古く から 語り継が れ てき た 話。 各課紹介:文化振興課:ゆんたんざむんがたい(全5巻)

都市伝説・雪山での怖い話 遭難「山小屋」

古く から 語り継が れ てき た 話

絵本と童話は、子ども向けのお話という点で共通していますが、それぞれ違いがあります。 絵本は、「絵」を中心としてお話が進みます。 そのため、文字や文章は「絵」を補助するのが主な役割となります。 絵本の中にはほとんど文字がなく、絵を見るだけで物語が理解できるような作りになっているものも少なくありません。 一方の童話は、古くから言葉を使って語り継がれてきたお話です。 そのため、絵がなくても文章を読むことでストーリーが理解できます。 物語により深く入り込めるように絵が補助的に用いられることもありますが、童話において絵は必ずしも必要ではありません。 つまり、絵本は「絵」を重視しており、童話は「文章」を重視しているお話なのです。 絵本のはじまりとその歴史 日本では、12~13世紀ごろから絵本の源流である「絵巻物」が書かれていました。 特に有名な「鳥獣戯画」は、学校の教科書などで見たことがある人も多いのではないでしょうか。 しかし、この絵巻物は物語を「絵」で表現してはいますが、子ども向けの作品ではありませんでした。 江戸時代に入った17世紀ごろに、「おぐり判官てるて物語」など、明らかに「絵本」と判断できる作品が誕生したと考えられています。 17世紀後半になると、関西地方で素朴な絵と簡単な文で構成された子ども向けの絵本が出版されはじめました。 それが江戸でも流行し、「赤本」と呼ばれて人々に親しまれていったのです。 明治時代になると西洋から印刷技術が導入され、複数の色を使って製本した絵本が登場するなど、絵本の質が高くなっていきました。 それと同時に、出版社が本格的な子ども向けの絵本を製作するようになりました。 現在では絵本のジャンルが増えたこともあり、生活に必要な知識を得る教材として、子どもの教育に欠かせない存在となっています。

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ふるさと艶笑譚選集[第三集](佐々木徳夫)

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メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』やギリシアの『天地創造』など、世界各地には古くから語り継がれてきた様々な神話がある。 日本最古の歴史書といわれている『古事記』もその一種といえる。 ただ、そもそも「神話」とは何なのかという定義は曖昧だ。 (沖田瑞穂著、岩波書店刊)によると、神話とは「聖なる物語である(であった)」であり、人々の間で語られ、そして聞かれていたある話について、それが「聖なるもの」と捉えられていたら、その話は「神話」である、ということができる。 ケルト人は、現在のアイルランド人、スコットランド人、ウェールズ人、フランスのブルターニュ地方のブルトン人などの祖先に当たる人々。 かつてはヨーロッパ大陸でも勢力をふるっていたが、次第に他民族に圧迫されてヨーロッパの西へ西へと追いやられてしまう。 さらにキリスト教化されたので、ケルト神話が比較的多く残っているのは、アイルランドとイギリスのグレートブリテン島西南部のウェールズ地方となっている。 このケルトの神話の一つ、「フィアナ神話」が、日本の浦島太郎とよく似ているのをご存じだろうか。 筋書はこうだ。 主役のオシーンとフィアナの騎士たちが森で狩りをしていると、突然西のほうから白い馬に乗った乙女が現れる。 常若の国の王の娘、金髪のニアヴと名乗り、オシーンを常若の国へ誘う。 そこでは何日も素晴らしい祝宴が続き、オシーンは3年間常若の国で過ごす。 父や友人に会いたくなったオシーンは、そのことをニアヴに話すと「決して白馬から降りないで下さい。 あなたの足が土に触れたら、もう二度と私のところへは帰れないのです」と告げられる。 オシーンは決して馬から降りないと約束し、常若の国をあとにするが、途中で両足を地面につけてしまう。 その途端、目はかすみ、若さは消え、全身から力が抜け、しわくちゃの老人になってしまうのだった。 異界へ行ってわずかな時を過ごして帰ってみると、数十年、数百年の時が過ぎ去っていた、という話を、神話学では「ウラシマ効果モチーフ」とよばれている。 ちなみに中国にも「異界訪問-腐っていた斧の柄『水経注』」という、よく似た神話がある。 本書を読むと、世界の神話には全く別の地域のものにもかかわらず、内容がよく似ているものが多いと気づく。 本書では、その理由について4つの要素を上げている。 1つ目は、一方から地方に神話が伝わる伝播によるもの。 2つ目は、インド=ヨーロッパ語族の場合。 インドやギリシア、北欧のゲルマン、ケルトなどは、みな同じ言語の「家族」だ。 インドからヨーロッパにかけて分布する言語の家族であり、元々は1つの社会を営み、同じ神話を持っていたがのちの分散。 しかし分散した後も、共通の神話を受け継いできた。 3つ目は、人間の同一心理に由来するから。 これは時代と場所を問わず、人々の心のありように共通点があるということである。 4つ目は、同じような自然現象などが似た神話を生み出すことがあるから。 世界各地の神話を深掘りしていくと、新たな気づきもあるはず。 本書をきっかけに世界の神話を楽しんでみてはどうだろう。 世界各地の神話が含む類似と相違に思いを馳せることは、昔から連綿と続く人間の営みと、共通の感情に思いを馳せることなのだ。 (新刊JP編集部) 【関連記事】.

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現代によみがえる昔話 小澤 俊夫 氏

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七人坊主の祟り 序章 東京からおよそ300 km 伊豆七島の最南端にして最大の面積を誇る人口約1万人の八丈島。 黒潮の恵みを受けたこの地は夏には多くの人々を集める風光明媚な観光地である。 午前9時頃出勤してきた職員が窯の中に焼却された人骨を発見した。 その数7体・・・事件発覚の4日前から火葬場は使われておらず 施設は厳重に施錠されており、鍵を壊すことなくして 遺体を焼却し遺骨を置いて行方を眩ましたのだという。 犯人はなぜ遺体を焼却したのか? そもそも身元は誰なのか? 解決の糸口すら見出せないまま捜査は暗礁に乗り上げ時効を迎えたという。 八丈島の島民は言い知れぬ恐怖を抱いていた。 それは偶然と呼ぶには不可解すぎる7を巡る因縁が秘められていた。 語り継がれる言い伝え それは古くから八丈島に語り継がれる恐るべき事象だった。 その昔、八丈島に僧侶が漂着したところに端を欲する。 当時の大阪から出船し彼らの乗った船が嵐に遭い藍ヶ江浜と呼ばれる海岸に流れ着いた。 漂流の最中何も口にできなかった僧侶達は島をさまよったものの食べ物は得られなかった。 そんな彼がようやくたどり着いたのが中之郷村だった。 七人の僧侶は安堵と希望が芽生えた。 しかしどの家を訪ねて僧侶が食料を求めても島の人々はそれに応えることはできなかった。 なぜなら当時八丈島は大飢饉に見舞われており分け与える食べ物などまるでなかったからだ。 そればかりか さらに過酷な運命と追い立てられている なんと彼らは島民の手で山に追いやられてしまったのだ。 それから数日、山中で木の実でなんとか飢えをしのいだものの当然それでは命を繋げない 7人の僧侶は一人また一人と山中で息途絶えた。 その仕打ちの恨みが僧侶の祟りとして今も残っているという言い伝えがあるのだ。 しかし八丈島の人々は島に流れ着いた人々で厚くもてなしていたという。 事実島の文献には1547年に到着した中国の僧侶を島民が手厚く保護し 寺の住職に迎えたとの記録がある。 実はただ一人八丈島の島民が漂流者を拒んだ事件が過去に存在した。 それは僧侶が流れ着いた藍ヶ江浜に別のものが流れ着いた際、この時も島民は彼らを 介抱しようとしたが彼らの体には発疹が現れていた。 それは天然痘の兆候であった。 天然痘の伝染を防ぐために村に柵を築き外部との交通を遮断したと記されている。 当時天然痘を防ぐには患者を隔離する以外手段がなかった。 農民たちが7人の僧侶を追いやったのも天然痘の感染を恐れるがゆえの行動だったのだろう。 火葬場で発見された7つの遺体を7人坊主の祟りと信じる島の人々の感情の原因は別にあった。 禁忌へ 昭和27年 事件は林道建設の作業中の現場で起こってしまった。 その現場はくしくもあの7人の僧侶が息絶えた伝承のあった地であった。 しかしの住民ではなかった作業員はそれを信じようとはしなかった。 その瞬間地響きが発生し、巨大な地滑りが起こったのである。 作業員たちはまたたく間に土砂の渦に巻き込まれてしまった。 島の人々はそれを7人坊主の祟りだと恐れた。 なぜなら奇しくも事故で亡くなったのは僧侶と同じ7名であったからだ。 最後に+ひとり言~7ってホントにラッキー??~ 八丈島では今でも恐れられている7人坊主の話でした。 ここからは一人言ですが、最近私は7に纏わるアンラッキーな話が目に留まります。

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