ザ ノン フィクション。 ザ・ノンフィクション2019年6月30日放送

ノンフィクションとは

ザ ノン フィクション

【2019年8月4日放送の感想】"62歳のシングル女性が築60年ほどのボロボロのアパートに暮らしながら、お金に困っている人達が住める格安のシェアハウスの経営をしました。 3年前まで彼女が区議会議員をしていた頃のお金をシェアハウスの経費として使っていましたが、議員って本当に儲かるのだなと、つくづく思いました。 貧困や行き場のない女性の味方だと全面に出していましたが、再度選挙に出ると決めたシーンでやけにしらけてしまいました。 意地悪なわたしは「再び選挙に出るためのパフォーマンスとしてシェアハウスを始めたのね」と冷ややかに観てしまいました。 女が1人で生きることは大変だと理解は出来ますが、長く生きていれば嫌な垢も付きますが、わたしは彼女の生き方に賛同出来ないと強く思いました。 正直不快でした。 "(女性40代) 【2019年8月11日放送の感想】いつも見終わった後気分が悪くなるのに、つい見てしまう。 親の犠牲になっている子供がかわいそうだ、本当に。 空回りしてしまう新しい父親は仕方ないと思う。 大家族を養うのも大変だし、血の繋がりのない大きくなってしまった子供との関わり方は難しいと思う。 ただすぐに怒鳴るのは間違っているが。。 それよりも離婚を繰り返し、子供を産むだけ産んで、高校の学費まで子供に負担をかけようとした母親。 父親の愛情を知らないんじゃなくて、母親がちゃんと母親の役割を果たせてない、愛情をかけてやってないと思う。 いい加減、自分のことをミナと言うのをやめて欲しい。 子供みたいにすぐに泣いて、ヒステリーになるのをやめて欲しい。 (女性40代) 【2019年10月13日放送の感想】好きな事だけして生きて行く。 誰もがそうでありたいと思って生きている。 でもそれが現実的ではなく理想としているから、どこかに属して嫌な事も我慢して仕事している。 シェアハウスを運営し自分の気の赴くままに生きている人がいて、それを知った同じ思想の若者達がまたそこに集まって暮らしている。 皆、仕事をせずにゲームやパソコン、料理とそれぞれバラバラの生活。 こんな事が成り立つ時代になってしまっている。 なんだか悲しくなった。 現実逃避にしか思えない。 運営者を慕う19歳の少年が全く同じ道を選択し、シェアハウスの経営者となっていた。 若さゆえなのか。 チャレンジ精神は良いと思うが、働きたくない。 とかそんな理由で社会から逃げて自分が楽しいと思う事だけをやって生きていて良いのか。 この少年の今後が心配になった。 (女性50代) 【2020年5月10日(日)放送の感想】獣医師さんもですが、ボランティア団体の方もすごい、私も犬猫は、飼い、昔は、妹が犬猫ウサギといろいろ拾ってきてかい育てましたので、気持ちは、わかります、特に猫の捨て猫は、うちにも猫がいるため、困ります、うちのには、避妊をしてありますが、野良猫同士で春になると困ります、そもそも最初にすてた人がいるからなのに、今堕胎猫の手術してますが、なぜ飼い猫なのに避妊しないのでしょうか、堕胎しようとしてたのに、生まれた猫、死んでるのもいた、どうするか画面でもみてられない、ボランティアのひとも、見られないでしょうね、飼い主の人いらないなら、なんでと腹たつ、新しい飼い主見つかるとよいですね、(女性50代).

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52歳クズ芸人が事務所をクビに…「ザ・ノンフィクション」密着

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しかし、この規定のなかの「文学以外」という限定ははずしてもかまわないと思われる。 現在では、ノンフィクション作品は、りっぱな文学作品として認められていて、現代文学の世界で大きな位置を占めているからだ。 [川村 湊] 海外のノンフィクション古代のギリシアでは神々の物語として「神話」が、そして人々の物語として「歴史」があった。 ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』は神と人との物語として「神話物語(=フィクションの原型)」として位置づけられていたが、シュリーマンの遺跡発掘によって、現実にあった歴史を素材とした、いわばノンフィクション作品であることが証明された。 ヘロドトスやトゥキディデスの『歴史』やカエサルの『ガリア戦記』、司馬遷 しばせん の『史記』などの歴史書が、もっとも早い時期のノンフィクション作品ということができ、それは神々の物語としての「神話」や、その発展形態としての伝説、綺譚 きたん 、妖精 ようせい 物語、ロマンスなどのフィクション(=虚構、小説)と、ジャンル的に分離・区分されるようになったのである。 近代においてもジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』(1919)やエドガー・スノーの『中国の赤い星』(1937)など、革命や戦争に密着したドキュメンタリーとしてのノンフィクション作品が書かれたが、記録文学、ドキュメンタリーといったさまざまなジャンル名をまとめるような形で「ノンフィクション」と称されるようになったのは、第二次世界大戦後のことであって、アメリカのジャーナリズムにおいて従来の記録や報道、または実話小説などと違ったノンフィクション作品が書かれるようになってからのことだ。 代表的なものとしてトルーマン・カポーティの『冷血』(1966)をあげることができる。 もちろん、それ以前にもアンドレ・ジッドの『ソビエト紀行』(1936)やジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌 さんか 』(1938)のような著名な小説家によるノンフィクション作品(紀行、記録、報告)がなかったわけではない。 しかし、文学作品としてのノンフィクションが認識されるようになったのは、欧米においても、日本においてもごく近年のことに属しているのである。 [川村 湊] 日本のノンフィクション記録文学、ルポルタージュ文学といった名称で、ノンフィクション作品はこれまでも日本の文学史において登録されてきた。 ノンフィクション作家、ノンフィクション文学という言葉があたりまえのように流通し、ノンフィクション作品を対象とした大宅壮一ノンフィクション賞のような文学賞も創設された。 こうしたノンフィクション文学というジャンルの確立には、何人かの小説家の力があったと思われる。 第二次世界大戦後のこうした分野を活発化させたのは坂口安吾 あんご であり、『安吾巷談 こうだん 』(1950)や『安吾新日本地理』(1951)などの作品は明らかに戦後のノンフィクションのはしりである。 それは小説家の手すさびのエッセイ、漫筆ではなく、社会現象や事件、現実・事実を相手にした作家の真剣な表現活動の取組みだったのである(それがやや余裕の産物のようにみえたとしても)。 もっと現代に近いところでそうしたノンフィクション作品の試みを行ったのが、開高健 かいこうたけし である。 彼は『片隅の迷路』(1962)のような、現実に起こった徳島ラジオ商殺しという冤罪 えんざい 事件を小説として書くかたわら、『ずばり東京』(1964)や『ベトナム戦記』(1965)といったルポルタージュ作品を書き、大都市東京というキメラのような街や、ベトナム戦争という世界の矛盾の輻輳 ふくそう する場所から現代社会、現代の戦争についての報告を行ったのである。 もう一人、ノンフィクションを書いた小説家として梶山季之 としゆき をあげることができる。 『黒の試走車』(1962)などの産業スパイ小説で、一世を風靡 ふうび した彼は、週刊誌の取材記者、ルポルタージュ記事の書き手として「トップ屋」とよばれるノンフィクション作家たちの先頭にたった。 日韓関係、原爆問題、移民問題を中心に、政治・経済・犯罪・芸能界など、彼の守備範囲は広く、また、反体制的、社会批判的なスタンスは、その後のノンフィクション・ライターの反骨精神につながったといえる。 それはまた、大宅壮一 おおやそういち の大衆社会への批評性につながり、また、松本清張 せいちょう の現代社会の暗黒面を暴き出した『日本の黒い霧』などのノンフィクション作品にもつながっている。 石牟礼の『苦海浄土』(1969)、上野の『地の底の笑い話』(1967)、松下の『狼煙 のろし を見よ』(1987)などは、社会的事件に題材を仰いだものだが、作者の詩情や感性がその作品の底を流れているのが特徴的である。 沢木耕太郎は人物評伝のスタイルで『人の砂漠』(1977)を書き、テロ事件の被害者と加害者とを両面から描いた『テロルの決算』(1978)を書いた。 鎌田慧は『自動車絶望工場』(1973)で、体験的ルポルタージュの道を開いた。 柳田邦男は『マッハの恐怖』(1971)で、現代の航空機事故が、社会のあらゆる方面からの影響力とあらゆる方面への波及力をもっていることを示した。 彼らは、国内、国外を問わない旺盛なフィールドワークと、緻密 ちみつ な文献資料の活用によって、ノンフィクション作品をより広く、一般的な文学作品として定着させていった。 猪瀬の『ミカドの肖像』(1986)は、日本の近代の天皇制と西武資本との「結託」を論証し、佐野の『巨怪伝』(1994)は政治家の近代史を、吉田の『下下戦記』(1987)は水俣 みなまた 病の患者世界を、吉岡の『墜落の夏』(1986)は日航機墜落事故を、関川の『海峡を越えたホームラン』(1984)は、日韓の野球社会を、久田の『サーカス村裏通り』(1986)は、日本のわびしいサーカス団の世界を、野村の『海の果ての祖国』(1987)は、サイパン移民の世界を、それぞれ新鮮な視角から描き出し、ノンフィクション作家として成長していった。

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ザ・ノンフィクション

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夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子。 コンビ結成から41年目。 結婚後コンビを結成し、デビュー直後から様々な漫才賞レースをものにし漫才師としての「地位」を確立、2017年には紫綬褒章を受賞し「名誉」を手に入れ、おしどり夫婦として知られるように「幸せ」も手にした二人。 全ては、44年にわたり夫婦として共に歩んできたから… 2018年3月、そんな二人を突如悲劇が襲う。 「余命半年」。 余命宣告を受けたのは、妻・花子(65)だった。 腰の骨に見つかった癌は、すでに歩くことも困難なほど、花子の体を蝕んでいた。 そこで、大助(70)が下した決断は、周囲に癌を隠しての放射線治療。 花子が癌を患うのは実は2度目。 34歳のときに、胃がんになり摘出手術の末、その後の転移も見られず完治していた。 その後、大病と闘っていたのは、大助の方だった。 「脳出血」「腰部脊柱管狭窄症」と2度にもわたり、命の危険と闘っていた。 その間、大助の看病をし、ひとり舞台に立ち続け、宮川大助・花子を支えていたのは花子の方だった。 治療開始から約10カ月。 放射線治療が功を奏し、一時、癌を克服したかに思えた花子だったが、今度は全身に癌が再発していた…診断は「症候性多発性骨髄腫」。 花子は、再び「余命半年」の宣告を受けてしまう。 血液の癌が全身に広がり、花子は立つどころか、下半身がマヒし足を動かすことすらできなくなってしまう。 花子は、癌を克服できるのか…夫婦で病と闘った700日に密着した。 <出演者> 語り:青葉市子 <スタッフ> チーフプロデューサー:西村陽次郎 (フジテレビ) ディレクター:神林紀行 プロデューサー:齋藤拓也、加藤正臣 制作協力:クラフトマンシップ 制作著作:フジテレビ•

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