空気人形 ネタバレ。 空気人形のレビュー・感想・評価

空気人形はダッチワイフ目線の物語!感想とネタバレ

空気人形 ネタバレ

空気人形のストーリー、こういう所が見どころ、こいうところが人気 古びたアパートで持ち主の秀雄と静かに暮らしていた空気人形。 ある日、空気人形は、持ってはいけない「心」を持ってしまいました。 秀雄が仕事に出かけていくと、部屋にある洋服を着て靴を履いて街へ出かけていた。 韓国の人気女優ぺ・ドゥナが、心をもってしまう空気人形を可憐に演じています。 上映日:2009年9月26日 出演者 (空気人形) ペ・ドゥナ (レンタルビデオ屋の従業員・純一) ARATA (空気人形の持ち主、ファミレス従業員・秀雄) 板尾創路 (元高校国語教師・敬一) 高橋昌也 (受付嬢) 余貴美子 (レンタルビデオ屋の店長・鮫洲) 岩松了 (OL・美希) 星野真里 (萌の父親・真治) 丸山智己 (小学生・萌) 奈良木未羽 (浪人中の受験生・透) 柄本佑 ネタバレ・あらすじや感想、制作裏話 ある川沿いの小さい町。 パッとしない独身の中年男性・秀雄。 秀雄は、昼間はファミレスの厨房で働き、夜は5,980円の空気人形・のぞみと恋人のようにして幸せに暮らしていました。 のぞみへの偏愛ぶりは相当なもので、一緒に寝るのはもちろん、一緒にお風呂に入って髪を洗うにしてもシャンプーを選んでいたり、車いすにのぞみを乗せて真夜中の公園に連れ出してお揃いのマフラーをしてデートをしたりと、楽しんでいました。 秀雄が仕事に出掛けている間、空気人形ののぞみは全裸でベッドに寝かされています。 しかし、のぞみ用のセーラー服や水着、メイド服などいろんな衣装がありました。 静かな雨が降る朝。 いつものように秀雄が出勤した後、のぞみは人間のように自由に動ける身体になっていることに気づきます。 窓を開け、外に振る雨に手を伸ばしながら、 「 き れ い 」 と呟きました。 空気人形ののぞみは、メイド服に着替えると、赤いカバンを持って外へ出かけました。 外の世界が初めてののぞみにとって、人間の日常はとても不思議なものでした。 どれも魅力的で新鮮で、ごみ収集所の観察、おしゃべりをする人形を持っている少女・萌との出会い、未亡人の後をつけたり、時には赤ちゃんに勝手に話しかけてしまったり砂場で子供たちと一緒に遊び不審者に思われてしまうこともありました。 それでも、派出所の警官・轟とは、新聞やニュースで仕入れた話題で声を掛ける未亡人の真似をしてみたりと、のぞみなりに人間とやり取りをしていきました。 やがてやることがなくなってしまったのぞみ。 帰り道に立ち寄ったDVDレンタルのお店「シネマサーカス」で、運命的な出会いをします。 「何かお探しでしょうか。 」 のぞみに声を掛けてきたのは、シネマサーカスの店員・純一。 のぞみは、純一に一目惚れしてしまいます。 それをきっかけに、DVDレンタル店でアルバイトとして働くことになったのぞみ。 シネマサーカスは、チェーン店ではなく、店長の鮫洲と純一の2人でお店を回している個人経営のレンタルショップでした。 店長は、のぞみが映画館に行ったことがないと聞いて、なんてこったいと嘆きます。 店長は「仁義なき戦い」、そして純一はミュージカル作品が好きなことを知るのぞみ。 楽しくアルバイトの時間を過ごすと、秀雄の部屋へ戻り服を脱いで全裸のままベッドに横になります。 その日、秀雄はいつもより高いシャンプーを買ってきて、のぞみの髪を洗ってくれました。 そして、のぞみのおへそについている空気穴から空気を吹き込み、 「お前はええな、歳取らんから・・・。 」 と言い、いつものようにのぞみにキスをしました。 心を持ったのぞみは、自分を性欲処理の代用品だと思うのでした。 いつものように街を歩くのぞみ。 メイクに興味を持ったのぞみは、以前から気になっていたビニールのつなぎ目を隠すためにファンデーションを購入し、それを隠せることに嬉しく思いました。 ある日、海を知らないというのぞみをバイクに乗せた純一は、海へと出掛けます。 2人の初めてのデートに浮かれるのぞみ。 海で拾った空のラムネの瓶を気に入ったのぞみは、そのまま持ち帰りました。 純一と食事をしているとき、レストランの隣のテーブルに座っていた、おしゃべりをする人形を持っていた女の子・萌。 その日は萌の誕生日で、父親が萌のお祝いをしていました。 それを見たのぞみは、自分に誕生日がないことに気づきます。 公園のベンチにのんびりと座って日向ぼっこをしている老人・敬一。 のぞみは、敬一から「吉野弘」の詩を教わります。 のぞみはそれを朗読しました。 この映画では、この朗読が大きなキーにもなっています。 吉野弘の詩の内容のように、のぞみの周りにいる人たちは、それぞれ悩みを抱えて暮らしていました。 秀雄の家の近所に住む萌は、父親にとても可愛がられているものの母親は家を出ていってしまったまま戻ってきません。 萌が持っているおしゃべりをする人形は、以前母親が萌に買い与えたもの。 のぞみがいつも後をつけていく未亡人は、話し相手がおらず、ニュースで話題を仕入れると毎日派出所の警官・轟に話しかけて孤独を紛らわせていたのでした。 のぞみに詩を教えてくれた老人・敬一は、日々老いて死に近づいていく現実を受け入れたくありません。 レンタルDVD店の前を通る佳子は、年増で独身の受付嬢。 会社の24歳の受付嬢・みさとの若さに嫉妬しては色んなアンチエイジング化粧品を使う日々。 レンタルショップに訪れる浪人生・透は、メイド服を着て仕事をしているのぞみのパンチラを覗いては、家に帰ってパソコンで似たような画像を見つけてイメージを膨らませながら自慰行為をしていたり、OLの美希は、青森の実家の母親が結婚しないのかなどうるさく電話をかけてくることにストレスを感じ、過食症に苦しんでいます。 これらの「人間の苦しみ」は、のぞみは何も知りません。 しかし、生きて心を持つということが切ないことであることを知ります。 そんなある日、いつものように純一と仕事をしていると、店内の飾りつけをしていたのぞみは脚立から落下してしまいます。 その際、右手首を釘にひっかけてしまったため、その部分が破けて空気が抜けてしまいます。 空気が漏れて徐々にしぼんでいく自分を見られたくないのぞみは、力ない声で純一に、 「見ないで・・・」 と言いますが、純一は急いでセロハンテープを持ってきて破れてしまったのぞみの手首に貼り付けると、へその部分から空気を吹き込んでくれました。 元に戻ったのぞみに純一は、 「もう大丈夫だから。 」 と優しく声をかけます。 純一は、のぞみの正体を知っても変わらず優しく接してくれることに喜びを感じます。 その言葉を聞いたのぞみは、純一も同じ空気人形なのだと思い込んでしまいます。 それからというもの、純一への想いが益々強くなっていくのぞみは、秀雄との生活が段々と嫌になってしまいます。 それからは、秀雄が眠りについてからシャワーを浴びて執拗に身体を洗うようになりました。 純一の部屋へ訪れたのぞみ。 部屋の中で、純一と元カノの写真を見つけます。 純一はのぞみをバイクの後ろに乗せてくれますが、その時にのぞみが被っているヘルメットは元カノが被っていたものだと知ると、少し嫉妬心が芽生えました。 そんなある日、のぞみが働いているレンタルショップに秀雄が訪れました。 焦るのぞみでしたが、秀雄はのぞみに気づくことなく帰っていきホッとするのぞみ。 そこへ店長がスススッと近寄ってくると、店長はのぞみに、 「君たち・・・もうヤった?」 などとセクハラまがいの質問をのぞみにしました。 そして、 「今の彼氏?」 と。 実は店長は、秀雄が真夜中の公園でのぞみを車いすに乗せてデートしていたのを知っていたのです。 弱みを握られてしまったのぞみは、店長に言われるまま店の裏でセックスをします。 いつものように家に帰るのぞみ。 空気入れを捨てると押し入れに隠れました。 秀雄は、実家の母親に電話して「家の中のものを勝手に捨てたか?」と怒っています。 そして秀雄は、新しい「のぞみ」を手に入れます。 新しいのぞみは、新型のラブドール。 同棲記念と称して新しいのぞみとお祝いをする秀雄に詰め寄る旧のぞみ。 秀雄は、のぞみが心を持ってしまったことを知ると、 「元の人形に戻ってくれへんか?」 と頼むのでした。 この「のぞみ」という名前も、秀雄の昔の彼女の名前でした。 秀雄は、人間関係が面倒くさいから(空気人形の)お前にしたのにと言うと、のぞみはそのまま家を飛び出してしまいました。 「(空っぽだ・・・)」 そう思ったのぞみは、いつも公園にいた老人・敬一の家を訪れます。 敬一は、布団の中に横になりながら、自分も高校の代用教員だったこと、ずっと空っぽの代用品であると言い、ちょっと触ってみてもらえるかな・・・とのぞみに言いました。 勘違いしたのぞみは、敬一の下半身を触りますが、敬一は静かにその手を自分のおでこに乗せると、のぞみの手の冷たさを気持ちいいと言い、 「手の冷たい人は、心が温かいっていうんだよ。 」 と言いました。 のぞみは、敬一の優しい言葉にとても励まされました。 そして自分を作った「ツチヤ商会」の人形師に会いに行きます。 そこには、のぞみと同じ顔をした大量の人形が置かれていて、訪れたのぞみを見た人形師は驚く様子もなく、 「おかえり。 」 と静かに微笑みました。 なぜ自分は心を持ってしまったのか・・・そう問いかけるのぞみに対して、人形師の答えは、 「僕にもわからない」 でした。 人形師は、工場の天井裏にある、これから廃棄処分にされてしまう人形を見せました。 「みんな違う顔をしている。 ちゃんと愛されたかが表情に刻まれる。 」 「人形は燃えないゴミ、人間は燃えるゴミ。 」 とのぞみに言いうと、続けて、 「君が見た世界は、汚いものばかりだったかい?美しい・・・綺麗なものはなかった?」 と問いかけます。 のぞみは人形師に生んでくれたことへの感謝を伝えると、人形師に綺麗にしてもらい、ツチヤ商会を後にしました。 のぞみが向かった先は、純一のところ。 純一が望むことなら何でもするというのぞみに対して純一は、 「空気を抜きたい。 」 と言いました。 純一は優しい青年である反面、残酷なことをしたいという願望があるのか、花を千切ったりと少し残虐性を覗かせます。 「大丈夫。 僕がまた吹き込んであげるから。 」 と言われたのぞみは、純一に言われるままに身体を預けます。 純一は、何度ものぞみのへそから空気を抜いては吹き込むを繰り返しました。 それが終わり眠る純一。 のぞみは、純一にお礼をしたいと考え、ナイフを使って純一のへそ部分にナイフで穴をあけるとそこへ息を吹き込みました。 しかし、純一は空気人形ではなく人間であるため、ナイフで切られたところから出血し、いくら息を吹きこもうが意味がありません。 のぞみは、純一がしてくれたように傷口をセロハンテープで塞ごうとしますが、出血が止まらないまま純一は死んでしまいました。 のぞみは、純一は燃えるゴミの袋に入れると、ゴミ捨て場に出しました。 そして「自分もゴミになる」ことを選んだのぞみ。 なぜなら、自分に息を吹き込んでくれる人は、もういないからです。 純一は人間なので燃えるゴミ、自分は空気人形だから燃えないゴミ。 のぞみは、燃えないゴミのところに、お気に入りの空き瓶、りんごなどを並べると、自分もそこに横たわりました。 やがてやってきた少女・萌が、のぞみの指にはまっていた安物の指輪を取ると、それと交換に、壊れたアリエル人形を置いていきました。 のぞみは、夢を見ていました。 これまでのぞみに関わった人たちがのぞみの誕生日を祝ってくれている優しい夢。 のぞみが泣きながら、ろうそくの炎を吹き消すようにたんぽぽの綿毛を飛ばすと、のぞみに関わった人たちの元へ届き、その人たちは、これまでより少し前向きになりました。 自分の老いを受け入れることが出来ない敬一は、話し相手のいなかった未亡人と仲良くなり、公園のベンチで楽しそうにおしゃべりをしていたり、拒食症の美希は、これまで締め切っていた窓を開け、のぞみと空き瓶を眺めながら、のぞみが初めて心を持った時と同じように、 「きれい」 と呟くのでした。 空気人形の動画が視聴可能なオンデマンド配信サービス Hulu U-NEXT 配信中 auビデオパス dTV 配信中 フジテレビオンデマンド WOWOW TSUTAYA TV 配信中 楽天TV Amazonプライムビデオ 配信中.

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映画『空気人形』あらすじ・ネタバレ結末と感想。動画フルを無料視聴できる配信は?

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板尾と住むことは、つらいことでした。 わたしのぞみ。 俗に言うダッチワイフよ。 毎日毎晩 板尾秀雄さんのお相手してるんだけど、 どうしてかしら?ある朝目覚めたら動けるようになったの! これって不思議ね!とっても不思議! ダッチワイフもドン引きする毎晩の苦痛すぎる板尾の変態プレイに耐えかねて 動けるようになったわたしにとって世界はきらめきに包まれている! なにもかもが不思議で面白くて素敵で外へ飛び出していったら恋をしてしまったの! あ~素敵な純一さん。 なんでも教えてくれる純一さん。 天体プレイ好きな板尾とは大違い 一緒にアルバイトなんてしちゃったりして 板尾を除けばなんて楽しい毎日。 頭の中は純一さんのことばっかり。 わたしって心を持っているのね。 でもなんだかいつも空っぽなの。 みんなもそうなのかしら? 詳細は安心のソースさんへ。 ホラー落ちはやめろ! あーはいはい単館系 笑 ね。 オシャレオシャレ 笑。 と思って長い間敬遠していた自分を悔いた前半までの気持ちを返してほしい。 さんの原作のあの不思議で切ない世界観をどうせ蔑ろにしてひたすらにしゃれ乙な雰囲気に仕立て上げてるだけだろ?と思ってたらそうでもなかった感!その感じが台無し!ナッシングだよ! しかし実は今まで是枝さんの映画を観たことがなくこれがはじめてなのだが、 さすがに実力のある監督だと感じた。 好き嫌いはおいておいて、全編通して小奇麗にまとまっているし、 個人的には肩透かしを食らった気分だが、最後もきれいに落ちていると思う。 何よりもメルヘンチックな雰囲気や効果音がとてもよかった。 色やカメラワークもきれいで、『空気人形』というの儚げで不思議な透明感がとてもよく表れていた。 個人的に評価したいのは、のぞみが目覚める朝のシーン 本当にとってもきれい と、 体に穴が開いて空気が抜けてしまうところを純一に見られるシーン。 特に後者は原作以上に悲しみを感じたというか、 このように映像化されてはじめて「あぁ、これ、こんなに悲しいことだったんだ」と気づくことができた。 以下、箇条書きで思い出しつつよかったところ、悪かったところ、その他の感想。 ・は本当に必要だったのだろうか? ・中年の独身男らしからぬロマンチックな飾りつけがされた部屋に住み、を外に連れてデートしたり会話したり これまた狭い世界での同僚の愚痴ばっかり するエマージェンシーコールがなりっぱなしになる超危険な要注意人物板尾が、と変態プレイをすることに情熱や愛情を注ぎ、犯罪を犯さずに済ましてるというのなら、板尾は偉い。 本当に偉い。 ・ARATAの純一があたかも日本人女性の『好きになるひと』に対しての共通意識を具現化させたような感じで大変感動した。 いわゆる『女の子が好きになるひと』と言って思い浮かべるリアルな感じ。 スゲー。 ・おっぱい ・おっぱい ・おっぱい ・のぞみの動いてるところを板尾に見せたい!という観客のフラストレーションをみごと解消させるも、その後の板尾との対話でなんだかテンションが下がる。 ・レンタルビデオ屋の店長はいいひとのままでもよかったんじゃないのかな。 のぞみを脅して性交させる必要性はあったのか?店長の汚れ損かな……。 ・その他のひと達の人間模様がこじつけられているようにしか見えない。 ・純一も変態プレイでドン引き。 のぞみに普通の女の子の幸せは望めないのであった……。 ・でもまぁそりゃそうか。 スタートからのぞみの存在自体が矛盾しているから、となんだかんだ納得してしまう。 ・だからといって安易な腹切り息吹き込みプレイはいかがだろうか。 ・あれだけ不自然ながらも人間社会に溶け込んでいたのぞみが自分と他人の身体的な違いを理解してないのはおかしいとちゃうか? ・そのシーンが見せ場だから撮るために多少表現が荒くなってしまうのはやむを得ないが、致死傷になるほど腹を割かれてるのに純一が無反応すぎて……。 ・ちゃんとその部分が見えるシーンでは穴をふさいだ場所にセロテープを貼っていたのはハイパー好印象。 そういうとこ、マジ大事。

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空気人形/あらすじとネタバレと感想

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もちろん顔もペ・ドゥナさんのものでなく、 少し汚れのついた人形の顔で。 人は人間の表情からはすぐに 感情を読み取ってしまうものですが、 ラストシーンは人形の本来無表情であるはずの顔から、 その哀切さを読み取りたかったですね。 その行為は人形師の言った 「捨てられた人形は ちゃんと愛されたかどうかで表情が変わる」 という言葉と呼応したことでしょう。 んならペ・ドゥナ自体の演技を否定することではないか? 人形に戻ってしまえば板尾とかに抱かれるシーンとか全て人形がいいというのと一緒。 それを含めてのペ・ドゥナの起用だろうから、 彼女が今度は人形になった時の演技を求められるのでしょうね。 そう感じ取れなかったなら褒める点は、ほとんど無いのではないだろうと思いますが?• というより彼女の素晴らしい演技には ひたすらち感嘆していたし、 心を持つ状態の彼女は、 こころを持たない人形ではないことを ビジュアルで分からせる必要があるでしょう。 心を持つ彼女が、ダッチワイフそのものであっては 意味をなしません。 作品を否定していると感じられたのであれば、 それはまったくの勘違いで、 私はこの作品を高評価しております。 すばらしいラストだ! 目からウロコと同時に感嘆させていただきました。 人形に戻ってのラストだったら... 更に綺麗になっていたかも知れませんね。 ってか、レンタルDVD屋で顔はそのままだったにしても身体はビニールに戻っていたのに、最後は何故ちゃんと空気人形に戻らなかったんでしょう? って引っかかってました。 恋人が空気の抜けた人形のゴミになっちゃったのを受けて、自分の空気を抜いてゴミになったんだから、ぐにゃぐにゃになるのが自然ですよね。 あと、最後のタンポポの種の意味がよく分かりませんでした…• 意味を探るも良し、感覚で観ながしてもいいと思います。 私が感じたタンポポは、 おしべとめしべと虫と風。 咲いてささやかな種を残した。 とりあえず思いついたのがこの程度です。 抽象的で的を得ていないかも知れません。 さて、こちらの掲示板のご意見ですが、なるほどとは思いつつ、それでは逆にありきたりのラストになるのではないかと推察されます。 私もあのラストで、何でいつまでも人間の(姿の)ままなんだろうとは思いました。 ラストは安物のビニール人形に返った方が哀切感が増すだろうにとも思いました。 しかし(原作は未読なのでそれは措いて置きますが)監督は、ペ・ドゥナさんのままのラストを選択しました。 発想としては、ビニール人形に返る方がありきたりで、人間のままの方が意表をついたラストだと思います。 で、どう違うのかが問題です。 言うまでもなく、人間のままの姿の方がエロいです。 (笑)ゴミ捨て場に捨てられたダッチワイフなんですが、まさに掃き溜めに鶴ではなく、掃き溜めに太もも。 凄惨な光景です。 この映画のラストとしては、こうでなければいけないのかも知れません。 あれが「きれい」かどうかは別にして、心に残るラストシーンであることは間違いないと思います。 で、その前のタンポポなんですが、あれ、私は魂が飛んで行くとは理解しませんでした。 だって、あれは人形が幻に見た誕生会のシーンで、祝福されてケーキの蝋燭を吹き消したつもりのタンポポでしょ。 幻影なんです。 みんなに祝福されるのも、ケーキも蝋燭も。 それで蝋燭を吹き消したつもりのタンポポがいくら飛んで行っても、それで「ありがとう」というハッピーエンドには成り得ません。 誰かの代わりではない、自分自身の存在理由を探していた人形ですが、それはついに見つけることはできなかったのです。 ですから、それなりのハッピーエンドならば、成仏して(笑)ビニール人形に返るかもしれませんが、アンハッピーエンドのこの映画の場合は、ゴミ捨て場に太ももの凄惨な光景こそがふさわしかったのだと思います。 もちろん人それぞれの受け取り方があって構わないし、 それを伺うのが興味深く楽しいので このようなスレを立てております、 というのをまず大前提として… 「タンポポの綿毛は彼女の魂」説も もう少し補足が必要でして、 彼女の最後の息に 彼女の心がのせられ飛散して行くわけですが、 それでは目に見えない。 風と同化した最後の息の行方を表す道具として アニメーション綿毛が使われたと考えております。 (ちなみにイヤイヤ映画に同行した夫は 「一種の人魚姫ストーリー」と映画を理解したようで、 人魚姫のラスト同様、 魂が風になったと受け取ったようです。 イヤイヤ付き合う割には、 映画の受け取り方が似るところが夫婦の所以か?) 彼女の最後の息は 孤独な老女と代用教員だったお爺さんを引き合わせ、 引き篭もりがちで過食症の女性の窓を開けさせる。 窓を開けて「綺麗」とつぶやく過食症の女性の行動は、 心を持って目覚めた時の空気人形のコピーです。 つまり彼女は第二の心を持った空気人形。 なにかつらいことがあって (そのきっかけはもしかしたら 男性にダッチワイフ的に扱われたためかも?) 外界に心を閉ざした彼女は、 心の無い人形同様の状態から、 ようやく何かを綺麗と感じる心の動きを取り戻す。 世の中を何も知らない無垢な人形ではなく、 一度は大きく傷ついた結果の人形化なので、 その回復への歩みは もっとゆっくりしたものになるでしょうが、 それでもいずれ洋服ダンスから お気に入りの一着を引っ張りだして、 久々にお化粧をして街に出るであろうことを予感させる、 ほのかな救いを見せるラストであると理解しています。 (でないと陰々欝欝な話過ぎますよねぇ。 ) で、ですねぇ、あの 「ごみ捨て場に、 人形でなくペ・ドゥナさんが捨てられている図」は、 あのほうが倒錯美の極致で 変態的に綺麗であることにはなんの反論もごさいません。 (倒錯美ですので、綺麗と思う派と思わない派に きっぱり二分されると思いますが、 私は綺麗と思う派です。 ) ジェーン・カンピオンが 海辺に置き捨てられたピアノの図から 映画「ビアノ・レッスン」を作ったように、 監督はまずこの図ありきで 映画を作ったであろうと思いました。 倒錯映画を偏愛する身としては非常に楽しかったです。 「凄惨な光景こそがラストとして相応しい」に関しては、 ラストを希望的にファンタジックに解釈している私は 実はもっと凄惨なラストも同時に妄想しておりまして、 それは「人形は死して本当のヒトの死体となった」 というもの。 自殺するというのは高等な知性のなせるわざ。 自ら魂を手放した彼女はその行為によって ホントウの人間となる。 ただそれはなったと同時に死んでるんですけど。 この場合、最後の最後遺体を引きで撮る場面で、 ゴミ捨て場がざわめく所が 遠景と小さな声入りで欲しいですね。 「きゃあ」という遺体発見女性の悲鳴と、 「警察警察!」と携帯電話を取り出す通勤途中の男性 ってところでしょうか。 そういう一般人が考え付くようなことはやりませんよ、 と言う監督の声が聞こえた気がします。 昨晩スレの存在に気づきましたが、その後あっさりと寝てしまったので今夜レスします。 じつは私も同じような感想をいだきました。 身体はもちろん空気が抜けてしまってフニャフニャでOK。 顔はどうやら別素材でできているようなので形は残ったとしても、やはり人形顔にしたほうがスッキリとしたのにな、と思いました。 ただ程度問題ですが、顔の汚れはない(少ない)方がいいし、微笑みが浮かんでいると良かったかな。 タンポポについての解釈も素子様命さんとほぼ同じでした。 ただタンポポがいかにもCGだよねっていうのが残念でしたし、また魂がいくつかのタネという物体に分割されて孤独な人たちに個別に届いていく、というのは馴染めませんでした。 複数のタネが風に乗って飛んでいくのはいいのですが、彼女の魂は、それらのタネを乗せている「風そのもの」となって関わった人たちの心の中を一瞬吹き抜け、彼女の想いを届け、あるいは残す、そんなラストのほうが良かったのだがなぁ、と思いました。 その点ではスレ主さんのご主人様の感想により近い気もします。 taruさんへ。 こんばんは。 アンハッピーエンドと思われたのですか? 私はハッピーエンドだと思いました。 人形の製作者との会話がかなり意味深でしたし、最後の夢が幸福に満ちていたので。 ホント、解釈はさまざまなものだなと、今さらながら思います。 本日のスレ主さんの投稿がなければ、「あれれっ、ハッピーエンドと思っているのはオレだけかぁ? 映画の年季はまだまだ浅いし、へへっ、まるっきりオレってマイノリティだなぁ」、なんて昨晩は思っちゃってました。 戦争とか時代劇とかは別として、ギャング映画(ゴッドファーザーなんかも)も含めて日常の風景の中に死体が転がっているのはたいへん苦手なので、ラスト近くはかなりドン引きに近かったのですが、それでも、 「意識が宿って良かった。 生まれてきてよかった」 そういう思いがリンゴがとっ散らかった暗い部屋の女性に届いたからこそ、その女性は窓を開ける気になり、「きれい」、という世界を肯定できる感想を抱いたのだと思いました。 あと、スレテーマとは関係なく重箱の隅をつつくようなことですが惜しかった点をひとつ。 意識を持ってたときの彼女の目ですが、1シーンだけその右目の白いところに赤い血管が見えました。 やはり人形という設定なのできちんと画像処理して欲しかったと思いました。 ホントにその程度の意味しかないかもしれませんね。 別に悪いと言っているんじゃなくて、そのような軽い意味なんだろうなあと。 作品の展開のからして、言っていることの観念的なことと比べて、ストーリーとか事象とかはタンポポに限らず「軽い」ものとしているんじゃないかという気がします。 幻影なんです。 制作者の思いつき程度でハッピーエンドに「した」のでは? これに限らず、全体に結構話が飛んでますよね。 あり得ない話だから、展開も厳密にせずに幻想的にしたんじゃないでしょうか? 私も、彼女の心が飛んでいって、他の人が幸せになるってあり得ないって言うか、そうなる道理がないので意味が分からなかったんですが、ホーク中尉さんのレス見て、深い意味がないんだと。 このシーンに限らず、作品自体出来事を深い意味を持たさずに進行させているんじゃないかと思いました。 人形に戻して、通常の風景が淡々と流れる方が、無機質な作品の性格に沿っている気がします。 絵をご覧になることはありますか? ピカソやゴッホ、マティス、シャガールなどなど。 観る人によって、また作品によって感じ方が全然違います。 是枝さんの作品(特に空気人形)はそれと似た感じで観ても良いと思いますよ。 「おしべとめしべと虫と風」ですが... ですのでその解釈はそれで良いかと思います。 ただ自分は空気人形は「心を持ってしまった」であって魂は無いのですよ。 ですので彼女の死はただ単に「空気が抜けた状態でしか無い」という解釈です。 結果的に、燃えないゴミにいる彼女は死んでこそいえ「心を持った存在」なのだと解釈しています。 ですのでペ・ドゥナのままが自然だろうと思います。 タンポポの解釈は今のところまだ整理できておりませんのでこんな感じです。 ははは、お互い様ですね。 私も、事象に軽い意味しか持たさずに作っているといったのは、善意の解釈です。 もしもこれが深い意味を持っているとすれば、そこらじゅうに辻褄が合わないというか破綻した箇所が満載の作品になるだろうという予想から、そのように解釈したまでです。 私は直接的な人間でして、 なかなかこうした詩的な言葉がすらっと出てこず、 ズラズラと文章を連ねることになります。 こういうエッセンスをうまく抽出した 短文を書ける人ってとっても羨ましいです。 かぐらさんへ 「空気が抜けた状態でしか無い」というのであれば、 顔の件はともかく、 空気が抜けた状態は表現されていても良いのでは? 映画のラストは空気いっぱい詰まった 健康的ムチムチボティでしたよ。 私はあのシーンは監督の美的センス優先シーンだ と思っています。 もともとあの映画は理屈をすっ飛ばしてます。 ファンタジックな話だとしても、 その世界内の整合性は考える作り方がありますが、 そういう作り方はしていない。 理屈をあえてすっ飛ばすことで 童話的ファンタジックさを醸し出している。 一見頭が弱そうな正体不明の女の子が いきなりバイトできるのも良く考えればおかしな話です。 彼女に履歴書やエントリーシートが 埋められるハズもありません。 勝手に外出していることが 持ち主にしばらくバレないのであれば、 勤務時間や休日は 持ち主のスケジュールに巧妙に合わせねばなりませんが、 とてもそんなズルい工夫ができるとは思えない。 一緒にお風呂ごっこするほどかいがいしい持ち主が、 目立つ所にある穴塞ぎセロテープに気がつかないのも 不思議なことです。 (尤もアレに関しては、 気がついてちょっと気味悪かったので、 彼女を押入れに篭めて 新品を買っちゃった可能性がありますが。 ) そういうあれやこれやは ひっかからずにスッと流して見ることを 要求されている映画でして、 動物がいきなり話しだそうが、 ふってわいたように王子様が通りかかろうが、 理屈抜きでそんなものとして受け入れて読む童話と同様。 無責任な傍観者さんの言う「軽い」とは そのあたりのことを指しているのかなと思います。 監督の少し倒錯した童話的世界にハマれた者としては、 あのままでも高得点の80点ではあるのですが、 人形に戻ったほうが もっと寓話的になったのではないかなぁと思うのです。 「人形の話として描きましたが、 これは人間の寓意ですよ、 少しは生々しく受け取ってください」 というダメ押し。 そうなら、「死して本物の人の死体と成った」 ところまでやってもらいたかったですけど。 (そろそろ私生来の悪趣味が顔を出してますね。 こういう鋭い眼で観られる方がいないとダメですよね。 全く個人的な意見なんですが、この作品に限って言えば「是枝さんは空気人形に恋しちゃてるな」って思ったんですよ。 恋して盲目になった部分があったかも無かったかも(すいません。 無責任発言しました。 ) >私には許容出来るぐらいの作品だったってことです この一言に非常に救われました。 レスして良かったです。 ありがとうございました• つまり、この作品はストーリーや話の展開などの目に見える事象はあまり意味がないと。 空気人形をはじめとする各キャラクターの発言や考え方を個々あるいはトータルで考えるべきなんだろうなと。 レンタル屋の店長さんは別に家族構成がどうのなんて関係なく、単に卵かけご飯を食べるような人で、人当たりの良い好感度の高い人なんですよ。 彼が何かの出来事に当たると何を考えるのか?出来事自体は何でも良くて、彼は何を考えるのか? みたいな作品だと思っています。 だから、タンポポの種が飛んでいる事象それ自体は意味がないと思っています。 タンポポが飛んでじいさんとばあさんがくっついたり、引きこもりが治ったり、なんてことはあり得ない。 こんなことに深い意味を持たせるとしたら、アホか!ってことです。 みたいなセリフに主人公の精神世界に思いを馳せる、味わいのある作品、というのは賛成です。 ただ、作中、即物的な言葉や事象しか理解しない彼女自身が、それまで全く経験をしなかった「他人とのふれあい」「他人との因果関係」についてつぶやくことに、作品での意味の重大性を求めることは、ちょっと的が外れているね、ということが言いたかったんです。 ホーク中尉さんの文章を読んでいると、深い「意味」というより「味わい」とか「余韻」とか「情緒」とかそんな感じかなと。 まあ、こんなとこです。 (でないと陰々欝欝な話過ぎますよねぇ。 人形の製作者との会話がかなり意味深でしたし、最後の夢が幸福に満ちていたので。 人形の製作者との会話なんて大して中身もありません。 別に哲学的でもないし、変に深読みする必要はないです。 主人公の意識が夢と幸福に満ちていたとしても、それで映画がハッピーエンドになるとは限りません。 それだからこそ、映画としてはアンハッピーエンドになる場合もあるのです。 この映画のようにね。 単純な話、やっと恋人と巡り合ったのに、間違ってその恋人を殺してしまい、生ゴミとして出すはめになったし、最後は自分がゴミとして捨てられるラストのどこがハッピーエンドなんでしょう?過食症の引き籠り女がゴミ捨て場の彼女を見つけて「きれい」と言ったからハッピーエンドなんですか?そんなの無茶苦茶強引な話ですよ。 自ら魂を手放した彼女はその行為によって ホントウの人間となる。 最後のシーンは、人形が自殺したんですか?自殺したとして、自分でゴミ捨て場に行ったんですか? (最後のシーンに至る場面で、実は私は一寸音声がはっきり聞こえなかった場面があり、脳内で勝手に解釈して観た所があります。 で、質問していますので、これは本当に単純な質問です。 ) それから、あの恋人がなぜ死んだのかがよく分かりませんでした。 (私の脳内解釈:人形が彼に自分はからっぽだとか言ったら、彼は自分も同じだ。。 とか答えたので、人形はそれを言葉通りに受け取ってしまい、人形は恋人に試しに穴を空けて空気を吹き込んでみる積りだったところが、空気穴がなくそのまま死んでしまった。 ) で、何で人形が死んでしまうのか?(私の脳内解釈:心が理由もなく宿ってしまったのだから、特に理由もなく心がなくなる、死んでしまうのもおかしなことではありません。 あるいは、最初の持ち主だった秀雄が新しく人形を買ったので、彼女が存在する理由がなくなってしまい、心もなくなって、秀雄によってゴミ捨て場に捨てられてしまうことになってしまったのだった。 ) まあ、いずれにしても話としては陰々滅滅たるもので、無理にハッピーエンドに解釈する必要もないのではないですか?• 面白いです。 で今回はtaruさんの質問にお答えしますと… 陰々欝鬱な話はそれでそれで好きですよ。 私本来の趣味からいけば そうに決まってるとお分かりでは? ホーク中尉さんは私と似たような解釈をされていますが、 私はハッピーエンドとは表現していない点に 気がついていただけたでしょうか? たんぽぽの綿毛の先にかすかな希望が見えるのは、 このままではまったく救いの無い話になりそうなところで、 少しだけ救いを入れたと捉えており、 話全体としては悲劇でしょう。 ほんの少しの独占欲が招く、関係性の崩壊です。 最後のシーンは見もふたもない言い方をすれば、 後追い自殺に決まっているじゃありませんか。 多様な見方を募っておいて決め付け調ですけど。 そこには、前振りされていた、 同乗者用ヘルメットの主であったろう元カノの 存在が気にかかっていたことがあるでしょう。 (というよりあの写真の女性は、 今カノなのかもしれません。 ) 私のことだけ見つめて欲しい、 そんなささやかな独占欲が まさか関係性崩壊を招くとは思わず、 彼女はナイフか何かを手に取り、 彼氏を突き刺し死なせてしまいます。 結果として彼の肉体から、 彼を彼たらしめていた自我=心は消えてしまう。 人が生ゴミになる瞬間を体感するわけです。 持ち主は新しい心無きめぐみちゃんを手に入れており、 彼氏は自分の手で殺してしまった彼女に 戻るところはありません。 大好きな宝物を並べて 楽しくて綺麗なこともあった現世に別れを告げ、 彼女は自分で穴塞ぎセロテープをはずして 自分も彼氏同様ゴミになる決意をして 燃えないゴミの日にゴミ捨て場に横たわったことでしょう。 この説でいきますと、 あの人形の死はどこで成立するのか? という疑問も沸いてはいるのですが (空気が抜け過ぎれば死なのかなぁ? 入れなおしたら復活では? つまりアレを拾う人がいて穴をテープで塞ぎ、 空気を入れ直してくれたとしたら、 死んでないってことにならないか? 焼却や粉砕されるまでは意識を失っているような状態で、 完全死ではないとすれば、 顔がペ・ドゥナさんのままなのはOKかも。 とかとかなどなど…………)、 そういう厳密さを求めるのは、 あの作品にそぐわないよう気がします。 文を作るのが下手なので未明の投稿となりました。 この作品に限らず映画の見方(解釈、感想)は多様なものでしょう。 私はずいぶんと即物的なシーンもあるけれど、隠喩も多い作品だなと思いました。 この「隠喩が多い」というのも個人的な感想に過ぎません。 またその隠喩が何の喩えなのかの解釈も、人によって様々であろうと思います。 したがってこれから述べる内容も、私の個人的解釈であり、それが絶対的に正しいとか間違っているという話ではありません。 ただ、「私はこう感じた」ということだけのことです。 わたしはこの作品に対してはそれほど哲学的だとも思いませんでした。 意識とは何か、心とは何か、コミュニケートすることとは何なのか、などの事柄について、それほど突っ込んではいないと感じましたので。 「死」についても即物的な内容であり深く掘り下げてもいないと感じました。 この作品では、孤独な人の存在、それを癒すものとしての好意や愛情の交換(交歓のほうが適切?)について述べていると解釈しました。 キーワードが「息」でしょうね。 それまでは恋心を抱いていたのが、レンタル店で息を吹き込まれて生命の歓びと愛情を注がれる歓びを感じたのだと思います。 この時すでにセックスの歓びを与えられたと感じたかはなんとも言えませんが、恋人の部屋ではそれも当然感じたのだと思います。 息を吹き込まれることで愛のあるセックスの歓びを「与えられた」という認識が生じました(と解釈しました)。 それゆえただ与えられるだけではなく、自分が恋人に愛と歓びを「与えたい」、と願ったのがあの行動の動機だったのでしょう。 無知なるがゆえにとんでもないことになりましたが。 さてオダギリジョーさんは製造業者、メーカーでした。 ですが訪れた彼女を見てビックリするわけでも動転する素振りでもなく、当然のように「おかえり」と迎えました。 人形が自分勝手に動き心を持つのが当たり前のような態度でした。 したがって命を宿す可能性のある者を作る存在がオダギリジョーさん、ということになります。 それゆえ神(the Maker)のような扱いであると感じ、彼の言葉にはそれなりの意味があると解釈したわけです。 なお、ハッピーエンドかアンハッピーエンドかは、それこそ個人個人の感想であって、必ずどちらか一方でなければならないってわけではありません。 私は彼女が恋人を殺したという意識がどこまであったのかな、と思います。 少なくとも罪の意識は持っていません。 燃えるゴミになっちゃった、程度の理解でしょう。 またゴミに関する意識も普通の人とはだいぶ温度差があるようでした。 結構いろんなものを拾ってましたし。 ですから、 >自分がゴミとして捨てられる ・・・ということに対して、どれほど悲観し、どれほどの悲壮感を抱いていたのかは疑問です。 したがって悲しみに打ちひしがれて「自殺しかない」、という決意があったのかについても疑問に思っています。 せいぜい「恋人がゴミなっちゃったから私もゴミになろう」、といった程度の感覚だったように思います。 ですから恋人の腹を割いたという惨劇はあっても、必ずしも悲劇ととらえる必要性はないし(そう思う人がいてもいいとは思います)、極端な話、「バカがバカやったぜ」っというようなブラック・コメディととる人もいることでしょう。 (私はこのあたりはドン引きでしたが) >過食症の引き籠り女がゴミ捨て場の彼女を見つけて「きれい」と言ったからハッピーエンドなんですか?そんなの無茶苦茶強引な話ですよ。 taruさんの現在のお考えは分かりましたが、こと私に関しては無茶苦茶でも強引でもないのです。 オダギリジョーさんが、「心をもって良かったかい?」と訊ねたときに彼女はうなずいていました。 彼女は自分を肯定したのです。 その延長線上にあるラストです。 誕生日をみんなが祝ってくれる夢を見て息絶えます。 切望してやまなかった願いを、果てしない絶望の中で見たものなのか、それとも自分が生まれたことに対する肯定の気持ちで見たのかは、もちろん人ぞれぞれの解釈でしょうけれど、私は後者だと思いました。 そして引きこもっていた女性が窓を開けたときに発した言葉に込められた意味も私はその文脈、つまり生への肯定に沿って捉えた、と言うわけです。 以上が感想です。 思うにこのスレは、各人が解釈を披露しあってその多様性楽しむことにあるんじゃないでしょうか。 ですから誰が正しいわけでもなく、誰が間違っているわけでもないと思いますよ。 私は文章スタイルがすぐ断定調になる人間ですが、 皆さんの見方もとても面白いし、 人の意見に影響を受けてブレるのも得意です。 意見は平行線のままでも、 自説を披露して見たい方、 へぇこんな見方もあるんだなぁというところを 知りたい方のレス絶賛募集中です。 黄金のキツネさんは男性ということで宜しいですか? 男性はやっぱり女性よりロマンチストなのかなぁ。 「愛を与えてあげたくて」というお説を読んだら、 「独占欲」をキーワードにした自分が 恥ずかしくなりましたよ。 (と言っても、まだ完全説得されるには到ってませんが) 私は、彼女は人間としての学を積み重ねていないので、 知識面で劣るところがあっても、 情操面は急速に「女」になっていったと捉えています。 そう思ったのは、持ち主との大ゲンカシーン。 アレは新しい若い女ができた夫と 古女房のケンカでしたから。 自分も持ち主以外の人に心を移していて、 抱かれるのにも乗り気でなかったくせに、 持ち主の心変わりは許せない。 性欲処理機であることは受け入れられても、 現実に存在する誰かの代わりだったことは 「きぃぃぃぃぃ」なんです。 女心ですねぇ。 監督も原作者も男性であることを考えると、 あまり生々しく考えないのが 製作者の意図には沿っているかもしれませんが。 しかし、そんなものが簡単に見つかるはずもありません。 さて彼氏の部屋にあった写真の女性は 元カノか今カノか?問題に 「あまり頻繁には会っていないが、 きっぱり別れたわけでもない今カノである」 という結論を出しました。 理由はそのほうがより物語が哀しくなるから、です。 死ぬのは、生まれたから。。 基本的に、好きな映画を色んな人とおしゃべりするのが楽しいので、私はこのサイトを利用させていただいています。 ただ、ネット上の言葉による会話は誤解を生みやすいし、一寸した気持ちのすれ違いが回復不能の亀裂を生んだりする恐れもあるので、余程気をつけなければいけないとかいうことは、私もネット生活が長いので十分心得ています。 互いの意見を尊重して、相手を簡単に否定したりしないことが大切ですね。 けれども、そういうことをお互いに十分承知した上で、侃侃諤諤の意見をやりとりするおもしろさも、私は捨てがたい人間ですので、時として自分の意見を強く主張することもあります。 そういうやりとりのおもしろさを理解して相手になっていただける人は中々見つかりませんが、私はそういう人と巡り合えたら楽しいだろうなぁと思いながら、このサイトに来ています。 で、「誰が正しいわけでもなく、誰が間違っているわけでもない」というような余りに達観したもの言いでは、議論の楽しさなんて育たないのではないかと危惧する次第です。 まあ、いいんですけれどね。 この場面って、えらくリアリティがあるのですが、もしかして原作にあったシーンなのですか?けれども、映画にはありませんでしたよね? 映画で穴をふさいでいるセロテープをはがしたら、あの本屋でのように、ビニール人形に戻らないと不自然で、そうすると「ゴミ捨て場に太もも」のラストシーンが撮れなくなりますもんね。 まあ、そんな映画的な事情は置いておくにしても、人形の後追い自殺説は、私にはどうもしっくり来ません。 素子様命さんがご自身で仰っているように、それでは人形がいつ死んだことになるのかもよく分からないことになりますよね。 私自身まだよく分からないのですが、何故か訳も分からないで持ってはいけない心を持ってしまった人形は、同じように訳も分からずに死んで行くのだとそのままに理解したい気持ちなのですね。 人間は何故死ぬのかと言うと、生まれて来たからなんですね。 初めから死ぬものだと決まっているのです、人間の生というものは。 同じように、人形が何故死ぬのかというと、<持ってはいけない心>を持ってしまったからということなんです。 なぜ心を持ってはいけないのかというと、ダッチワイフである人形は、基本的に<拒まない>存在であるところに最大の存在理由があったのです。 ところが、<心>を持って<拒む>(一人でお風呂に入って体を洗うシーン)ことを始めたことから、実は彼女の死は予定されてしまうことになりました。 それではなぜあの時点で死んだのかと言うと、神のみぞ知ると言うほかありません。 ところで、元今問題ですが(笑)、素子様命さんの出された結論でいいのではないでしょうか。 その理由も同じです。 これもまたロマンティックで素敵な解釈。 全般的に男性陣は生々しくは受け取らないよ、 という「気概」が見える気がします。 (というより、 ちゃんとファンタジックしている作品を 思いっきり生々しく現実的に解釈している 私が少数派なんでしょう、きっと。 ) 原作漫画の方は未読です。 観てからコンセッションで買おうと思っていたのですが、 レイトショーを観に行ったのだということを 意識しておらず、 上映終了時にはコンセッションが閉じられておりました。 穴塞ぎセロテープを 自分で取ったか取らないかについては、 そこに手をやった映像はあったが、 取ったと断定する映像はなかったと記憶しています。 ですから、 「テープはとって無い。 空気は抜けてない」 と主張される方の登場を お待ち申し上げていたのですが、 意外にも「抜けてる」解釈の方が多いようです。 かぐらさんが 「抜けてない」っておっしゃってくれるかなぁ と思っていたのですが。 抜けてないから太モモなのだ、も、 状況としてはアリだと実は考えています。 その後どうなるかも良く分からない。 」になります。 ただ、「持ち主に捨てられた」は無いと思いますよぉ。 ゴミ捨て場には自分の意志で赴いた、というところは いまのところ譲らないつもりです。 それほど枯れた人間じゃないつもりですが(笑 ネットの上の文字だけのコミュニケーションは難しいもんですねぇ。 わたしも基本的にtaruさんと同じスタンスで臨んでいますが、映画内の事実に関すること以外のこと、主として感想について他の方と話すときには、なるべく断定口調にはならないようにしています。 (もちろんそれを他の方に強制するつもりはありません) 2箇所引用いたします。 >映画としてはアンハッピーエンドになる場合もあるのです。 この映画のようにね。 >そんなの無茶苦茶強引な話ですよ。 ・・・今回taruさんが、「自分の意見を強く主張する」、と言われたように、上記引用箇所は「かなり強めの断定口調」として、つまりハッピーエンドとする考えは受け入れられませんよ、と黒白をつけるような文の結び方のように響きました。 主観的な解釈・価値観について述べあうとき、往々にしてヒートアップする事態はよく見かけることです。 taruさんがこのたび危惧されたこととは表裏の関係にある事態をわたしは危惧した、ということです。 それで自分の考えを述べた後でtaruさんが問題とされた文を付け加えたほうが良さそうだなと判断しました。 そしてまたそのことを別段悔いてもおりません。 なお10月8日にtaruさんがわたしに対して仰った内容に関し、わたしは自分の感想を持つに至った道筋はけっこう丁寧に記したつもりでいます。 したがいまして最後の文、つまりネット上のエチケットみたいな総論の部分にのみレスをいただいたことは意外でしたし、また残念なことでした。 素子様命さんへ。 やはり他の方の考えは聞いてみるもんですね。 >元カノの存在が気にかかっていたことがあるでしょう。 (略) >私のことだけ見つめて欲しい、そんなささやかな独占欲 ・・・あの写真は過去のもので、嫉妬心があの行動の動機だなんて考えも及ばなかったです。 また、 >持ち主との大ゲンカシーン。 アレは新しい若い女ができた夫と古女房のケンカでしたから。 自分も持ち主以外の人に心を移していて、抱かれるのにも乗り気でなかったくせに、持ち主の心変わりは許せない。 ・・・ここのセリフはもうほとんど忘れました。 たしか階段下にいたけれど声がするので2階に行ったら替わりのダッチワイフがいたってところですよね。 わたしは全く違う感想を抱きました。 替わりの者はまだ物(人形)の段階なので嫉妬心なんか沸くはずもなく、最初にコンタクトをもった持ち主に対しても造物主と同様に、「心が芽生えたこと」を祝ってもらおうと考えたら180度異なる態度だったのでショックを受けた、と解釈していました。 いやホント、ひとさまの意見は聞いてみるもんです。 解釈の多様性をライブ(疑似ですが)で聞くのは楽しい体験です。 ちょっと補足します。 彼女は肉体的には人形の時代から大人でした。 しかし心はイノセントであり、子どものように好奇心旺盛でなんでも知りたがり屋でした。 他の方に進んで話しかけていたし、言葉に頼らないコミュニケーションも結構やっていたと思います。 たとえばレストランで人参をポイするところとか。 ですから通常のコミュニケーションはそれなりに双方向に習熟しつつありましたが、セックスの方面ではもとの持ち主ともレンタル店の店長とも完璧に一方向でした。 恋人とも、ことセックスに関してはナイフを持ち出すまでは受動的な立場だったと思います。 そういった理由で能動的なセックスをして恋人に自分の愛情を与えたいなと考えたんじゃないのかな、と思ったわけです。 なお「緩慢な死の選択」について。 彼女には死者を弔う意識は完璧に欠けており、それはとりもなおさず死に対する認識が、自分自身の死も含めてほとんど幼児並であったとことを示しています。 ですからゴミ捨て場にいればゴミになる程度の認識であり、自ら望んで緩慢に死のうという高尚な(?)意識はなかったように思います。 でも言われてみれば、太ももがああでしたので、たしかに意識は飛ばしたけれど、本体はまだ生きていたという見方も、「あり」でしょうね。 これも新しい見解で面白く感じました。 ただ、「私はこう感じた」ということだけのことです。 なんだか今回は(も?)ひどく防衛網をひいて書かれているので、ご自分の感想に対してあれこれ言われるのはお好きでないのかと思いましたし、ただ自分の感想を書いただけだと念押しされれば、ああそうなんだぁ、としか書けませんよね。 ネット上の掲示板というのは、書き方が中々難しいものですね。 ゴミ捨て場には自分の意志で赴いた、というところはいまのところ譲らないつもりです。 そもそも、人形には「死」というものが分かっていません。 空気穴がなかったので息を入れることができずにいるうちに死んで(動かなくなって)しまった程度の理解しかなく、それはビニール袋に入れてゴミ捨て場に出した時に、「どうして動かなくなったんだろう?」とでも考えながらまじまじと恋人の死体を見ている人形の姿によく表れていたと思います。 それに、自殺するにしても何でわざわざゴミ捨て場に??という常識的な疑問が湧いてきます。 人形が、捨てられていたゴミの類を拾っていたにしても、それは人形にとってはきれいな物を集めていただけの話で、けっしてゴミが好きな訳ではないし、ゴミ捨て場が宝の山だった訳でもありません。 ゴミ捨て場に未来が詰まっている訳でもないし、価値観の逆転を狙っている類の映画でもないですからね、これは。 あのゴミ捨て場の周辺には、空き瓶とかが散乱していて、人形が遊んでいた形跡がありました。 ですから、あそこで遊んでいるうちに何故か(笑)動けなくなり、通りかかった人、或いは探していた元の持ち主によって、ゴミ捨て場の真ん中に「捨てられた」といった経緯が漠然と想像されました。 何でわざわざ自分でゴミ捨て場に行って死ぬかぁ?って常識が、私の場合はどうも抜けません。 この話は、家族という基盤無しで生活することが 珍しくない都市部の情景を使って、 寄る辺なき人間の孤独を描いていると理解しています。 (もちろん最後の最後に 希望の種も見せてくれていますけどね。 ) 登場人物の誰もが独り暮らしで家族臭がありません。 唯一父さんと少女の組み合わせがありますが、 これも母が欠けており、不完全な家族です。 少女は子供にとっての最大の寄る辺である 母の欠損の克服作業中。 (大事に持ち歩いていた人形と指輪を交換したのは、 母の欠損の克服の第一歩だと感じました。 お母さんにはまだまだ及ばないけど 充分優しいお父さんとの生活に 馴染んで行こうとしているとね。 ) 人形も人間の寓意だと思っているので、 人間だとこういうことね、 という置き換え作業をして文章化しているだけなんです。 テープを自分ではずした場合は、 首吊りや高いところからの墜落死のような 積極的自殺にあたり、 テープを取らずにゴミとして回収してもらおう とした場合は、 自分で自分を殺す行為はせず、 死に行く状況に身を置こうとする 樹海行きのような行為にあたるだろうなと。 彼女の思考自体は 「彼氏を生ゴミにしてしまったので、 自分も不燃ゴミになろう」でOKだと思ってますよ。 死についてはそれしか教わっていませんから。 それと「嫉妬」なんですけど、 「嫉妬」というとどうも悪意が相手の女性にまで 行ってそうなイメージで、 嫉妬に狂ってブスっとやっちゃったみたいな感じです。 彼氏が自分の方を向いてくれたらそれでいいんです。 (もちろん相手女性ときっぱり切れてくれたら、 万々歳ではありますが。 しかし、そうしろと迫る気はゼロ。 ) 彼氏の息で満たされた空気人形は、 「天にも昇る気持ち」だったことが 非常に具体的に絵にされていました。 それは 「誕生日やクリスマスに宝石がついた指輪をもらった」 女性のようです。 こうした女性は、 彼氏の誕生日やバレンタインにネクタイや時計を贈り、 それを拒まれずに身に着けてもらうことを期待します。 それは贈られたものの 8割返しじゃないんですよ。 それにあたるものがここでは「息」だと思ったのです。 寄る辺探し物語としては ここが私の寄る辺であるという 標識を立てたかったんだと思うのです。 (なにせ丁度安全パイだったはずの寄る辺を なくしてしまったところです。 自分の定位置をベッドにしてくれていた 持ち主のベッドには、 新品新型のめぐみちゃんがいるのです。 心がある以上、 押入れに篭められるのは耐えられないのです。 ) ラスト解釈では大揉め中のtaruさんのお言葉を借りると、 「自分自身の存在理由の確立のつもり」が アレだったのだと。 もちろん、人形の頭にこんな言葉は浮かんでなくて、 言語化できないような気持ちだったと思いますが。 「死んだらヒトは燃えるゴミ。 人形は燃えないゴミ」 だと。 そこから 「彼氏を燃えるゴミにしちゃったから、 自分は燃えないゴミになろう。 」 という行動を導いた鑑賞者は そう少なくないと思いますよ。 テープを自分でとったかとらないかは さて置いて、ですが。 (議論を重ねているうちに、 太モモラストである以上、テープ取って無いかも? に傾きつつありますが。 でもゴミになろうとはしていたと思うのです。 ) もちろんこれは、 テープを自分でとったかとらないかにおいて 解釈が割れるように、 捨てられたんだという解釈者がいることを 否定するものではありません。 でも、「なんで自殺場所としては 非常識でアリエナイゴミ捨て場に行くの?」 というご質問に関しては、 自殺というほど明確な気持ちの言語化はなかったろうが、 死とゴミ捨て場を結びつける場面は存在しており、 彼女はその人形師の言葉を言葉通り実践したのだ、 というお答えをしておきます。 彼氏殺害後ベンチに座っていた彼女には 犯罪者としての罪の意識なんてものは まったくありませんが、 それでも寄る辺を自分の手で無くしてしまった者の 「困惑」「悲しみ」はあったと思います。 (とりあえず今日寝るトコも無いんです。 いっつもちゃんとしたベッドで寝てたんですよ、 彼女は。 人形とはいえ。 小太りジョー。。 え?小太りジョーじゃん。。 って感じ。 私の中でオダギリジョーは結構点数高い役者だったんですが、この映画の小太りジョーで、評価下げました。 (笑) で、「死んだらヒトは燃えるゴミ。 人形は燃えないゴミ」とかしゃらくさい講釈たれているのが右の耳から左の耳へ抜けて行ってしまいましたね。 でも、改めて仰る言葉の意味を考えても、やはり死んだ恋人の死体を燃えるゴミで出して、自分は燃えないゴミになろうという発想が分かりません。。。 まあ、個人的にそんなのを認めたくないだけかもしれませんがね。 持ってはいけない心を持った代償に、捨てられて死んで行くと考えた方がメルヘンじゃん?(笑)• 寓意性に富んだ物語では、その喩えに対する解釈がさまざまなものだなぁと、今さらながら感じました。 映画に関しては、映画全体、あるいはひとつのシークエンス毎の寓意を同じように解釈しても、それらを構成する下位の要素に対する見解が異なっていることもある状況を、今とても面白く思っています。 生死の問題にそれほど突っ込んだ物語ではないと思ってましたので、この点は「樹海行き」のくだりの内容で了解できました。 「嫉妬」の件も詳しい説明で素子様命さんの考えていた内容がより深く分かりました。 また、「シルシを身につけて欲しい」、「寄る辺探し物語」についての箇所も、私とは異なる解釈でしたが非常に興味深く読むことができました。 とても楽しい時間でした。 なお私は「隠喩」という言葉を用いていましたが、確かに「寓喩」のほうが適切なようですね。 そのことも含めていろいろとありがとうございました。 そのあたりの展開は長々議論にお付き合いいただいてる 黄金のキツネさんも「引く」展開だったようですし、 無理に飲み込まなくてもいいんじゃないですか? 私の解釈は私の解釈。 このスレは自己流解釈披露スレです。 taruさんの「自然死説」も大変興味深かったです。 私は最終的に人形に戻して 童話性を高くすればいいのにと思ったのですが、 taruさんは自分の解釈で 童話性を高めていらっしゃるようです。 そのほうが映画に不満がなくて 良い見方かもしれません。 黄金のキツネさんへ こちらこそ、長々おつきあいいただいて ありがとうございました。 多様な解釈を可能とする映画は こういう議論が楽しめるところが魅力です。 またどこかでああじゃないかこうじゃないかと 解釈差を話し合うことができるといいですね。 * え〜尚、まだまだあっと驚く新解釈ありましたら、 絶賛募集中です。 男の下腹部から血が流れている場面が出てくる訳ですが、あれって、男が自分で腹を切ったのだろうか?というのが最初に浮かんで来たことでした。 人形が男を刺す理由がありませんからね。 男の部屋にあった写真の恋人との間に何らかの経緯があって、男は初めから死ぬつもりだったのかな?。。 というのが最初に思ったことでした。 しかし、人形が自分で刺して、空気を入れてみたいと思ったとかいうことでしたよね?しかしそれなら空気を抜くだけですから、せいぜい一か所少し刺してみるだけで十分なはずですよね。 それで、痛みで男はすぐに目を覚ますはずでしょ?いきなり死んでしまうほど深く刺す必要はない訳で、何で男が死んでしまったのかが疑問でした。 もしかして、男性の急所を切り取ったのかなぁ??(引かないでね。 ) それにしても、一般的に男が後追い自殺することはあっても、女が後追い自殺なんてまずありえない。。 というのは、たぶん私の偏見ですが、人形が後追い自殺したとすぐに解釈された素子様命さんは、ずいぶん純情な方なんでしょうね。 (嫌味じゃありませんから、誤解しないでくださいね)。 まあそんな訳で、ゴミ捨て場で遊んでいるうちに動けなくなって捨てられた。。 という風な私の解釈は少数派の解釈だとは思いますが、仰るように映画自体への不満は余りないので、これはこれでいいのかなとは思っています。 それにしても、一歩間違えると三流ホラー映画になってしまう所を、うまくきれいに終わらせたのは監督の手腕というべきでしょうか。 ただ、彼女は基本的に知識・常識が幼児レベルです。 私はすぐに「ああ、子供は残酷ってヤツですね」 と思って見てました。 トンボの羽を容赦なくむしっちゃうアレです。 やってることの重大性・危険さが イマひとつ理解できてない。 結果を正しく予測できない。 トンボじゃ重大じゃないだろといわれる前に 別な例を挙げておくと、3歳ぐらいの子が 家にあるピストルで兄弟撃ち殺しちゃうとかね。 加減して腕だの足だのを浅く刺しとけば、 痛さで飛び起きた彼氏に振り払われたものと思いますが、 いきなりまずいトコをぐっさりやっちゃったんです。 引いてる人も結構いるこの展開は オカルト・ホラー好きの私には好みの展開でしたよ。 無垢で純粋な子供の持つ無知故の残酷と 成人女性の性と情感が混在一体となった えもいわれぬシーンでした。 贅沢を言うと「もっと血糊たっぷりでお願いします」 でしたが。 だからそれじゃ三流ホラーだというのは よぉぉぉくわかっています。 というわけで、残念ながら純情とはほど遠い、 素子様命でした。 追伸 「自然死」説ですけど。 当初寄る辺がしっかりしていた彼女は、 それ故にこの世に生まれきた つまり持ち主が 人のように大事に扱っていたからこそ生を得た のだとすると、 寄る辺がすっかりなくなった、 というか自分の手で消してしまった彼女の生が そこで自然に終わるというのも、 だんだんアリな気がしてきました。 彼女を受け入れてその存在を下支えするものが 誰もいなくなってしまったんですもんね。 信じてくれる人がいないと 現世に居続けることができない 妖精のような存在という解釈になりますが。 当の持ち主にも「大事にしてたけど、 それは人間化して欲しいということではなかったのだ。 心はまったくいらんのよ。 無いのがいいのよ。 」 と、言われてしまいましたしね。 最初の解釈を取り下げはしませんけど、 第二解釈といたします。 新しい生が。。 なるほど。 私の説だけだと、なぜあそこで人形の生が終わってしまうのかがやや不鮮明でしたが、素子様命さんの解釈が加わって、一本筋が通りましたね。 さすが元漫研。 私にはこんな少女漫画風の解釈は無理ですからね。 しかしそう解釈すると、最後の場面で人形を発見した引き籠りが「きれい」と言った時に、実は新しい生が宿ったのかもしれなかったですね。 ペンギンと申します。 私はラストの描写において非常にスムーズに観られたので素子様命様のような違和感はなかったのですが、ご意見を読ませて頂いて「なるほどそれもアリかなあ」とは思いました。 皆様の様々な解釈を拝見していて、とても深く考えられているのにも感心しきりです。 でも私は、結論から言うとあのラスト、ペ・ドゥナの体のままのラストでやはり正解だと思うのです。 観客の解釈はそれぞれでいくつ見方があってもいいと思うのですが、私は監督の想いはどうだったのか、何をどう伝えたかったのか?という視点で考えてみました。 この映画が空気人形の「観察記録」であれば、より客観的な視点で「空気の抜けた人形」という現実を示すのが正解かも知れないけれど、監督はあくまでも主観的に作品を完結させたかったんじゃないかと思うのです。 そう考えればこの作品は擬人化されたヒロインのオデッセイであり、遂に報われなかった彼女への鎮魂歌であるような気がします。 したがって彼女は実はただのビニール人形だったんだという現実はどうでも良く、最後まできちんと人格を伴った「亡骸」として描いてやりかったんじゃないかと、こう思うわけです。 周りに飾ってあった彼女のお気に入りのきれいな空っぽのガラス瓶はさしずめ祭壇でしょうか。 ですから二階からその亡骸を見つけた引き籠もりの女性(この女性はたった一人の参列者なのかも知れません)に「きれい」と言わせたんだと思うのです。 この台詞は冒頭で持ち主の板尾創路が言ったのと同じ台詞です。 彼は空気が吹き込まれた彼女を「擬人化」して「きれいや」と言いました。 そこには人格があったんです。 若しくはあの時に人格が生まれたのかも知れません。 そして彼女はその人格を保ったまま「人生」を閉じたんだと解釈しました。 というわけで、私はこういうラストを選択した事に、監督の温かい視線を感じます。 先に書いた私の、 「監督の美的センス優先シーン」と ニアイコールってところなのかな。 整合性をとるよりは主観優先だったのだろうと 言うのは感じとってはいました。 もちろん「あれはあのままでいい」という方も 多いんでしょうね。 この映画のキーワードが 大事にされたということなのでしょう。 Iをスピルバーグにしてほしいか? スタンリーキューブリックにしてほしい か?で、解釈が違ってくるのと同じかな? たとえが悪いかな?(苦笑)• 返信を投稿•

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