊の日本船団攻撃時の態勢• , p. 369. 36〔 〃 一月十二日 一四五〇 海二七艦長|鵜来艦長|我香椎ノ乗員ノ救助ニ當ル貴艦ハ周圍ヲ警戒セヨ|信號 〕• , p. 466. 370-371. , pp. 144-145〈海防艦五隻の情況〉• , pp. 456-457護衛作戦の概況• 「」 Ref. C13072104900 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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香椎 (練習巡洋艦)

香椎 か て ぃ

概要 [ ] JR線における福岡市東区の中心となる駅で、普通・快速列車のほかに一部の特急列車が停車している。 との2路線が乗り入れており、このうち鹿児島本線を当駅のとしている。 このほか、(JR貨物)の区間である鹿児島本線貨物支線()の登記上の起点でもあるが、実際に分岐するのはである。 当駅に停車する特急列車は基本的に停車駅の多いタイプの「」のみであるが、方面への8時台までの列車と、行きの20時台以降の列車はすべて停車する。 逆に小倉駅方面への18時台以降の列車と、博多駅行きの8時台までの列車はすべて通過となる。 なお鹿児島本線内で完結する特急「」は、近隣のに全列車停車することもあり当駅には夜間の博多駅行き2本しか停車しない。 歴史 [ ] 1993年の香椎駅舎• (23年) - - 間の開通に伴い、開業。 (明治37年) - 博多湾鉄道(1920年、に改称。 現在の香椎線)が開業。 (明治40年) - 九州鉄道が。 に移管。 (明治43年) - 当駅の部材を用いての駅舎が改築される。 (17年) - 博多湾鉄道汽船が5社合併してを設立し 、同社糟屋線となる。 (昭和19年) - 西日本鉄道の - 間がにより国有化されが継承。 (36年) - - 間が電化。 (昭和50年)3月10日 - 貨物取扱廃止。 (昭和62年) - に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる。 (8年) - 4階建ての駅ビルが完成。 (3代目駅舎)• (平成21年) - 「」の利用が可能となる。 (平成30年) - 駅ナンバリングを導入。 (平成31年) - 駅前広場が完成し、供用開始される。 駅構造 [ ] 4・5番ホーム(香椎線) 初代の駅舎はの駅舎として移築され、その後駅舎を移築した駅舎が用いられた。 (平成8年)3月に4階建ての駅舎となり 、その際に香椎(店舗面積約3,830 、延べ床面積約6,586m 2 )が入居した。 その後、2014年(平成26年)10月14日にJR九州の中小型駅ビルの名称変更に伴い 、香椎となった。 1面1線と2面4線、計3面5線のホームを有する。 ホーム間はで結ばれ、全てのホームにエレベーター・エスカレーターが設置されている。 改札口は全部で3カ所あり、1番のりばに直接つながるものと、跨線橋からえきマチ1丁目につながる「えきマチ1丁目2階改札口」、そして跨線橋の反対側にある「九州高校口」からなっている。 また、1番のりばにつながる改札口の脇にが設置されている。 JRの制度における「福岡市内」の駅である。 が設置されている。 のりば [ ] のりば 路線 方向 行先 備考 1 JA鹿児島本線 上り ・方面 方面の特急を含む 2 下り ・方面 3 JD香椎線 下り ・方面 日中はこのホームから発車 上り ・方面 4 上り 日中はこのホームから発車 5 下り 長者原・宇美方面 利用状況 [ ] 2018年度の1日平均は 12,632人であり、JR九州の駅としては第9位である。 年度 1日平均 乗車人数 出典 備考 1995年(平成7年) 18,961 1996年(平成8年) 19,848 (参考値) 2008年(平成20年) 11,603 2009年(平成21年) 11,478 2010年(平成22年) 11,482 2011年(平成23年) 11,559 2012年(平成24年) 11,732 2013年(平成25年) 11,846 2014年(平成26年) 11,560 2015年(平成27年) 11,891 2016年(平成28年) 12,172 2017年(平成29年) 12,660 2018年(平成30年) 12,632 駅周辺 [ ] 駅前の様子 福岡市東の副都心と位置付けられ、駅周辺は小さな繁華街になっている。 - 最寄駅は• - 最寄駅は• (2003年(平成15年)11月29日にイオン香椎浜ショッピングセンターとして開業。 アウトレット香椎浜店(デオデオ福岡東香椎浜店を改修して2009年(平成21年)8月28日にアウトレット業態へ転換された。 香椎店(2012年(平成24年)5月2日に開業。 B香椎店(2005年(平成17年)12月2日に開業したが 、2009年(平成21年)10月18日に閉店して2009年(平成21年)11月20日にビックカメラ香椎店へ転換された。 2011年(平成23年)2月11日に新装開業し、B・B香椎本店へ再転換した。 ビッグマートビル(1980年(昭和55年)5月29日に開業したダイエー香椎店が 、2005年(平成17年)10月31日に閉店。 福岡香椎本店を核店舗として、や、などが入居している。 香椎支店• 香椎中央商店街• (博商通り)• みゆき通り• 香椎参道 路線バス [ ] 駅前広場完成に伴い、 2019年3月16日より [ ]下原始発着の路線バスが乗り入れを開始された。 「香椎」は日本古代からの歴史ある地名である。 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年• 廣岡治哉 『近代日本交通史 明治維新から第二次大戦まで』 出版局、1987年4月15日。 財団法人運輸調査局編 『日本国有鉄道版 日本陸運史料 第3巻 日本陸運十年史 戦時交通編』 、1990年11月。 宗像市史編纂委員会 『むなかた二千年』 宗像市、1999年12月20日。 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』1998年 JTB• 『交通年鑑 昭和63年版』 、1988年3月。 今村都南雄 『民営化の效果と現実NTTとJR』 、1997年8月。 交通新聞社 : p. 1996年8月28日• : p. 2009年3月3日• 九州旅客鉄道. 2018年9月28日時点のよりアーカイブ。 2018年9月28日閲覧。 : p. 2019年3月15日• 生野貴紀 2014年10月24日. 毎日新聞社• 九州旅客鉄道、2016年5月18日閲覧。 日本食糧新聞社. 2003年12月3日• 週刊経済 2009年9月8日発行 No. 1120 地域経済センター 2009年9月8日. タイハン特報 大量販売新聞社. 2012年5月17日• 週刊経済 2005年7月5日発行 No. 913 地域経済センター 2005年7月5日. 週刊経済 2009年11月4日発行 No. 1127 地域経済センター 2009年11月4日. 日本経済新聞社. 2011年2月11日• 堀田真康 『ダイエー 燃える流通革命軍団』 、1981年7月。 中日新聞社. 2005年10月31日 利用状況の出典 [ ]• 九州旅客鉄道. 2019年7月23日閲覧。 交通新聞社 : p. 1996年7月9日• www. pref. fukuoka. 2019年12月10日閲覧。 九州旅客鉄道株式会社. 2015年7月23日閲覧。 九州旅客鉄道株式会社. 2015年7月23日閲覧。 九州旅客鉄道株式会社. 2015年7月23日閲覧。 九州旅客鉄道株式会社. 2015年7月23日閲覧。 九州旅客鉄道株式会社. 2015年7月23日閲覧。 九州旅客鉄道株式会社. 2015年7月23日閲覧。 2015年10月31日閲覧。 2016年8月21日閲覧。 九州旅客鉄道 2017年7月31日. 2017年8月1日閲覧。 九州旅客鉄道. 2019年3月5日閲覧。 関連項目 [ ]• - が小説の舞台となり、の映画版ではとともに当駅が撮影に使用された。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (駅情報) - 九州旅客鉄道.

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香椎 (練習巡洋艦)

香椎 か て ぃ

営業再開のお知らせ 4月5日から5月31までの約2ケ月に亘り営業自粛をしていましたが、6月2日 火 よりやっと 通常通りの営業を再開できることとなりました。 皆様方には長らくご迷惑をお掛け致しましたが、休業中にも変わらぬ厚いご支援をいただき まして誠にありがとうございました。 しかしながら。 まだまだ感染が完全に収束していない中での営業再開となりますので、 下記お願い事項をご了承頂き、再開させていただくことにいたしました。 宜しくお願い致します。 トニー) 6月全般のスケジュールはホームページをご覧下さい。 こまめな手洗いをお願いします。 ご不便をお掛け致しますが、感染拡大防止の為の措置にご協力頂きながらお楽しみいただきたく、 今後とも何卒宜しくお願いいたします。 仲間や友人と語らいながら飲みながらライブ演奏をお楽しみ頂けます。 木曜日〜土曜日 には、 幅広いジャンルのライブ演奏を展開しています。 「エリックハウスバンド」は、 トニー Vo. 、 ネルソン Vo. & Bass 、彩夏 Vo. の 3人のボーカルでお届けします。 お客様参加型ライブハウスとして、ステージ中に、お客様が参加できるコーナーも用意していますので 生バンドで歌ってみたい方はどうぞ!お一人でもお気軽に御来店下さい! 皆様のご来店をスタッフ一同心よりお待ちしています。 トニー ネルソン あやか 「歌伴コーナー」で 初めて生バンドで歌われた皆様は、みなさん「チョウ気持ちよかった!」 との感想しきりです。 HP上のスケジュールをご覧下さい。 月曜日 定休日 (イベント依頼があれば貸切営業いたします) 詳しくはこちらのHPのスケジュール、またFBイベントにて掲載しています。 尚上記のスケジュール並びに出演者は予告なく変更される事があります。 ご了承の程、宜しくお願いいたします。

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