上達部 現代仮名遣い。 源氏物語 「光源氏の誕生」 現代語訳

参う上りたまふにも 017 ★☆☆

上達部 現代仮名遣い

主人公・かぐや姫と竹取の翁 (筆、蔵) 竹取の翁(たけとりのおきな)によって光り輝くの中から見出され、翁夫婦に育てられた少女 かぐや姫を巡る奇譚。 『』に「 物語の出で来はじめの祖(おや) なる竹取の翁」とあるように、の物語といわれる。 後半から前半頃に成立したとされ、によって書かれた最初期の物語の一つである。 現代では『 かぐや姫』というタイトルで、絵本・アニメ・映画など様々な形において受容されている。 題名 [ ] 『竹取物語』は通称であり、平安時代から室町時代には次のように呼ばれていた。 平安時代• 『 竹取の翁』 (『源氏物語』・巻)• 『 かぐや姫の物語』 (同・巻)• 『 竹取』 (『』)• 『 たけとり』 (『』)• 『 竹取翁』 (『』) 古写本の外題では『竹取物語』の他にも、『 竹とり』(久曾神甲本・流布本第1類)、『 竹物語』(高松宮本・同第3類)、『 竹取翁物語』(古活字十行甲本・同第3類 など)と呼ばれている。 成立 [ ] 伝・後光厳天皇筆古筆切の1つ。 「火鼠の皮衣」の一節が記されている。 ・旧蔵(現在所在不明) 成立年は明らかになっていない。 原本は現存せず、はの筆とされる初期(、)の数葉が最古といわれ、完本では末期の元年()の奥付を有する「本」、無奥書だが - 頃とされる 「本」が発見されているものの、いずれも室町時代を遡るものではない。 しかし、の『』、『』や11世紀の『』、『』、また、『源氏物語』に「絵は、手は書けり」と言及されていることから、 遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。 またこの物語に関連あるものとしては、『』、『』 、『』 などの文献、『』、昔話『』、『』、『』、『』などが挙げられる。 当時の竹取説話群を元に、とある人物が創作したものと考えられる。 作者 [ ] 作者についても不詳である。 作者像として、当時の推定から庶民は考えづらく、に属しており、の情報が入手できる近隣に居住し、物語に的要素が認められることから、当時を握っていたの係累ではないと考えられている。 さらに、(・の使用)・・に精通し、仮名文字を操ることができ、の才能もある知識人で 、貴重であった紙の入手も可能な人物で、性別は男性だったのではないかと推定されている。 また、和歌の技法(・の多用、人名の使用)は時代の傾向に近いことが指摘されている。 以上をふまえ、、、、、、 など数多くの説が提唱されている。 諸本 [ ] 竹取物語の本文系統が本格的に研究の対象となったのはに入ってからである。 1930年(昭和5年)、初めてによって3系統に分類された。 1939年(昭和14年)にによって「 古本系」「 流布本系」の分類が示され 、そして昭和40年(1965年)にがそれまでの研究を受けた上で示した、流布本を3類7種とする分類が現在最も一般的なものとなっている。 古本系については、中田は2類2種、は後光厳院本を加えて3類4種に分類している。 以下に、中田・南波による分類を元にした主要伝本一覧を示す(カッコ内の伝本は分類発表時に未発表だったもの)。 流布本系 通行本系とも呼ばれる。 現在最も広く流布している本文。 第1類• 第1種 本 ・氏旧蔵本 ・ 蔵(旧蔵)本• 第2種 蔵本・旧蔵本 ・蔵甲本 このうち、 久曾神蔵甲本は極めて特異な本文を有した写本である。 第3種 旧蔵本・蔵本• 第2類• 旧蔵本・旧蔵本・書入本・書入本・(蔵J1125絵巻本)• 第3類• 第1種 蔵本・蔵本・蔵乙本・蔵筆本• 第2種• A群 蔵本 ・旧蔵本・蔵金森本・本 ・(自筆本) ・(旧蔵本)• B群 蔵本・滋岡氏 旧蔵本• 第3種• イ種 蔵本・蔵外題本・蔵本• ロ種 蔵本・ ・ など 中田によれば、現存する写本(多くの・を含む)の大半は第3類第3種に属するの転写本である。 現在最も一般的な竹取物語の本文は、第3類第3種に属する古活字十行甲本を底本とするものである。 古本系 に伝わる、が1707年(4年)に校合・書き入れを行なった1692年(5年)刊本における奥書に、 とゝせあまりふたとせ ころうつす ながとき という奥書を持つ。 すなわち1815年(十二年)の写本で、古本系統で唯一の完本である。 第3類の諸本よりも第1類の本文に近いとする説(、など)、第3類第2種のごとき三手文庫本系の転写本であるとする説( 、 )、逆に第1類より上位の本文であるとする説( )があるが、中田剛直は、三手文庫本の「古本」には極めて近似しているも全くの同一ではなく、後光厳院本本文と比較すると似閑の校合ミスと思われる異文が見られる ことからも、三手文庫本の転写ではなく、古本系内の別系統本としている。 第3類• 第1種 本・太氏本• 第2種 本・本・蔵書入本・書入写本・本 ・本・(旧蔵(中川浩文蔵)本) 全て三手文庫本の転写であり、流布本系の本文に対する書き入れ・校合の形で伝えられる。 上記の他に、伝承筆者をとする古筆切の存在がによって報告されている。 なお、和歌の一部がの『』や『』、の『』に、梗概としての本文がののである『』や注釈書である『』(共に巻についての記事)に、それぞれ引用されている。 古本系本文と流布本(通行本)系本文については、南波浩は『海道記』に引用された和歌二首が、一首が古本系からの引用であるのに対し、もう一首が流布本系と古本系を混用したものになっていることから、中期頃には既に両系が並立していたとする。 古本系本文に対しては、「中世における改変本文の可能性が強い」() 「江戸時代の学者が『竹取物語』の不審部分を合理的に理解しようとしてテキストをいじくったもの」() といった批判的な意見もあるが、中田剛直は『花鳥余情』の梗概本文は新井本に近い古本系の一本に近似すること、古型をもつと指摘される京大本や狩野文庫本などの『風葉和歌集』の竹取和歌が古本系であることから、「現存古本系統系の一本が、通行本系に先行せるものではないか」 とし、も「まさに「古本」と称する価値の本文を有するもの」 と述べるなど肯定的な意見もあり、意見が分かれている。 あらすじ [ ] ここでは現在一般的に知られている話を紹介する。 かぐや姫の誕生 [ ] 今となっては昔のことであるが、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた翁とその妻の嫗がいた。 翁の名は さぬき の といった。 ある日、翁が竹林にでかけると、光り輝く竹があった。 不思議に思って近寄ってみると、中から三 (約 9 cm)程の可愛らしいことこの上ない女の子が出て来たので、自分たちの子供として育てることにした。 その後、竹の中に金を見つける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。 翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで妙齢の娘になったので、髪を結い上げる儀式を手配し、を着せた。 この世のものとは思えない程の美しさで、家の中には暗い場が無く光に満ちている。 翁は、心が悪く苦しいときも、この子を見れば消えた。 この子はとても大きくなったため、御室戸斎部(みむろどいんべ) の秋田を呼んで名前をつけさせた。 秋田は「 なよ竹のかぐや姫」と名づけた。 このとき人を集めて詩歌や舞など色々な遊びを催し、三日に渡り盛大な祝宴をした。 幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画) 5人の公達からの求婚 [ ] 世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。 その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつくは後を絶たず、彼らは翁の家の垣根にも門にも、家の中にいる人でさえかぐや姫を容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、覗き込むほど夢中になっていた。 そのような時から、女に求婚することを「よばひ」と言うようになった。 その内に、志の無い者は来なくなっていった。 最後に残ったのは色好みといわれる五人の公達で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきた。 五人の公達は、、、、、といった。 これを見て翁がかぐや姫に「仏のように大切なわが子よ、変化の者 とはいえ翁も七十となり今日とも明日とも知れない。 この世の男女は結婚するもので、あなたも結婚のないままいらっしゃるわけにはいかない」と言うとかぐや姫は、良くもない容姿で相手の深い心も知らずに結婚して、浮気でもされたら後悔するに違いないとし、「世の畏れ多い方々であっても、深い志を知らないままに結婚できません。 ほんのちょっとしたことです。 『私の言う物を持って来ることが出来た人にお仕えいたしましょう』と彼らに伝えてください」と言った。 夜になると例の五人が集まって、或る者は笛を吹き、或る者は和歌を詠い、或る者は唱歌し、或る者は口笛を吹き、扇を鳴らしたりしていた。 翁は公達を集めてかぐや姫の意思を伝えた。 その意思とは石作皇子には「仏の」、車持皇子には「の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」、右大臣阿倍御主人には「の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」、大納言大伴御行には「の首の珠」、中納言石上麻呂には「の産んだ」を持って来させるというものだった。 どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。 石作皇子はの山寺にあった只の鉢を持っていき嘘がばれたが、鉢を捨ててまた言い寄ったことから、思い嘆くことを「はぢを捨てる」 と言うようになった。 車持皇子は玉の枝の偽物をわざわざ作ったがその報酬を支払われていない職人たちがやってきて偽物と発覚、長い年月姿が見えなかったことから「たまさがなる」 と言うようになった。 阿倍はの商人から火鼠の皮衣を購入した。 この衣は本来燃えぬはずであったが、姫が焼いてみると燃えたので贋作と分かり、阿倍に因んでやり遂げられないことを「あへなし」 と言うようになった。 大伴は船で探索するが嵐に遭い、更に重病にかかり両目は二つののようになり、世間の人々が「大伴の大納言は、龍の首の珠を取りなさったのか」「いや、御目に二つ李のような珠をつけていらっしゃる」「ああたべがたい」と言ったことから、理に合わないことを「あなたへがた」 と言うようになった。 石上はのという名のが据えてある小屋の屋根に上って子安貝らしきものを掴んだが転落して腰を打ち、しかも掴んだのは燕の古い糞であり貝は無かったことから、期待外れのことを「かひなし」 と言うようになった。 その後、中納言が気弱になり病床にあることを聞いたかぐや姫が「まつかひもない」 と見舞いの歌を送ると中納言はかろうじて、かひはなくありけるものを 、と返歌を書き息絶えた。 これを聞いてかぐや姫は少し気の毒に思ったことから、少し嬉しいことを「かひあり」(甲斐がある)と言うようになった。 結局、かぐや姫が出した難題をこなした者は誰一人としていなかった。 帝からの求婚 [ ] そんな様子がにも伝わり、帝は姫に会いたがった。 使いとして房子を派遣し、房子は嫗にかぐや姫と対面させるよう迫るが、再三の説得にも関わらず、ことごとく拒絶される。 この事を帝に伝えると、帝は一旦は思いとどまったものの、やはり会いたくなり、翁を呼び出して「姫を差し出せば官位をやる」と告げる。 喜ぶ翁の取りなしにもかかわらず、かぐや姫は「帝がお召しになって仰られたとしても、畏れ多いとも思いません」と言い姿を見せようともしない。 帝は「多くの人を殺してきた心であるよ」と言ったが、なおこの女の心積もりに負けてなるものかと諦めない。 かぐや姫は「無理にお仕えさせようとなさるならば消え失せてしまうつもりです」と翁に言った。 翁がこの事を帝に伝えると、帝は狩りに行幸するふりをして会うことを提案する。 翁もそれに賛同した。 帝が狩りに行くついでに不意をつき、かぐや姫の家に入ると、光に満ちて清らかに坐っている人を見た。 帝は初めて見たかぐや姫を類なく美しく思い、を寄せて連れて行こうとしたが、姫は一瞬のうちに姿(実体)を影(光)と化した。 本当に地上の人間ではないと帝は思ったが、より一層すばらしい女だと思う気持ちが抑えがたい。 帝は、魂をその場に留め置いている心地でかぐや姫を残して帰った。 日頃仕えている女官たちを見ると、かぐや姫の近くに寄っていられる人さえない。 他の人より清く美しいと思っていた人は、あのかぐや姫に比べると人並でもない。 かぐや姫ばかりが心にかかって、ただ一人で過ごしている。 かぐや姫のもとにだけ、手紙を書いて文通している。 月の都へ [ ] 月へ帰って行くかぐや姫(同上) 帝と和歌を遣り取りするようになって三年の月日が経った頃、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになった。 八月の満月が近づくにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、翁が問うと「自分はこの国の人ではなく月の都の人であって、十五日に帰らねばならない。 ほんの少しの間ということであの国からやって来たが、この様にこの国で長い年月を経てしまった。 それでも自分の心のままにならず、お暇申し上げる」という。 それを帝が知り、翁の意を受けて、勇ましい軍勢を送ることとなった。 その十五日には、各役所に命じ勅使として中将高野大国を指名し、を合せて二千人を竹取の家に派遣する。 家に行って、築地の上に千人、建物の上に千人、家の使用人がとても多かったのと合わせて、空いている隙もなく守らせた。 嫗は、塗籠 の内でかぐや姫を抱きかかえている。 翁も、塗籠の戸に錠を下ろして戸口にいる。 かぐや姫は「私を閉じ込めて、守り戦う準備をしていても、あの国の人に対して戦うことはできないのです。 弓矢で射ることもできないでしょう。 このように閉じ込めていても、あの国の人が来たら、みな開いてしまうでしょう。 戦い合おうとしても、あの国の人が来たら、勇猛な心を奮う人も、まさかいないでしょう」という。 翁は迎えを、長い爪で眼を掴み潰そう、髪の毛を取って引き落とし、尻を引き出して役人たちに見せて恥をかかせてやろうと腹を立てている。 かぐや姫は「大声でおっしゃいますな。 屋根の上にいる者どもが聞くと、大層よろしくない。 お爺さま、お婆さまのこれまでのご愛情をわきまえもしないでお別れしようとすることが、残念でございます。 両親に対するお世話を、僅かも致さずに、帰っていく道中も安らかにはなりますまい。 あの都の人は、とても清らかで美しく、老いることもないのです。 もの思いもありません。 そのような所へ行くことも、嬉しいとも存じません」と言った。 そして子の刻(真夜中頃)、家の周りが昼の明るさよりも光った。 大空から人が雲に乗って降りて来て、地面から五尺(約1. 5メートル)くらい上った所に立ち並んでいる。 内外の人々の心は、得体が知れない存在に襲われるようで、戦い合おうという気もなかった。 何とか心を奮って弓矢を構えようとしても、手に力も無くなって萎えてしまった。 気丈な者が堪えて射ようとしたが矢はあらぬ方へ飛んでいき、ただ茫然とお互い見つめ合っている。 王と思われる人が「造麻呂、出て参れ」と言うと、猛々しかった造麻呂も、何か酔ったような心地になって、うつ伏せにひれ伏している。 王は「お前、幼き者 よ。 少しばかり翁が善行を作ったから助けにと、僅かばかりの間ということで姫を下したところ、長い年月の間に多くの黄金を賜って、お前は生まれ変わったように金持ちになったのだ。 かぐや姫は罪を御作りになったので、このように賤しいお前の元にしばらくいらっしゃったのだ。 罪の期限は過ぎた。 早くお出し申しあげよ」と翁に言うが、翁は従わない。 屋根の上に飛ぶ車を近づけて「さあ、かぐや姫。 穢れた所(地上)にどうして長く居られるのでしょうか」と言うと、締め切っていた戸や格子が即座に開いていく。 嫗が抱きかかえて座っていたかぐや姫は、外に出てしまう。 かぐや姫は、せめて天に上っていくのだけでもお見送りくださいと言うが翁は泣き伏してしまう。 「御心が乱れてしまっている」と見かねたかぐや姫は「この先、恋しい折々に、取り出してご覧ください」と手紙を書き置いた。 の中の者に持たせた箱があり、それには 天の羽衣が、また別の箱には 不死の薬が入っている。 一人の天人が姫に「穢い所の物を召し上がっていたのでご気分が悪いことでしょう」と言い薬を持って寄ったのでかぐや姫は僅かに嘗め、天の羽衣を着せようとしていた天人を制し、帝への手紙と歌を書いた。 その歌には、 いまはとて 天の羽衣 着る時ぞ 君をあはれと おもひいでぬる と詠んだ。 その手紙に、薬を添えて頭中将へ渡させた。 中将が受け取ると天人がさっと天の羽衣を着せたので、かぐや姫のこれまで翁を痛ましい、愛しいと思っていたことも消えてしまった。 この羽衣を着た人は物思いがなくなってしまうのだったから、かぐや姫は車に乗って昇ってしまった。 エピローグ [ ] 帝は手紙を読みひどく深く悲しみ、何も食べず詩歌管弦もしなかった。 大臣や上達部を呼び「どの山が天に近いか」と尋ねると、ある人が駿河の国にあるという山だと言うのを聞き「会うことも無いので、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬が何になろう」と詠み、かぐや姫からの不死の薬と手紙を、壺も添えて使者に渡し、つきの岩笠 という人を召して、それらをにある日本で一番高い山で焼くように命じた。 その由緒を謹んで受け、「士(つわもの)らを大勢連れて、不死薬を焼きに山へ登った」ことから、その山を「ふじの山」 と名づけた。 その煙は今も雲の中に立ち昇っていると言い伝えられている(つまり、書かれた当時の富士山の火山活動が活発であったことを示している)。 物語としての性格 [ ] 『月宮迎』(『月百姿』) この作品には、下記に挙げたような非常に多様な要素が含まれているにもかかわらず、高い完成度を有していることから物語、または古代小説の最初期作品として評価されている [ ]。 かぐや姫が竹の中から生まれたという 竹中生誕説話(異常出生説話)• かぐやが3ヶ月で大きくなったという 急成長説話• かぐや姫の神異によって竹取の翁が富み栄えたという 致富長者説話• 複数の求婚者へ難題を課していずれも失敗する• 帝の求婚を拒否する 帝求婚説話• かぐや姫が月へ戻るという 昇天説話(羽衣説話)• 富士山の地名由来を説き明かす 地名起源説話 大きく捉えれば、天人女房型説話が求婚難題譚を挟んだ形になっているが、これは単なる伝承の継ぎ接ぎではない。 それら伝承を利用しつつ、「人間の姿そのものという新たな世界」を創り出そうとしたところに、物語文学の誕生があるからである。 竹中生誕説話において、竹は茎が空洞であることや成長の急激さにより神聖視され、説話の重要な構成要素の一つになっている。 その特徴を顕著に示す話の一つが『竹取物語』であり同系列の昔話に『』、『』がある。 竹中誕生譚は他の異常誕生譚に比べると事例が稀で、日本国内よりはむしろやに多い。 『』も継子の霊が竹になり、それで作った笛を父親が吹くとが自分の消息を伝える。 日本の昔話では竹中の精霊は人間界に留まれないものが多い。 竹は神のであると同時に呪力を持つと考えられていた。 の竹を畑に立てての虫除け、耳病に火吹竹をあてる等の風習が地方にはあり、またの杖が根づいたり、呪言とともに逆さにした竹が成長したという神聖視する心意の伝説も多い。 竹は普段の生活に密着しており、その点でも説話の生成伝播を促した。 多くの要素を含んでいるため、他作品との類似性ないし他作品からの影響が指摘されている。 『竹取物語』は、から来た主人公が貧しい人を富ませた後に再び異界へ去っていくという構造から成り立っており、構造的にはと同一である。 南波浩は、この物語の成立系統を次のように推定している。 伝承竹取説話 今昔物語集 竹取説話 部分的改変 現存諸本 平安時代後期の『今昔物語集』にも竹取物語と同様の説話(巻31第33「竹取翁、見付けし女の児を養へる語」)が採集されているが、求婚者への難題は「空に鳴る雷」「優曇華」「打たぬに鳴る鼓」の3題のみで個人別ではなく、月へ帰る夜もでなく、富士山の地名由来譚も登場しないといった、『竹取物語』より簡略化された内容である。 『今昔』所収の竹取説話は、(既に成立していた『竹取物語』を参照していた可能性はあるものの)口頭伝承されてきた「伝承竹取説話」の古態を伝えているのではないかとしている。 なお、後年の作家によって、本作は「世界最初の」と言及される事がある(著の「」の後書きなど)。 しかしながら実際には、古代の作家の書いた『』と『』のほうが古い。 登場人物と時代 [ ] かぐや姫のモデル [ ] 『竹取物語』のかぐや姫のモデルとして、『』にの妃として記載される、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の娘「迦具夜比売命」( かぐやひめのみこと)を挙げる説がある。 このの弟に「 讃岐垂根王」(さぬきたりねのみこ)がいる。 『古事記』によるとこの兄弟は、がの大県主・由碁理(ゆごり)の娘「竹野比売」(たかのひめ)を召して生まれた(ひこゆむすみのみこ)を父としており、「竹」との関連が深い。 『』には開化天皇妃の「丹波竹野媛」の他、垂仁天皇の後宮に入るべく丹波から召し出された5人の姫のうち「竹野媛」だけが 国に帰されたという記述がある。 他にモデルとして、の子孫でまたはの娘であるなどを挙げる説がある。 また、史研究者のは、のや、675年正月にに拝謁した人(人)のととする説を出している。 時代設定 [ ] の・は、『竹取物語』中のかぐや姫に言い寄る5人の貴公子が『』の5年(701年)に記されているにそっくりだと指摘した。 諸平は、、、は実在の人物であり、車持皇子のモデルは、のとの説があり母の姓が「庫持」である、石作皇子のモデルは、の四世孫で「石作」氏と同族だった(丹比真人島)だと述べている。 しかし、物語中の4人の貴公子まではその実在の公卿4人が連想されるものの、5人のうち最も卑劣な人物として描かれる車持皇子と、最後のひとり藤原不比等がまるで似ていないことにも触れている。 だが、これは反対であるがゆえに不比等本人ではないかと推測する見方もでき、表向きには言えないがゆえに、車持皇子を「卑怯である」と書くことによって陰に藤原氏への悪口を含ませ、藤原氏を批判しようとする作者の意図がその文章の背後に見えるとする意見もある。 この5人はいずれもの功臣で・に仕えた人物であることから、初期が物語の舞台だったと考えられている。 また、この時期にが噴気活動中の火山として描かれていることから、科学論文に成立などが引用されることがある古典のひとつである。 由縁の地 [ ] 日本各地に竹取物語由縁の地と名乗る地域があり、竹取物語(かぐや姫)をテーマにしたまちづくりを行っている。 また以下の7市町(市町村コード順)では「かぐや姫サミット」という地域間交流が定期的に開催されてはいるものの、行政間での繋がりの交流であり、直接「竹取物語の舞台」だということにこだわった「サミット」を行っているのではない。 これら地域は、上記に記されたような地名起源説などは無く、竹林の関係や天女伝説地、地名に「竹原」とある等の関係からであって物語発祥にこだわった団体ではない。 を主祭神と祀るの総本社・• 「富士山縁起」という富士山の伝説・霊験等を記した史料が静岡県や富士市といった富士山南麓の各寺社に伝来しており、かぐや姫は最後に月に帰るのではなく富士山に登って消えていくという構成となっている (「」を参照)。 諸本により「かぐや姫」の表記は異なり「赫夜姫」「赫屋姫」「赫耶姫」等が確認され 、富士市は山麓にある竹林を由来としている。 祭神のがかぐや姫のモデルだとする説もあるが、祭神を木花咲耶姫に擬するのは近世からともされる。 京都府 竹の子の里であり孟宗竹が多い。 孟宗竹は江戸時代からのものである。 奈良県 竹取の翁は「讃岐の造(さぬきのみやつこ)」と呼ばれていることから、竹取物語の舞台は大和国散吉(さぬき)郷(現奈良県広陵町三吉)と考えられている。 また、かぐや姫に求婚をした5人の貴族が住んでいたと想定されるから十分通える距離であり、「竹取物語ゆかりの神社」と称するも鎮座している。 岡山県(現)• 広島県• 香川県(現)• 鹿児島県(現) かぐや姫サミット以外の市町村• 滋賀県の辺り 日本最古の羽衣伝説の舞台となったや、背後の山の字名が「」と呼ばれる(いかぐ)、石作の皇子を連想させる、月を連想させるといった、竹取物語に登場する事物に関係するような神社や地名が多数点在する。 また、かぐや姫に求婚をした5人の貴族が住んでいたと想定されるから、馬を乗り継ぐ等すれば通えなくはない距離である。 京都府• 京都府• 奈良県 古代歴史の舞台である飛鳥や藤原京の南に位置する高取山は、中世には高取城がそびえたち、現在も立派な石垣が残っている。 この高取山が、竹取の翁が住んでいた場所だという説がある。 鎌倉時代に僧・仙覚が、江戸時代にも国学者・契沖が、「竹取」は「タカトリ」と読み、高取山が竹取説話の舞台であるという説を唱えている。 外国語訳 [ ] イタリア語、ドイツ語、英語、ヒンディー語、ロシア語、ルーマニア語、スペイン語、フランス語などに訳されている。 最初期のものにイタリア語訳(1880年) 、ドイツ語訳、ドイツ語訳からの英語訳がある。 日本語原文からの最初の英訳がによる訳 "The Old Bamboo-Hewer's Story"(1888年) であり、次いで宣教師による訳 "Princess Splendor : the wood-cutter's daughter"(1895年) 、による抄訳(1899年) がある。 ディキンズは、から前訳を批判され、一時は大喧嘩になったものの、熊楠の協力のもと、1906年に"The Story of The Old Bamboo Wicker-Worker"と題を改め、訂正を入れた新訳を発表した。 この論争を通じて、ディキンズと熊楠は無二の親友になった。 海外の類話とそれに関する諸説 [ ] アバ・チベット族「斑竹姑娘」との関連 [ ] 「」も参照 竹取物語に似た日本国外の民間伝承としては、例えばのに伝わる「」(はんちくこじょう)という物語 がある。 内容は、竹の中から生まれた少女が、領主の息子たちから求婚を受けたが難題をつけて退け、かねてより想いを寄せていた男性と結ばれるという話だが、中でも求婚の部分は、宝物の数、内容、男性側のやりとりや結末などが非常に酷似している。 () は、原説話が日本とアバ・チベット族に別個に伝播翻案され「竹取物語」と「斑竹姑娘」になったとした。 これに対し、() は、『金玉鳳凰』収載の「斑竹姑娘」の改訂過程への疑問と翻案説に賛成しないとした。 近年の研究では、() はむしろ「斑竹姑娘」の方が「竹取物語」の翻案であるとしている。 刊行本 [ ]• () 原文・校注 [ ] 本文• 『竹取物語本文集成』王朝物語史研究会 編 2008年9月 流布本系• 『 9 竹取物語 』 校訂 岩波書店 1957年10月• 『竹取物語』 校訂 、1970年、• 『 8 竹取物語、、、』 校訂 小学館 1972年12月• 『 竹取物語』 校注 1979年5月• 『新編日本古典文学全集 12 竹取物語、伊勢物語、大和物語、平中物語』 校訂 小学館 1994年12月• 『新日本古典文学大系 17 竹取物語 伊勢物語』 校訂 岩波書店 1997年1月 古本系• 『日本古典全書 竹取物語・伊勢物語』 校注 、1960年• 『かぐや姫と絵巻の世界 一冊で読む竹取物語 訳注付』 ・・編 2012年10月 現代語訳 [ ]• 『完訳日本の古典 第10巻 竹取物語、伊勢物語、』小学館 1983年• 『竹取物語』 訳 角川文庫、1987年、• 『現代語訳 竹取物語』 訳 、2013年11月 解説書 [ ]• 『竹取翁物語解』 著 松屋書店、明治28年(1895年)(『』 - ) 関連作品 [ ]• やは頃の書写とするが、吉田によれば、「題簽朱地短冊に模様のある料紙が、、などがその書写本に用いているものと同じであり、本文の書風から推しても、慶長まで下るものとは思われない」という。 などを歴任し、仁和2年(886年)から仁和6年(890年)まで、竹取の翁の名・讃岐造と同じの讃岐守に遷任したことがあり、自身の出生もので語られる。 やは、後光厳院筆断簡を古本とも流布本とも異なる別系統とする。 前の書写本を、がの1592年(20年)に一度校正、1596年(5年}に「松下民部少甫述久本」(第3類第2種の尊経閣本か)を以て重校した旨の奥付を有する。 紹巴本の発見までは最古の写本と言われていた。 国文学者の旧蔵で、現在は所蔵、。 後述するように古本書入を有する。 現在は図書館蔵。 ではなくの方である。 現在は國學院大學図書館蔵。 武藤本の校正者でもあるが3年()以前に書写した本の転写本であるが、427項(誤写等を除いても205項)もの独自異文を有し、これは古本系と流布本系との異文数546項に匹敵する。 中田は、異文に本文を簡略化する傾向が極めて多い点から、「の絵詞本文ではなかつたらうか」と指摘している。 のチェスター・ビーティ図書館蔵。 江戸初期、の写と見られ、の近辺で制作されたのではないかとする指摘がある。 の筆と見られており、中田は武藤本に校合されている「松下本」(時慶と知己であり、の師であったといわれる神官の蔵本か)と同一とする。 巻第309・物語部3に収載。 蔵本に「古写本三本」(うち二本は滋岡本、内閣文庫本か)「活版本」「」(正保3年刊本)を校合した旨の識語を有する。 紹巴による1570年(元年}の奥書を持ち、書写年代が明らかな写本としては現在最古。 中田剛直「竹取物語の研究 校異篇・解説篇」、1965年には未収載だが、pp. 211を始めとする第3類第2種の分類基準に従う。 現在蔵。 中田剛直「竹取物語の研究 校異篇・解説篇」、1965年には未収載だが、pp. 211を始めとする第3類第2種の分類基準に従う。 の神職家。 行数と刊行時期による分類で、十行甲本・乙本・(丙本)、十一行甲本・乙本・丙本・丁本がある。 このうち十行甲本・十一行甲本はの頃のもので、最も古いとされる。 年代に関しては諸説あるが、は末期(14世紀初期)、やは室町時代初期以前、は室町時代中期から後期としている。 書写者名と見られるが未詳。 流布本系第1類第1種の平瀬本への書入本文のこと。 好事家に渡つたらしく、紹介される見込は少ないが注目すべきものと思はれ、公開が望まれる」と述べられているのみで、本文などの情報は一切不明である。 武藤本(流1-1)・高山図書館本(流1-1)・武田本(流1-2)・島原本(流2)・蓬左文庫本(流3-1)・吉田本(流3-1)等に「さかき」。 山岸本(流1-3)・群書類従本(流3-2)に「さぬき」。 他流布本、並び古本に「さるき」。 この物語には「三」という数字が頻出する。 三室戸斎部とも。 はの祭祀を司る氏族。 なよ竹は「しなやかな竹」という意味で、ちらちらと揺れて光ることを「かがよう」という。 「夜這い」の語は本来結婚を求める「呼ぶ」に由来する言葉とされている。 ここでは「夜に這い回る」を語源とする新解釈を創作している。 神仏が人の形をとって顕現した姿、または化物の類。 「鉢を捨てる」と「恥を捨てる」。 「玉(玉の枝)が悪い」と「魂(性質)が悪い」。 「阿倍なし」と「敢へなし」("敢えない"、張り合いがない)。 「あな食べ難」(ああ食べにくい)と「あな堪へ難」(ああ耐え難い)。 「貝無し」と「甲斐なし」。 『年を経て浪たちよらぬ住吉のまつかひなしときくはまことか』。 "幾年も経って浪が打ち寄せなくなった住吉の浜の「松」のように待っていたのに「貝がない」なら、「待つ」「甲斐がない」と聞くけれど、本当なの?"• 「かひはなく有りける物をわびはててしぬる命をすくひやはせぬ」。 "かい(貝・甲斐)は無かったけれど、思い悩んで死んでいく命を、かい(匙)で掬うように、救ってはくれないのか"。 人間界での長い年月はにとって僅かな時間に当たる。 周囲を壁で塗り籠めた部屋。 未熟者。 天界と人界では時の感覚が異なり、翁といえど「幼き人」。 あるいは単に「幼稚」(=愚かな)の意味か。 最後だと、天の羽衣を着るまさにその時に、ふとあなたをしみじみと思い出してしまうものね。 月世界への思いを表現する仕事に相応しい氏。 新井本(古2)「いはかど」。 その他流布本「いはかさ」。 「(士に富む山)」と「不死の山」。 これは適当でないという説もある。 「筒木」は筒状の木と解すれば竹、また「星」の古語「つづ」との関わりもあり、同音の「(山城国綴喜郡)」にはを祀るとを祀る式内社が鎮座する。 中川浩文は『竹取翁物語解』を主な典拠にしていると推測している。 長谷川武次郎のちりめん本の英訳。 著書『日本文学史』に収載。 名誉教授で東洋史専門• 教授で古代文学専門• 教授で国文学専門• イギリスのロンドン市のチェスター楽譜出版社の作曲コンクールに応募し入賞。 これは日本人初の国際的作曲コンクール入賞作品で報道もされた(現在その楽譜は失われたとされる)。 参考文献 [ ] []• 南波浩「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 pp.. 『竹取物語本文集成』王朝物語史研究会 編 勉誠出版 2008年9月、p. 「竹取物語 古写本三種」、1973年 pp.. 254• 巻16第3791歌 - 第3793歌。 ウィキソースに の原文があります。 巻31『本朝付雑事』第33「竹取翁、見付けし女の児を養へる語」• ・・編『かぐや姫と絵巻の世界 一冊で読む竹取物語 訳注付』 pp.. 174• 「国語教育」15巻第10号、1930年5月• 新井信之「竹取物語の研究 本文篇」国書出版、1944年 pp. 「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 pp.. 36-40• 中田剛直「竹取物語の研究 校異篇・解説篇」、1965年 pp. 170-171• 曽根誠一「『竹取物語』奈良絵本・絵巻の本文考 : 正保三年刊整版本の独自異文を視点とした粗描」、『花園大学文学部研究紀要』45, 1-17、2013年 pp. 中田剛直「竹取物語の研究 校異篇・解説篇」、1965年 pp. 258• 『古筆学大成』第23巻「物語・物語注釈」講談社、1992年6月 pp. 13-14• 編「古筆学のあゆみ」、1995年 pp.. 119-120• 『古本竹取物語校註解説』国文学会出版部、1954年 pp. 中川浩文『竹取物語の国語学的研究 中川浩文論文集 上巻』1985年 pp. 「竹取物語 解説」pp. 12(『竹取物語 田中大秀旧蔵』、1982年)• 中田剛直「竹取物語の研究 校異篇・解説篇」、1965年 pp. 140• 中川浩文『竹取物語の国語学的研究 中川浩文論文集 上巻』1985年 pp. 296• 中田剛直「竹取物語の研究 校異篇・解説篇」、1965年 pp. 135• 藤井隆「物語系古筆切について(補遺篇)」『名古屋大学国語国文学』第14号、1964年4月 pp. 南波浩「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 pp.. 片桐洋一「校訂付記」『新編日本古典文学全集 12 竹取物語、伊勢物語、大和物語、平中物語』小学館、1994年12月 pp. 、2010年8月• 中田剛直「竹取物語の研究 校異篇・解説篇」塙書房、1965年 pp. 282• 、1998年9月• 「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 pp.. 141• ・・編『かぐや姫と絵巻の世界 一冊で読む竹取物語 訳注付』 pp.. 105• 南波浩「日本古典全書 『竹取物語・伊勢物語』」朝日新聞社、1960年 pp.. 孫崎紀子「『竹取物語』のかぐや姫はイラン人だった」,現代ビジネス、近藤大介「北京ランダム・ウォーカー 革命から33周年 過去10年で最高の危険水域に達しているイランの危機」2012年2月13日• 著『古代史謎解き紀行 I ヤマト編』ポプラ社、2006年• 大高康正、「富士山縁起と「浅間御本地」」、『中世の寺社縁起と参詣』、竹林舎、2013年• 植松章八、「杉田安養寺本『冨土山大縁紀』翻刻・解題」『富士山文化研究』、2013• 1-16, :• 中川浩文『竹取物語の国語学的研究 中川浩文論文集 上巻』1985年 思文閣出版 pp. 325• 松居竜五、月川和雄、中瀬喜陽、桐本東太編、講談社()1993年4月• 編『金玉鳳凰』、中華人民共和国・上海、1961年 に収載/邦訳:田海燕編・訳『チベットのものいう鳥』、1977年• 奥津春雄『竹取物語の研究 - 達成と変容』、2000年 関連文献 [ ]• 野村純一他編著『昔話・伝説小事典』、みずうみ書房刊、• 著『古代史謎解き紀行 I ヤマト編』、、2006年、• 著『トンデモ日本史の真相 と学会的学講義』、文芸社、2007年、、109-112頁• 『竹取物語』の受容から見る、日本と中国の関連. 学習院大学大学院日本語日本文学 第11号. 2015 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキソースに の原文があります。 ウィキクォートに に関する引用句集があります。 ウィキブックスに 関連の解説書・教科書があります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 、リサーチ・ナビ テキスト・解説 [ ]• 、日本古典文学テキスト• 全文訳(意訳あり)• 図書館()• 、物語学の森• 写本・版本 [ ] 古本系• 後光厳院本(断簡):第1類 頃写• 図書館 : 竹取物語断簡(伝後光厳天皇筆)、• 平瀬本:第3類第2種(朱筆書入部分)• 図書館 : 流布本系• 平瀬本:第1類第1種(本文部分)16年(1639年)写• 図書館 :• 武田本:第1類第2種 近世初期写• 國學院大學図書館デジタルライブラリー :• 群書類従本:第3類第2種A群 江戸後期刊• デジタルコレクション :• 古活字十行甲本:第3類第3種ロ種 年間(1596年 - 1615年)刊• 国立国会図書館デジタルコレクション :• 正保3年刊本:第3類第3種ロ種 3年(1646年)刊• 日本古典籍総合目録データベース : 絵巻・奈良絵本 [ ]• 電子図書館• 、「歌書と奈良絵本」展• 、国立国会図書館• 、附属図書館所蔵• 、図書館• 、立教大学• 、メトロポリタン美術館 自治体関連 [ ]•

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堤中納言物語

上達部 現代仮名遣い

いつの帝の御代であっただろうか、 女御 にょうご 、 更衣 こうい あまた候ひ給ひけるなかに、 女御や行為の方が、大勢お仕え申し上げていらっしゃった中に、 いとやんごとなき 際 きわ にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。 それほど高貴な身分ではない人で、格別に帝のご寵愛を受けていらっしゃる方があった。 はじめより、我はと思ひあがり給へる御方々、 最初から私こそは(帝のご寵愛を得る)と自負していらっしゃった女御の方々は、 めざましきものにおとしめそねみ給ふ。 (格別のご寵愛を受けているこの更衣を)心外で気にくわない者として軽蔑したり嫉妬したりなさる。 同じ程、それより 下 げ 臈 ろう の更衣たちは、ましてやすからず。 (この更衣と)同程度、あるいはそれより低い身分の更衣たちは、(女御たちよりも)いっそう心中穏やかでない。 朝夕の宮仕につけても、人の心をうごかし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、 朝夕の宮仕えにつけても、周りの人の心を動かしてばかりいて、恨みを受けるのが積み重なったのであったのだろうか、 いとあつしくなりゆき、物心細げに里がちなるを、 (この更衣は)ひどく病弱になってゆき、なんとなく心細そうな様子で実家に帰りがちであることを、 いよいよ飽かずあはれなるものに 思 おぼ ほして、 (帝は)ますます飽き足らず愛しい者とお思いになって、 人のそしりをもえ 憚 はばか らせ給はず、 人々の非難をも気にすることがおできにならず、 世の 例 ためし にもなりぬべき御もてなしなり。 世の話の種にもなってしまいそうなおふるまいである。 上達部 かんだちめ 、 上人 うえびと などもあいなく目をそばめつつ、 上達部や殿上人たちもなんとなく目を背けるという状態で、 いとまばゆき人の御おぼえなり。 本当にまぶしいほどのこの更衣へのご寵愛ぶりである。 もろこしにも、かかる事の起りにこそ世も乱れ 悪 あ しかりけれと、 「中国においても、こういうことが原因となって、世の中も乱れ悪くなった。 」と、 やうやう 天 あめ の 下 した にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、 しだいに世間でも苦々しく思われ、人々の心配の種になって、 楊 よう 貴 き 妃 ひ の 例 ためし も引き出でつべくなりゆくに、 楊貴妃の先例までも引き合いに出しそうなほどになっていくので、 いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへの 類 たぐい なきをたのみにて 交 ま じ らひ給ふ。 (桐壷の更衣にとって)まことに不都合なことが多いけれども、(帝の)もったいないほどの御心遣いが比類もないほどなのを頼みに思って、(他の女御・更衣の方々と)宮仕えしていらっしゃる。 続きはこちら -.

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参う上りたまふにも 017 ★☆☆

上達部 現代仮名遣い

スポンサーリンク 「 堤中納言物語」は平安時代後期に書かれたと思われる、 短編集です。 10篇の物語と1篇の断章をふくみます。 作者も編集した人も、わかっていません。 それぞれの話は短く、オチも山場もハッキリしています。 ピリッと味がきいた、短編の見本といった感じです。 これから古典に親しもうという方には、よい入り口だと思います。 どの話も文庫本にして10ページ前後の話ばかりで、 読みやすいです。 つかれません。 虫愛づる姫君 「 虫愛づる姫君」は特に有名かつ、完成度が高い話です。 毛虫を可愛がる姫さまの話。 「げえっ」と思いますが、 少し読めば主人公の姫さまが、とても可愛いということに気づきます。 姫君が、虫を取ってくる係の童たちに片っ端から虫の名前をつけまくるあたりは、 特にかわいく描かれており、ほほえましいです。 子供たちや姫の父親など、脇役の描写もトボけた味があり 活き活きしています。 「風の谷のナウシカ」の元ネタとして知られます。 原文 蝶めづる姫君の住みたまふかきたはらに、按察使の大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふこと限りなし。 この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。 人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを取り集めて、「これが、成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ。 中にも「烏毛虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ」とて、明け暮れは、耳はさみをして、手のうらにそへふせて、まぼりたまふ。 若き人々はおぢ惑ひければ、男の童の、ものおぢせず、いふかひなきを召し寄せて、箱の虫どもを取らせ、名を問ひ聞き、いま新しきには名をつけて、興じたたまふ。 「人はすべて、つくろふところあるはわろし」とて、眉さらに抜きたまはず。 歯黒め、「さらにうるさし、きたなし」とて、つけたまはず。 いと白らかに笑みつつ、この虫どもを、朝夕に愛したまふ。 人々おぢわびて過ぐれば、その御方は、いとあやしくなむののしりける。 かくおづる人をば、「けしからず、ぼうぞくなり」とて、いと眉黒にてなむ睨みたまひけるに、いとど心地惑ひける。 親たちは、「いとあやしく、さまことにおはするこそ」と思しけれど、「思し取りたることぞあらむや。 あやしきことぞ。 思ひて聞こゆることは、深く、さ、いらへたまへば、いとぞかしこきや」と、これをも、いと恥づかしと思したり。 「さはありとも、音聞きあやしや。 人は、みめをかしきことをこそ好むなれ。 『むくつけげなる烏毛虫を興ずなる』と、世の人の聞かむもいとあやし」と聞こえたまへば、「苦しからず。 よろづのことどもをたづねて、末を見ればこそ、事はゆゑあれ。 いとをさなきことなり。 烏毛虫の、蝶とはなるなり」そのさまのなり出づるを、取り出でて見せたまへり。 「きぬとて、人々の着るも、蚕のまだ羽つかぬにし出だし、蝶になりぬれば、いともそでにて、あだになりぬるをや」とのたまふに、言ひ返すべうもあらず、あさまし。 さすがに、親たちにもさし向ひたまはず、「鬼と女とは、人に見えぬぞよき」と案じたまへり。 母屋の簾を少し巻き上げて、几帳いでたて、しかくさかしく言ひ出だしたまふなりけり。 口語訳 蝶をかわいがっている姫君がお住まいになっている館の隣に、按察使の大納言の姫君のお屋敷があった。 奥ゆかしく並大抵で無い感じの姫君で、親たちはたいそう可愛がっていた。 この姫君がおっしゃることには「人々が花よ蝶よと愛でることは、浅ましくつまらないことです。 人は誠実で、物事の本質をたずね求める人こそ、心ばえがよく素晴らしいのです」 姫はそう言っていろいろと気味の悪い虫を取り集めて、「これがどんなふうに育つか、観察しましょう」と虫かごとして使ういろいろな箱に入れさせる。 中でも「毛虫が思慮深そうにしているのが奥ゆかしい」といって、朝な夕なに髪をだらしなく耳にはさんでかきあげて、手の裏に毛虫をのせて、かわいがっていらっしゃる。 若い女房たちはは怖がるので、物怖じしない身分の低い男の子たちを召し寄せて、箱に入れる虫を捕ってこさせ、虫の名前を聞き、だれも名前を知らない新しい虫には名前をつけて、喜んでいらっしゃる。 「人はすべて、着飾らずありのままの姿がよいのです」といって、普通年頃の女性が眉を抜くようには眉をまったくお抜きにならない。 お歯黒は「まったく面倒で汚いこと」といっておつけにならない。 そして真っ白な歯を見せてお笑いになる。 そんなふうにして朝な夕なに虫たちを愛でておられた。 女房たちが虫を怖がって逃げまわるので、この姫君の部屋はいつもやかましく大騒ぎだ。 怖がる女房たちを姫君は「はしたない、品が無い」といって、真っ黒な眉で睨みつける。 女房たちはただただ途方に暮れるばかりだ。 親たちは「実に風変わりで、普通の姫君と違っているなあ」とお思いになるが「姫には姫の何かしらの考えがあってのことだろう。 風変わりではあるが…。 こちらが姫のことを思って忠告しても、逆にキッパリと言い返されるからなあ。 実にやりにくい」姫にあれこれ言うのも一苦労だと困っていらっしゃる。 「そうはいっても、世間体が悪いじゃないか。 人は見かけがいいのを好むものだ。 『気味が悪い毛虫を可愛がって喜んでるんだとよ」そんな噂が世間の人の耳に入ったら、事だろう」 「どうでもいいです。 人が何言おうと。 物事の本質をたずねて、その行く末を観察すれば、物事には必ず理由があります。 そんなこともわからないのは幼稚です。 みんなが気持悪いと言って嫌う毛虫が、ついには美しい蝶になるんですよ」 姫はそう言って、さなぎが今まさに羽化しそうなのを取り出してお見せになる。 「絹といって人々が着ているものも、蚕がまだ羽の無い毛虫の時に作り出して、蝶になってしまえばいらなくなって邪魔になるものから出来ているのですよ」 姫君がこんなふうにおっしゃるので、両親は言い返しようもない。 あきれ返っている。 こんなふうに万事型破りな姫君だが、やはりお姫様なだけあって、親たちにさえ直接顔を向かい合わせて話そうとはなさらない。 「鬼と女とはむやみに人前に出ないほうがよい」というお考えなのだ。 母屋の簾を少し巻き上げて几帳を押し出して、こんなふうに利口げに弁じ立てなさるのだった。 スポンサーリンク 原文 これを、若き人々聞きて、「いみじくさかしたまへど、いと心地こそ惑へ、この御遊びものは」「いかなる人、蝶めづる姫君につかまつらむ」とて、兵衛といふ人、 いかでわれ とかむかたふなく いてしがな 鳥毛虫(かわむし)ながら見るわざはせじ と言へば、小大輔(こだいふ)といふ人、笑ひて、 うらやまし 花や蝶やと言ふめれど 鳥毛虫くさき よをも見るかな など言ひて笑へば、「からしや、眉はしも、鳥毛虫だちためり」「さて、歯ぐきは、皮のむけたるにやあらむ」とて、左近といふ人、 「冬くれば 衣たのもし寒くとも 鳥毛虫多く 見ゆるあたりは 衣(きぬ)など着ずともあらなむかし」など言ひあへるを、とがとがしなき女聞きて、「若人たちは、何事言ひおはさうずるぞ。 蝶めでたまふなる人も、もはら、めでたうもおぼえず。 けしからずこそおぼゆれ。 さてまた、鳥毛虫ならべ、蝶といふ人ありなむやは。 ただ、それが蛻(もぬ)くるぞかし。 そのほどをたづねてしたまふぞかし。 それこそ心深けれ。 蝶はとらふれば、手にきりつきひて、いとむつかしきものぞかし。 また、蝶はとらふれば、瘡病(わらはやみ)せさすなり。 あなゆゆしとも、ゆゆし」と言ふに、いとど憎さまさりて、言ひあへり。 この虫どもとらふる童べには、をかしきもの、かれが欲しがるものを賜へば、さまざまに、恐ろしげなる虫どもを取り集めて奉る。 「鳥毛虫は、毛などはをかしげなれど、おぼえねば、さうざうし」とて、蟷螂(いぼじり)、蝸牛(かたつぶり)などを取り集めて、唄ひののしらせて聞かせたまひて、われも声をうちあげて、「かたつぶりのお、つのの、あらそふや、なぞ」といふことを、うち誦(ずん)じたまふ。 童べの名は、例のやうなるはわびしとて、虫の名をなむつけたまひたりける。 けらを、ひきまろ、いなかたち、いなごまろ、あまびこなんどつけて、召し使ひたまひける。 しないでほしい。 「ありなむかし」の誤りという説も。 主語は複数。 おこり。 粉に毒があって発病するという発想らしい。 稲蜻蛉(いなかたち)か。 口語訳 これを、若い女房たちが聞いて、「えらくもてはやしいらっしゃるけど、まったく困っちゃうわね。 この虫さんたちには」「どういう人が、蝶をかわいがるお姫さまにお仕え申し上げるんでしょう」ということで、兵衛という女房が、 どうにかして私は姫君に道理を説くことなく、この館にい続けたいものだわ。 姫君だっていつまでも毛虫ではあるまいに。 いつかは蝶になるんですから。 と言えば、小大輔という女房が笑って、 他の館の女房たちがうらやましいわ。 花や蝶やと愛でているようですもの。 なのに私たちときたら、毛虫くさいのを見ているんですからねえ など言って笑えば、「まいっちゃうわね。 姫様の眉ったらまったく、毛虫みたいだし」「それに歯ぐきは毛虫の皮のむけたのみたいだものね」といって、左近と言う女房が、 「冬が来てもこの館には衣がたくさんあるのでたものしいことですわ。 寒さなんて問題にならないわ。 なにしろこの館には毛虫がたくさんいるのだから 姫様も、着物など着ないでいらっしゃればよろしいのに」など言い合っているのを、うるさがたの古参の女房が聞いて、 「お若い方々は何を騒いでいらっしゃるのです。 蝶を愛でていらっしゃるとかいうよその人のことなんか、一向にいいとは思われません。 むしろ私は嫌ですね。 そうはいっても、毛虫を並べて、それを蝶だという人があるでしょうか。 ただ、その毛虫が脱皮して蝶になるのですよ。 その過程を調べてこそ姫様は毛虫を愛されているのです。 なんとも心深いことじゃないですか。 蝶はとらえると手に粉がついて、ひどく嫌なものです。 また、蝶はとらえるとおこりの原因になりますよ。 ああ嫌なものです。 嫌なものです」 などと古参の女房が姫様を弁護するので、若い女房たちはいよいよ憎々しく陰口を言いあった。 この虫どもを捕まえてくる童たちには、姫君が、いいものや、彼らがほしがるものを褒美としてお与えになるので、さまざまに、恐ろしげな虫たちを取り集めて、童たちは姫君に献上した。 「毛虫は毛並などは面白いけれど、歌や故事に出てこないので、それらを思い出すよすがとならないのが物足りない」といって、カマキリ、カタツムリなど取り集めて、大声で人に歌を歌わせてお聴きになり、自らも声をうち上げて、 「カタツムリのぉ~、つのの~、争うや~何ぞ」といった句を、吟詠なさるのだった。 童の呼び名も、ふつうのようなのはつまらないと言って、虫の名前をお付けになった。 けら男、ひき麿、いなかたち、いなご麿、雨彦などと名付けて、召使なさるのだった。 原文 かかること、世に聞こえて、いと、うたてあるこを言ふ中に、ある上達部(かんだちめ)の御子(おおんこ)、うちはやりてものおぢせず、愛敬(あいぎょう)づきたるあり。 この姫君のことを聞きて、「さりとも、これにはおぢなむ」とて、帯の端の、いとをかしげなるに、蛇(くちなわ)のかたをいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて、いろこだちたる懸袋に入れて、結びつけたる文を見れば、 はふはふも 君があたりに したがはむ 長き心の限りなき身は とあるを、何心なく御前に持て参りて、「袋など。 あくるだにあやしくおもたきかな」とて、ひきあけたれば、蛇(くちなわ)、首をもたげたり。 人々、心を惑はしてののしるに、君はいとのどかにて、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とて、「生前(しょうぜん)の親ならむ。 な騒ぎそ」と、うちわななかし、顔、ほかやうに、「なまめかしきうちしも、けちえんに思はむぞ、あやしき心なりや」と、うちつぶやきて、近く引き寄せたまふも、さすがに、恐ろしくおぼえたまひければ、立ちどころ居どころ、蝶のごとく、こゑせみ声に、のたまふ声の、いみじうをかしければ、人々逃げ去りきて、笑ひいれば、しかじかと聞こゆ。 「いとあさましく、むくつけきことをも聞くわざかな。 さるもののあるを見る見る、みな立ちぬらむことこそ、あやしきや」とて、大殿、太刀をひきさげて、もて走りたり。 よく見たまへば、いみじうよく似せて作りたまへりければ、手に取り持ちて、「いみじう、物よくしける人かな」とて、「かしこがり、ほめたまふと聞きて、したるなめり。 返事(かえりごと をして、はやくやりたまひてよ」とて、渡りたまひぬ。 人々、作りたると聞きて、「けしからぬわざしける人かな」と言ひにくみ、「返事せずは、おぼつかなかりなむ」とて、いとこはく、すくよかなる紙に書きたまふ。 仮名はまだ書きたまはざりければ、片仮名(かたかんな)に、 「契りあらば よき極楽にゆきあはむ まつはれにくし虫のすがたは 福地の園に」とある。 および参議の人。 参議は四位だが上達部に入れる。 大御子(おほみこ)の音便。 御婿とする説も。 または結縁(成仏の因縁を結ぶ)。 不気味だ。 ひっこみがつかない。 相手がばつが悪いとする説も。 姫君が用いるような紙ではない。 当時の女性はひらがなを用いるのが当たり前だった。 「尼君もただ福地の園に種まきてとやうなりし一言をうちたのみて」(源氏物語・若紫上)。 「耶輪陀羅(やしゅだら)が福地の園に種蒔きて逢はん必ず有為の都に」耶輪陀羅は釈迦在俗時の妻。 後に出家した。 口語訳 このようなことが世に聞こえて、たいそうひどいことを言う人がある中に、ある上達部の御曹司で、血気にはやって物おじせず、人好きのする愛敬ある男があった。 その男がこの姫君のことを聞いて、「そうはいっても、これには怖がるだろう」といって、帯の端の、たいそう立派なのを、蛇の形にたいそう似せて、動くしかけなどを設えて、うろこ模様の首から下げる懸袋に入れて、結び付けた文を女房が見たところ、 地面を這いながらも、あなたの御許によりそいましょう。 あなたを思う心は、限り無長く続いているのです。 とあるのを、何心なく姫様の御前に持って参って、「袋とか。 開けるだけでも妙に重たい感じですわ」といって引き開けてみれば、蛇が首をもたげた。 人々が心を乱して大騒ぎするのに、姫君はたいそう落ち着いたふうを装って、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」といって、「この蛇は私の生前の親でしょう。 騒がないで」と、打ち震え、顔は蛇からそっぽを向いて、「美しい間だけたいそう可愛がるのは、ひどい心じゃないかしら」と、ぶつぶつつぶやいて、近くに蛇を引き寄せなさるものの、そうはいってもやはり恐ろしくお思いになるので、立ちつ座りつ、蝶のように落ち着かず、声はセミの声のように甲高く、物をおっしゃる声の、たいそうおかしいので、女房たちは笑いをこらえつつ姫君のお前を逃げ去ってきて、笑いこんでいたが、やがて姫君が父の大納言に事の次第を報告なさった。 「まったくあきれた、恐ろしいことを聞くものだ。 そのような恐ろしいものがあるのを見ながら、みな立ち去ってきたなど。 ひどいことだ」といって父大納言は太刀を引っ下げて、持って走ってきた。 よくご覧になると、たいそう本物に似せて作られた偽物だったので、手に取り持って、「えらく器用な方だなあ」といって、「かしこぶって、虫を可愛がったりしなさっていると聞いて、こんなことをしたんだろう。 早く返事をして送りなさい」といって、お部屋に帰っていかれた。 女房たちは、作り物の蛇だったと聞いて、「ひどいことする人もいるものねえ」と言って憎み、「返事をしないのは、ひっこみがつきませんよ」といって女房たちがすすめるので、姫君は、たいそうゴワゴワして武骨な紙にお書きになった。 仮名はまだお書きにならないので、片仮名で、 「ご縁があれば極楽の中でも最上級の上品でお会いしましょう。 でもあたは蛇の姿なのですから、私のそばに居にくいですね。 福地の園でお会いしましょう」と書いてあった。 原文 右馬佐、見たまひて、「いとめづらかに、さまことなる文かな」と思ひて、「いかで見てしがな」と思ひて、中将と言ひ合せて、あやしき女どもの姿を作りて、按察使の大納言の出でたまへるほどに、おはして、姫君の住みたまふかたの、北面の立蔀のもとにて見たまへば、男の童の、ことなるなき、草木どもにたたずみありきて、さて、言ふやうには、「この木に、すべて、いくらもありくは、いとをかしきものかな」と。 「これ御覧ぜよ」とて、簾を引き上げて、「いとおもしろき鳥毛虫(かわむし)こそ候へ」と言へば、さかしき声にて、「いと興あることかな。 こち持て来 こ)」とのたまへば、「取り分つべくもはべらず。 ただここもと、御覧ぜよ」と言へば、あららかに踏みて出づ。 簾をおし張りて、枝を見はりたまふを見れば、頭(かしら へ衣(きぬ)着あげて、髪も、さがりば清げにはあれど、けづりつくろはねばにや、しぶげに見ゆるを、眉いと黒く、はなばなとあざやかに、涼しげに見えたり。 口つきも愛敬づきて、清げなれど、歯黒めつけねば、いと世づかず。 「化粧(けそう)したらば、清げにありぬべし。 心憂くもあるかな」とおぼゆ。 かくまでやつしたれど、見にくくなどはあらで、いと、さまことに、あざやかにけだかく、はれやかなるさまぞあたらしき。 練色の、綾の袿(うちき)ひとかさね、はたおりめの小袿ひとかさね、白き袴を好みて着たまへり。 この虫を、いとよく見むと思ひて、さし出でて、「あなめでたや。 日にあぶらるるが苦しければ、こなたざまに来るなりけり。 これを、一つも落さで、追ひおこせよ。 童べ」とのたまへば、突き落せば、はらはらと落つ。 白き扇の、墨黒に真奈の手習したるをさし出でて、「これに拾い入れよ」とのたまへば、童べ、取り入る。 皆君達(きんだち)も、あさましう、「ざいなむあるわたりに、こよなくもあるかな」と思ひて、この人を思ひて、「いみじ」と君は見たまふ。 童の立てる、あやしと見て、「かの立蔀のもとに添ひて、清げなる男の、さすがに姿つきあやしげなるこそ、のぞき立てれ」と言へば、この大輔(だいふ)の君といふ、「あないみじ。 御前には、例の、虫興じたまふとて、あらはにやおはすらむ。 告げたてまつらむ」とて参れば、例の、簾の外におはして、鳥毛虫(かわむし)ののしりて、払ひ落させたまふ。 いと恐ろければ、近くは寄らで、「入らせたまへ。 端あらはなり」と聞こえさすれば、「これを制せむと思ひて言ふ」とおぼえて、「それ、さばれ、もの恥づかしからず」とのたまへば、「あな心憂。 そらごとと思しめすか。 その立蔀のつらに、いと恥づかしげなる人、侍るなるを。 奥にて御覧ぜよ」と言へば、「けらを、かしこに出で見て来」とのたまへば、立ち走りいきて、「まことに、侍るなりけり」と申せば、立ち走り、鳥毛虫は袖に拾ひ入れて、走り入りたまひぬ。 たけだちよきほどに、髪も袿ばかりにて、いと多かり。 すそもそがねば、ふさやかならねど、ととのほりて、なかなかうつくしげなり。 「かくまであらぬも、世の常び、ことざま、けはひ、もとつけぬるは、くちをしうやはある。 まことに、うとましかるべきさまなれど、いと清げに、けだかう、わづらはしきけぞ、ことなるべき。 あなくちをし。 などか、いとむくつけき心なるらむ。 かばかりなるさまを」と申す。 エリアを区切るパーテーション。 かしこい。 すぐれている。 しっかりしている。 色艶が無い。 世間並でない。 惜しい。 残念だ。 何枚も重ね、袖口の配色の美を競った。 古語の「きりぎりす」の別名。 上に小袿、下に袿を羽織った。 白い袴は男性がはくもの。 口語訳 右馬佐は姫君の様子を御覧になって、「たいそう珍しく、並々でない文だなあ」と思って、「どうにかして姫君の姿を見たいものだ」と思って、中将と言い合わせて、身分の低い女の姿に変装して、按察使の大納言が外出なさっている間に、館へ行って、姫君のお住まいになっている方面の、北面の立蔀のもとにて御覧になると、男の童がの、特に変わった様子も無いのが、草木がいっぱいあるところに立ち止りつつ歩いていて、さて、言うことには 「この木全体に、たくさん毛虫が這っているぞ。 こりゃすごいぞ」と。 そこで童は「これをご覧ください」と簾を引き上げて「たいそうすごい毛虫の行列ですよ」と言えば、「まあ素敵ね。 こっちに持って来て」とおっしゃるので「こんなに多くては取り分けようもありません。 すぐここですから、直接来て、ご覧になってください」と言えば、姫君は荒々しく床を踏んで出ていく。 簾を押し張るように身を乗り出して、毛虫のいる枝を目を大きく見開いて御覧になっているのを見ると、頭まで衣をかぶるように着て、髪も、額髪がかかるあたりは美しくはあるのだが、毛づくろいをしないためであろうか、ぼさぼさに見えるのを、眉はたいそう黒く、あざやかに際立っており、涼しげに見える。 口元も愛敬があり美しいのだが、お歯黒をしないので、どうにも色気が無い。 「化粧をしたら、美しかろうに。 残念なものだなあ」と思うのだ。 こうまでみすぼらしい姿をしてはいるが、醜くなどはなく、たいそう、いや本当に、あざやかに気品があり、晴れ晴れしい様子をしているのが、勿体ない。 練色の綾の袿をひとかさね、こおろぎの柄の小袿をひとかさね、男がはくような白い袴を着ていらっしゃる。 この虫を、たいそうよく見ようと思われて、顔を差し出して「まあ素敵。 日にあぶられるのが苦しいので、こっちに来たのね。 これを、一つも落とさないで、追いよこしてちょうだい。 童たち」とおっしゃれば、童たちが突き落とせば、はらはらと落ちる。 白い扇の、墨も黒々と漢字の手習いしたのを差し出して、「これに拾い入れてよ」とおっしゃれば、童たちは、毛虫を扇に取り入れる。 垣間見ていた右馬佐と中将の二人も呆れかえり、「才学ある大納言さまのお館に、これは大変な姫君がいたものだなあ」と思って、この姫君のことを思って「大変なことだ」と右馬佐はご覧になる。 童が、右馬佐らが立っているのをあやしいと見て、「あの立蔀のところに寄り添って、美しい男の、そうはいっても妙な格好をしているのが、のぞき見しています」と言えば、ここに大輔の君という女房が、「あら大変。 姫君はいつものように虫をかわいがって大騒ぎよ。 外からはっきりと見られてしまうことでしょう。 ご報告しなければ」とて参上すれば、姫君はいつものように簾の外にいらっしゃって、毛虫を大騒ぎで、払い落とさせていらっしゃる。 女房はたいそう毛虫が怖いので、近くには寄らないで、「中にお入りください。 端近くいらっしゃると、外から見えてしまいます」と申し上げると、「虫をかわいがるのを止めようと思ってあんなことを言うのね」と思って、「だから何。 人目なんて私は気にしないわ。 恥ずかいことなんか、何もないんだから」とおっしゃると、 「なんと残念なことを。 私が嘘を言っているとお思いなのですか。 そこの立蔀のそばに、それはもうこっちが恥ずかしくなるくらい立派な人が立っていらっしゃいます。 部屋の奥で御覧ください」と言えば、「けらを、そこに出て、見てきなさい」とおっしゃると、けらをが立って走っていって、「本当に、いらっしゃいます」と申し上げると、姫君は立って走っていき、鳥毛虫を袖にすばやく拾い入れると、すぐにまた奥に走り入ってしまわれた。 身の丈高からず低からず、髪も袿のあたりまでの長さで、たいそう多い。 髪の端も切りそろえていないので、ふさふさしているが、美しく整っていて、かえって可愛らしく見える。 「ここまでの器量ではなくても、世間なみの立居振舞をして、化粧をして取り繕えば、世間的にはよしとされるものだ。 惜しいなあ。 ほんとうに、虫を好むなんてとんでもない性質だが、たいそう美しく、気高く、虫を好むのが玉にきずだ。 ああ残念だなあ。 どうして、虫を好むなんて、たいそうひどい性質なのだろう。 こんなにも美しいのに」と思うのだった。 原文 右馬佐、「ただ帰らむは、いとさうざうし。 見けりとだに知らせむ」とて、畳紙に、草の汁して、 鳥毛虫(かわむし)の毛深きさまを見つるよりとりもちてのみ守るべきかな とて、扇して打ち叩きたまへば、童べ出で来たり。 「これ奉れ」とて、取らすれば、大輔の君といふ人、「この、かしこに立ちたまへる人の、御前に奉れとて」と言へば、取りて、「あないみじ。 右馬佐のしわざにこそあめれ。 心憂げなる虫をしも興じたまへる御顔を、見たまひつらむよ」とて、さまざま聞こゆれば、言ひたまふことは、「思ひとけば、ものなむ恥づかしからぬ。 人は夢幻のやうなる世に、誰かとまりて、悪しきことをも見、善きをも見思ふべき」とのたまへば、いふかひなくて、若き人々、おのがじし心憂がりあへり。 この人々、返さでやはあるとて、しばし立ちたまへれど、童べをもみな呼び入れて、「心憂し」と言ひあへり。 ある人々は心づきたるもあるべし、さすがに、いとほしとて、 人に似ぬ 心のうちは鳥毛虫の 名をとひてこそ 言はまほしけれ 右馬佐、 鳥毛虫に まぎるるまつの 毛の末に あたるばかりの 人はなきかな と言ひて、笑ひて帰りぬめり。 二の巻にあるべし。 畳んで懐に入れておく紙。 今さら何といってもかいがない。 女房たちと見る説も。 姫君を見たとだけ知らせていこう」といって畳紙に草の汁で、 毛虫の毛深い様子を見てからというもの、貴女に心惹かれて、貴女を手に取ってかわいがりたい気持ちですよ。 といって、扇を叩いて合図をすると、童たちが出てきた。 「これを姫君に差し上げてくれ」といって取らせると、大輔の君という女房が「あの、あそこに立っていらした人が、姫君に差し上げろと」と言って子供たちが渡すのを取り次いで、 「ああひどい。 右馬佐の書いた文に違いないわ。 虫を愛でていらっしゃる残念な御顔を、ご覧になられたのだわ」といって、ワアワア騒ぎ立てると、姫君がおっしゃることに 「悟ってみれば、どんなものでも、恥ずかしいということはありません。 人は夢幻のようなこの世の中に誰がいつまでもとどまっているでしょう。 必ず皆死ぬのです。 そんな中であれが悪い、これが良いなんて判断できるでしょうか」とおっしゃると、女房たちは今さら言っても仕方が無いと諦めてそれぞれ互いに残念がった。 この右馬佐たちは、きっと返事があるだろうとしばらく立っていらっしゃったが、童たちをもみな屋敷の中に呼び入れて、「残念だ」と皆で言い合っている。 しかし女房たちの中に一部の者が気づいて、やはり待たせっぱなしは気の毒だと思って、姫君に代作して右馬佐に歌を送った。 世間の人に似ない私の心のうちは、毛虫の名を問うようにあなたの名を教えてもらってから、言おうと思います。 右馬佐、 毛虫と見間違うほどの貴女のまゆ毛の端ほども、あなたに匹敵する人はありませんよ。 と言って、笑って帰ってしまったようだ。 続きは二の巻で。 その他の話 花桜折る少々 女に夜這いをかけたところが、連れ出してみると… 前半の風流な月夜の描写と、ラストの滑稽さ、 そのギャップが、味わい深いです。 このついで 薫物の香からの連想で、3つのお話が語られます。 歌を中心においた風流なお話です。 ほどほどの懸想 下流、中流、上流それぞれの社会の階層における、 恋愛模様です。 当時は身分のワクは厳格で、身分違いの恋は ありえなかったんだと実感できます。 特に下流編。 小舎人と女童の恋は ほほえましく描かれています。 逢坂超えぬ中納言 歌とか楽器とか、何をやらせてもソツなくこなす権中納言ですが、 ずっと片思いの姫宮に気持が通じず、悩んでいました。 ある夜、とうとうガマンできず、姫宮の部屋に 忍び込みます。 しかし、思いは遂げられず… 何とも、男として、 ムラムラしたものが残る話です。 宮中での「菖蒲あわせ」の場面がみどころです。 左右チームにわかれて、菖蒲を出し合って、 これは形がいい、これは色がすぐれている、 気品がただよっている、なんて言って、 勝敗を争うわけです。 「美味しんぼ」などの料理漫画における、料理勝負ですね、 あれの草っぱ版みたいなもんです。 貝合 義理の姉からイジメられている姫君を貝合の勝負に勝たせてあげるため、 主人公の少将が一肌脱ぐという話です。 主人公の少将がある館に覗き見に入ります。 その館では幼い姫君が貝合の準備をしていました。 貝合というのは当時の貴族の遊びです。 左右のチームに分かれて貝殻を出して、 これはいい、これはイマイチとかいって優劣を決めるんです。 姫君の対戦相手は、義理の姉でした。 最近お父さんが再婚して、義理の姉ができたんですね。 ところがこの義妹がとてもイジワルで、 なにかと姫君をイジメているらしい。 今回の貝合も、あちこちのツテを総動員してキレイな貝を集め、 大恥をかかせてやろうという魂胆です。 覗きに入った少将は、これは捨ててはおけないと、 姫君のために一肌ぬぐことにしました。 【垣間見】【貝合】といった、この時代特有の 習慣がとりいられいて、興味深いです。 思わぬ方にとまりする少将 友人どうしでお互いの恋人をとっかえる話です。 四角関係ってことです。 しかも女二人は姉妹です。 ようは姉妹両方とエロいことをするのです。 男冥利につきます。 はなだの女御 女たちが集まって、自分の仕えている女主人を花にたとえます。 あの人は竜胆だわ、あの人は撫子ね、なんて言って。 それを男が覗き見しているという話です。 はいずみ 新しい妻を迎えるにあたり以前の妻を追い出すも、 やはり情が移り、俺が悪かった、あなた!ということでヨリを戻します。 一方の新しい妻は大失敗をして男に見捨てられるという話です。 音声つきメールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」のご案内 現在18000人以上が購読中。 メールアドレスを入力すると、日本の歴史・古典について、楽しくわかりやすい解説音声を無料で定期的に受け取ることができます。 毎回10分程度の短い解説で、時間を取りません。 楽しんで聴いているうちに、日本の歴史・古典について、広く、立体的な知識が身につきます。 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