中国 ペスト 流行。 ペストに襲われた中世のヨーロッパ、人々と教会はどうなった?

過去のパンデミック 14世紀のペスト大流行について

中国 ペスト 流行

ペストとは まずは、ペストがどんな病気であるのかを見ていきたいと思います。 ペストは、 ペスト菌が感染することで起こる伝染病です。 ネズミ・犬・猫などに流行した菌がノミを介して人にうつり発症します。 ペストの症状は、通常2つのカテゴリに分類されます。 それは、それぞれ 「腺ペスト」と 「肺ペスト」と呼ばれます。 腺ペストは、リンパ節、特に腋窩や鼠径部のリンパが腫れることが特徴です。 高熱を生じ、ペスト菌の毒素によって意識の混濁や心臓の衰弱が起こります。 肺ペストは、ペスト菌が肺にまわって発症します。 発熱・下痢、肺炎、喀血・血痰などの症状が起こります。 腺ペスト・肺ペスト、治療しなければいずれも数日で死亡してしまいます。 ペストのことを 「黒死病」と呼ぶことがあります。 ペスト菌が血液を犯し、敗血症を起こすと、出血斑や手足の壊死を起こします。 その結果、全身が黒いあざだらけになって死亡します。 そのため「黒死病」と呼ばれるようになりました。 現在でも、アジア(インドやマダガスカル島)などで、ペストが散発するときがあります。 しかしながら、ペスト菌には、ストレプトマイシンなどの 抗生物質が有効なので、現在では昔ほど怖い伝染病ではありません。 ペスト流行の歴史 ペストの流行は、有史以来たびたび記録されています。 現在、ペストであろうと思われる最初の記録は、聖書のなかに見られるそうです。 (「サミュエル第1の書」5章・6章) 時代的にはおよそ紀元前11世紀ごろとされます。 その後も紀元前3世紀ごろ、ペストと思われる流行病の記録があるそうです。 これらはいずれも一部地域での流行の記録とされます。 一方、いわゆるパンデミック(世界的流行)としての記録は、6世紀、7世紀、11世紀に見られます。 特に11世紀の大流行は、十字軍の遠征が流行を広げた要因と考えられています。 その後、14世紀、17世紀、19世紀とほぼ250年から300年ほどの歳月を空けて、パンデミックが繰り返されてきました。 14世紀のパンデミック ここからは、14世紀に起こったパンデミックについて見ていきたいと思います。 14世紀のパンデミックはその規模・範囲、ならびに社会に与えた影響はとても大きいものでした。。 世界的なパンデミックの代表例として取り上げられることも多く、 今回の新型コロナウイルスの世界的影響を考察する上でも最適な題材だと思います。 どんな流行だったのか 14世紀のペストは、 アジア(中国大陸)からヨーロッパにかけて猛威をふるいました。 発生源については、中国説・中央アジア説があるが、両者ともはっきりとした決め手にはかけているのが現状のようです。 死亡した人の数については、 全世界で7000万から1億人ほどの犠牲者を出したと推定されています。 (諸説あり) 西ヨーロッパにおいても広範囲に流行しました。 犠牲者については、 当時の人口の3割から6割が死亡するという壮絶なものでした。 このため、当時の人々が直面した死の恐怖は、我々が現在直面している以上のものであったことが推測されます。 流行をもたらした社会的状況 自然環境の悪化 14世紀の ペスト流行前には、中国・ヨーロッパ双方で大規模な気候変動・天変地異が起こっていたようです。 中国では干ばつ・洪水、大地震、イナゴの襲来が記録されており、人々が飢饉に貧した様子が記録されています。 一方、ヨーロッパにおいても火山の大噴火や地震、それに伴う飢饉の発生が記録されています。 このように、 環境の悪化と飢饉により人々の抵抗力が低下したことが大流行の伏線となったとも考えられています。 また、アジア大陸での飢饉による 穀物不足により、同地に住んでいたクマネズミが大量にヨーロッパに流れ込んだことも感染を広げる要因になったと考えられています。 貿易船と商人の往来 ペストの流行地域の移り変わりについては、• 貿易港や貿易都市から内陸部へ向けて流行する傾向があったこと• 大河川沿いの商業都市から地方へ向けて流行する傾向があったこと などから、 貿易船や商人を中心とする人々の往来が、流行を拡大する要因になったと考えられています。 現代同様、 グローバルな人の流れが、感染を拡大させる要因になっていたようです。 当時の人々の対応・反応 ここからは、当時の人々がペストをどう捉えていたのか、またどう反応・対応したのかについて見ていきたいと思います。 病気の原因をどう考えていたか 『細菌』の存在を知らなかった中世の人々は、ペストの原因を以下のように考えていたようです。 視線により感染するという説がありました。 このため、下のようなマスクを被り、患者と直接視線を合わせないようにして診察する医師もいました。 キリスト教の敵として、主にユダヤ人や被差別的な立場の人がやり玉に挙げられ、迫害・虐殺を受けることとなりました。 「うつる」という認識 細菌の存在を知らなかった 当時の人々も、伝染の様子を観察することにより、獣から人または人から人へ「伝染する(うつる)」という認識を持っていたようです。 また、 隔離が有効であるという認識もあり、ヴェネツィアでは「検疫」が行われたほか、地域によっては隔離政策による対処がなされました。 ただし、隔離と言っても、原野に患者を放置して運命を神に委ねるなど、どちらかというと「遺棄」に近い性格を持つものも多かったようです。 貴族が食料を大量に買い込み、領民とともに城壁内に閉じこもり外部との接触を断つことで、全員が難を逃れたという事例も記録されています。 ユダヤ人の迫害・虐殺 当時の人々が考えていた原因説でも述べましたが、ペスト流行の原因を「キリスト教の敵」による陰謀と捉える動きがありました。 具体的には、ユダヤ人が井戸に毒を入れているというものが主なものであり、これを信じた民衆が、ユダヤ人を虐殺したり迫害したりする事例が相次ぎました。 人々の極端な行動 当時の人々はペストに直面した際、どのような行動を取ったのでしょうか。 当時のヨーロッパは、キリスト教が人々の思考・行動に大きな影響を与える時代でした。 ペストの流行も、堕落した人間に対する神の罰だと捉える向きも多く、 大半の人は極端を避け慎ましく生きる「中庸」を重んじた生活を送っていました。 一方で、極端な行動に走る人々も存在しました。 陰謀説を信じユダヤ人を虐殺した人々もその1つと言えます。 その他にも、やり残したこの世のあらゆる快楽と勝手きままな振る舞いに身を委ねる者、つまり やりたい放題の行動に走る者もいました。 逆に、神に対する贖罪意識を極端に高め、 自らを厳しい贖罪行為に追い込むものも現われました。 この動きは、「鞭打ち運動」として社会現象化しました。 鞭打ち運動とは、神に対する贖罪行為として、自らもしくは互いの体をムチで打つという行為を伴い、全国を行進するというものでした。 中世のペストが社会に与えた影響 14世紀のペスト流行がその後の社会にもたらした影響はどのようなものであったのか。 東京大学名誉教授の村上陽一郎氏は、次のように分析しています。 その結果、以前から見られた荘園制度の変化が加速した。 そのために教育レベルが低下したり、そもそも教える人がいなくなって大学がなくなった場合もあった。 また、古典的な学問がペストの流行に全く無力であったため、これらを尊重する傾向にゆらぎがみられた。 村上教授もこの点を否定してはいませんが、その流れはペスト流行以前にも存在していたとしており、以下のように述べています。 ペスト流行は、流行以前に起こっていた時代の変化の中から、次代につながるものを際立たせ加速させる働きをした。 一方で、流行期に次代を作り出す何物かを積極的に生み出したものではなかった。 最後に ここまで、参考文献などを元に、14世紀のパンデミックで何が起こったのかを述べてきました。 ペストの流行がどのようなものであったのか、その社会的影響はどのようなものであったのか、おおまかな概要を述べてきました。 歴史を通じて過去から学ぶことの大切さは、常日頃繰り返し言われていることです。 この記事を通じてなにかお役に立てることがあれば幸いです。 参考文献など 村上陽一郎著「ペスト大流行」(岩波新書).

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中国・北京市で肺ペスト(黒死病)が発生、肺ペストはペストの中でも致死率と感染力が高い

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(経済ジャーナリスト・作家) 【まとめ】 ・14世紀、ペスト大流行で欧州の人口 3 割が死亡。 ・感染力、致死率の高さに医師は無力だった。 ・当時、ペストは中国から欧州に渡った可能性がある。 ジャーナリズムの門を叩き、ちょうど30年たつ。 私はこれまで経験したことのないニュースに立ちすくんでいる。 世界は今、戦争状態にある。 目に見えないが手ごわい。 原始的なやり方しかない。 治療法がないからだ。 新型コロナのまん延はどのような形で収束するのか。 まったく見えない。 日々のニュースに右往左往するばかりだ。 ただ、振り返ると、人類の歴史はまさに、ウイルス、つまり感染症との戦いの歴史だ。 また、強力な感染症の出現は、社会を変える契機になっている。 ヨーロッパでは中世社会を終わらせ、中南米では、国家そのものを滅亡に追いやった。 今回の新型コロナもそんなインパクトを持っている。 新型コロナのまん延で、突然売れ出した小説がある。 フランスの作家、アルベール・カミュの「」だ。 1940年代に ペストが流行し、死者が急増する街を描いている。 封鎖された街で生きる人々の様子が映し出されている。 読者は非常事態宣言が出されている今の日本を重ね合わせているのだろう。 写真)アルベール・カミュ 出典)flickr by ペストは、長い間人類を苦しめてきた。 別名は、 だ。 感染すると皮膚が黒ずむためだ。 数日から1週間ほどの潜伏期間の後、突然発熱する。 ひきつけを起こしたり、呼吸困難になり、数日で死亡するケースが多い。 世界史的には、3回大流行しているが、とりわけ深刻だったのは、 14世紀だ。 当時の ヨーロッパの人口の3割、実に 3000万人ほどが死んだ。 ペストが恐れられていた最大の理由は、 致死率の高さだ。 実に 50-70%。 もともとネズミに流行する病気で、 ペスト菌は、ノミを介して、ヒトに感染する。 ノミがペスト菌に感染したネズミの血を吸い、その後、ヒトに感染する。 このペスト菌は、血液の中に入り込み、肺まで進むこともある。 ほとんどの患者はその場合、 3日以内に死亡する。 また、咳やくしゃみで、ヒトからヒトに 空気感染する。 そうなると、広まる。 14世紀。 イタリアの「花の都」フィレンツェはペストの大流行で 「しかばねの都」となった。 路上におびただしい数の死体が放置された。 家の中で死んで、そのまま外に放り出された。 街には異臭が漂っていた。 この都市の人口の5分の3が死亡した。 写真)イタリア フィレンツェの日没 出典)pixabay by 当時、フィレンツェに住んでいた ボッカチオは 「デカメロン」という作品で感染力の凄さを描いていた。 「ちょっと病人と話をしたり、ときどき訪ねて行ったりしただけでも、健康体に感染して、同じように死んでしまったり、甚だしきは、病人の着物とか、病人のさわったり、使ったりしたものはなんでも、それにさわると、たちまち感染するのでございました」。 医師からの悲鳴も記録されている。 「医師は何の役にも立たなくなり、感染を怖れて患者の家に敢えて足を踏み入れない、というような恥ずべき状態になってしまった。 もっとも、仮に患者を往診したとしても、医師としてやれることはほとんど何もなかった」 写真)Saint Sebastian Interceding for the Plague Stricken 出典) 結局、 ヨーロッパの人口の3分の1は、ペストで犠牲になった。 それではこのペストはなぜ、ヨーロッパでまん延したのか。 浮かび上がるのは、当時もまた、 中国だ。 1333年に干ばつと飢饉に見舞われている。 その翌年、なぞの疾病が流行っている。 それがペストというのだ。 この疫病で 中国の人口は半減したと言われる。 当時は 元王朝だ。 ペストとみられる疫病が、 シルクルードを通って、ヨーロッパにたどり着いた可能性がある。 また、ネズミが交易に交じってヨーロッパにまでたどり着いたという見方もある。 いずれにしても、中国が勢力を拡大する中で、ペストは世界的な大流行となった。 ヨーロッパの人口はそれまで増加していたが、このペストの流行で、一気に減少に転じた。 そして、時代は大きく転換した。 どんな時代となったか。 次回お伝えする。 (、に続く。 全3回) トップ写真)CHINA, Silk Road, Dunhuang 出典)flickr by.

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感染症の歴史

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中国の内モンゴル地域の政府内部文書によれば、地元当局が中共ウイルス(新型コロナウイルス)の流行の規模を過小報告していることがわかった。 大紀元はこのほど、当局のウイルス陽性反応があった人々の内部集計を入手した。 しかし、これらは公に発表された数字よりもはるかに高かった。 4月8~11日までの間に、現地の保健委員会が発表したのは、計31人で、内部資料ではその倍となっている。 地元の病院も、対応能力を高めるための措置を講じており、当局が公に認めている以上に深刻な状況だ。 4月14日、国営新聞・北京時報は、内モンゴルの満州里市が中共ウイルスの患者を隔離するために臨時施設を建設していると報じた。 病院は2棟で、ベッド数は合計800床という。 満州里市には現在、ウイルス患者のための病院のベッドが600床ある。 中国当局の指針では、ベッド数の80%が使用されれば、仮設病院を活用するよう指示がある。 一方、中共ウイルスのほかに、内モンゴルでは、野生のげっ歯類によるペストが人に感染した事例もあった。 人間はペストの細菌を運ぶノミの付いたげっ歯類に接触または噛まれた場合、ペストに感染する可能性がある。 文書によると、4月9、10日に内モンゴル最大の工業都市である包頭市とウランカブ市で、8人のペスト患者が報告された。 内モンゴル政府は100トン以上の殺鼠剤を購入したとしている。 当局は、ペストが広がる可能性があると警告している。 満州里市のフルンボイル疾病管理予防センターの内部資料によると、4月11日、ロシアから124人が内モンゴルに入国した。 そのうち32人が中共ウイルスに感染と診断されている。 文書には、渡航者の名前が記載されており、全員が中国人の名前だった。 文書によると、4月8~11日までの間に、ロシアからの帰国者67人がウイルス陽性と診断された。 しかし同地域の保健委員会は同じ期間で半数の感染者しか公表していない。 委員会の公式数値は、この地域のすべての入港地で検査されたサンプルの合計であるため、症例が過少報告されている可能性があることを意味している。 内モンゴル政府は、ロシアから戻る多くの中国人がウイルスに感染していたと説明していて、4月 8日に満州里の陸地港、4月11日には平山頭陸港が閉鎖され、ロシアとの国境を閉鎖している。 (翻訳編集・佐渡道世) 読者メニュー• 関連リンク• 大紀元日本について• サイト所有会社• 株式会社大紀元(英語名 DJY Japan Inc. TEL:03-6806-8902 FAX:03-6730-2861• EMAIL info djy. jp 運営会社• 特定非営利活動法人エポックメディア• TEL:03-6806-8903 FAX:03-6332-9990• 運営責任者: 金丸真弥• EMAIL info epochtimes. jp 大紀元 Global Group•

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