ぶった。 仏陀(ブッダ)が苦行の末に得た「悟り」とは?

仏陀(ぶっだ)とは

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の始祖であるガウタマ=シッダールタ(またはゴータマ=シッダッタ)は ブッダの本名。 一般に、釈迦(シャカ)または釈迦牟尼(シャカ族の聖者の意味、略して釈尊とも言う)と言われるのは、シャーキヤ族の出身であったからである。 なお、1世紀ごろインド北西部を支配したイラン系のシャカ人(またはサカ人、サカ朝)があるが、シャーキャ族とは関係がない。 またブッダ(仏陀)とは名前ではなく 「悟りをひらいた人」を意味する称号。 ブッダの生存年代 ブッダの生存していた実年代については、~前483年説と、百年の差がある前463~363年説がある。 前者は南伝、後者は北伝の資料によるが、現在では後者が有力になっている。 <三枝充悳『仏教入門』、村上重良『世界宗教事典』などを参照> ブッダと同時代ので、同じくカースト制度を批判する新しい宗教であるを創始したもいた。 また、人類史で見れば、紀元前500年前後から、インドにおけるブッダと並んで、・・などが各文明圏に登場してくる。 彼らの登場を人間が神話時代から自らの精神を解放する大きな飛躍となった時代としてと呼んでいる。 ブッダの生涯 古代ので、シャーキヤ族の小国カピラ王国の王子として生まれ(つまり階級)、安楽な生活を送り、16歳でヤショーダラーと結婚、男の子をもうけた。 ガウタマは次第に生・老・病・死(四苦)に深く悩むようになり、29歳で家族を捨て、修行僧(沙門)となる。 の河畔で二人の修行僧に従い、6年にわたって断食などの苦行を続けたが悟りを開くことは出来なかった。 心身の衰弱をスジャータという娘がさしだしたおかゆで救われ、苦行を捨てたガウタマはブッダガヤの菩提樹のもとで瞑想に入り21日目に悟りを開いた。 悟りをひらいた人、と言う意味で ブッダといわれるようになり、その教えからが成立した。

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釈迦と仏陀の違い

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ブッダは死後を説かれなかった? は、「 死後を説かれなかった」という人がたまにあります。 そんなことを言う人のほとんどは、経典をまったく読んだことのない人ですが、まれにマイナーな仏教学者でも、そう主張する人があります。 ちなみに有名な仏教学者の中村元は、(を読んだことがあるので)当然 「 仏教では、輪廻ということを説きます」(『中村元「 老いと死」を語る』) と言っています。 では一体なぜ、「 は死後を説かれなかった」 などという主張が出てくるのでしょうか。 ブッダは死後を"否定された"は初歩的な間違い まず「 は死後を説かれなかった」どころか、 「 は死後を否定された」という人があります。 「 否定された」まで行くと、仏教の基本的な教えを知らない、初歩的な間違いになります。 なぜなら仏教では、死後が無になるとか、死後はないという考えを 「 断見(だんけんげどう)」と言い、 「 すべての結果には必ず原因がある」 という因果の道理に反するので、 厳しく否定されているからです。 「 は死後を否定された」と言うような人は、まず、仏教の根幹である因果の道理をよく理解しなければなりません。 次に「 は死後を説かれなかった」という人はどんな人でしょうか。 経典の至る所に死後が説かれている! 次に「 は死後を説かれなかった」という人のほとんどは、七千余巻もある 経典を一巻も読んだことのない人です。 少し経典を読むと、至るところに、や、などのや、が説かれています。 これらは生まれる前や死んだ後のことです。 漢訳の大乗経典はもちろん、小乗経典も、の伝えるパーリ経典も同様です。 例えば、漢訳の小乗経典にはこのように説かれています。 「彼、身に悪行を行じ、口と意に悪行を行じ、すでにこの因、この縁ありて、 この身壊れて命終わり、必ず悪所に至り、の中に生ず」(『癡慧地経』) 「若し衆生ありて、心のによるが故に、 身壊れて命終わり、必ず悪所に至り、の中に生ず」 (『鸚鵡経』) 次に、パーリ仏典にはこうあります。 「人がこの世でなすととの両者は、その人の所有するものであり、人はそれをとっておもむく。 それは、かれに従うものである。 影がそのからだから離れないように。 それ故にを諸々の功徳は、あの 来世において人々のよりどころとなる」 (『サンユッタ・ニカーヤ』) 「不善なる人というものは、(中略) 肉体の滅びた後、死後には、不善なる人たちの赴く所へのです。 僧たちよ、不善なる人たちの赴く所とはなんでしょうか。 、あるいはです」(中部経典『チューラプンナマ経』) 特に古いといわれている『ダンマパダ』でもそうです。 「いことをした人は、この世で憂え、 来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。 (中略) をした人は、この世で喜び、 来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ」 (『ダンマパダ』) 「鉄より生じたさびが、鉄より生じた鉄を損なうように、罪をなす者たちは自身のなした行為のためにに導かれる」 (『ダンマパダ』) ぜひ実際に近くの図書館で経典をパラパラめくってみてください。 簡単に見つかります。 それというのも、 の説かれた仏教の目的は、生死輪廻からの解脱だからです。 もし死後を説かれていないとすれば、が仏教を説かれた意味は、まったくなくなってしまいます。 が至るところに死後を説かれているのは、当然のことなのです。 死後を否定する人への教え 仏教では、肉体が死んだら精神も死んで、地獄をはじめ、を信じないという人に対して、『 長阿含経』にはこのような話が説かれています。 コーサラ国のある村に住んでいたお金持ちのバラモンは、常々 「 肉体が死ねば、精神も働かない。 死者の霊を見たことなければ、地獄などから帰ってきたことも聞いたことがない」 と考えて、他の人にも言っていました。 これは、の善悪の報いを否定するもので、現代でいえば、心は脳が生み出しているのだから、死んだら無になる、というのと同じような考え方です。 ある時、有名な仏弟子が村にやってきました。 バラモンは、仏教では六道輪廻を教えることを知っていたので、 「 一つこらしめてやろう」 とわざわざその仏弟子のもとを訪ねて、議論を挑みました。 地獄に行って帰ってきた人はいない 「 私は、や、や、やで、死んだら地獄に堕ちるというのは信じられない。 なぜなら、今まで死んだ人が生き返って、どんな所だったか話した者は誰もいないではないか。 もしいたら私も信じよう。 お前が死んで帰ってきて話してみよ」 仏弟子はこう答えます。 「 なんだそんなことか。 それならたとえをもって教えよう。 ある泥棒が、法律を破って、捕まったとしよう。 刑罰を受けている時に、私を家へ帰してくれと願えば、刑務所の看守は釈放してくれるだろうか」 「それは無理だ」 「 それと同じように、悪を犯して地獄へ堕ちた罪人が、帰ってこれないのは当然だ」 天上界に行って帰ってきた人はいない すると、バラモンはこう言います。 「 それならはどうだ。 罪の刑罰を受けているわけでもないから帰ってこられるだろう」 それに対して仏弟子はこう答えます。 「 そんなことか、それならたとえをもって教えよう。 ある人がくみ取り式のトイレに落ちて首まで溺れたとしよう。 どうにか脱出して、何度も体を洗い、香水もつけた。 そして美しい服を着て、高級な食事を始めた。 その人がもう一度トイレに落ちたいと思うか」 「それはさすがに思わない」 「 天上界もそれと同じだ。 一度天上界に行ったら、この汚れた人間界にはとても戻れないのだ」 人が死んでも魂が離れるのが見えない するとバラモンはまだ信じられないことがあると言います。 「 私は死刑囚を縛り、釜に入れて蓋を閉め、釜ゆでの刑にしたことがある。 しかし、その死刑囚の魂が肉体から離れて行くのを私も含め、周りの者も誰も見なかった。 だからはないと思う」 それに対して仏弟子はこう答えます。 「 なんだそんなことか。 そなたは高いところに寝て、山や河の夢を見ている時、そばにいる家族はそなたの夢を知ることができるか」 「それは無理だ」 「 それと同じように、心が肉体を離れても、そばにいる者は見ることはできないのだ」 人間を解剖しても心は出てこない するとバラモンはまだ信じられないことがあると言います。 「 それなら私は、死刑囚を刀で斬り殺して、解剖したこともある。 しかし、肉体のどこにも精神は見いだせなかった。 死ねば終わりであろう」 それに対して仏弟子はこう答えます。 「 なんだそんなことか。 ある少年が、木に火をつけようとして、斧で切ったが火はつかなかった。 やり方が悪かったのかと思って、臼にいれて杵でついたが火はつかなかった。 ところがある人がやってきて、キリを回転させて火を起こした。 それと同じように、あなたが肉体を解剖して心を探そうというのは愚かなことだ。 心を見るには修行しなければならない」 自分の考えを変えたくない このように何を尋ねても、鮮やかに答えられてしまうので、最後にはバラモンも正直に負け惜しみを言います。 「 色々もっともらしいことを言うが、今さら考えを変えたらプライドが許さない」 これに対しても仏弟子は、たとえをもって分かりやすく教えます。 「ブタを養っていた男が、乾いたフンを見つけて喜んで頭に乗せていると、ある人から、雨が降ったら大変なことになるぞと言われた。 ところが、その男はそれはそうかもしれないが、これを下ろしたらプライドが許さないという。 間違った考え改めない者は、それと同じである。 また、ある猪が山の中で虎にあった。 これはまずいと思った猪は、近くのフンの中に入って、虎に向かった。 虎はそのあまりに汚い作戦に、鼻を覆って立ち去ったという。 下劣な考えで聖者に向かうのはこのようなものである」 こうしてとどめを刺されたバラモンは、ついに仏教に帰依したといわれます。 このようにお経には、死後があって、肉体が死んでも六道輪廻すると明らかに教えられているのです。 ところがそれにもかかわらず、一部に 「 は死後を説かれなかった」 という仏教学者があります。 一体どういうことなのでしょうか。 死後を説かれなかったという仏教学者の根拠 仏教学者が「ブッダは死後を説かれなかった」という主張をする場合の、最大の根拠は『 箭喩経(せんゆきょう)』というにある「 無記」です。 「 無記」とは、 「 お釈迦さまがお答えになられなかった」ということです。 それはどんなことかといいますと、ある哲学青年が、のお弟子となり、 「 如来(にょらい) の死後はどうなるのでしょうか?」 とお尋ねしました。 「 如来」というのは「 仏」とか「 」と同じ意味で、から解脱した人のことです。 それに対してはお答えになられませんでした。 その代わり、有名な「 毒矢のたとえ」を説かれています。 ある人が矢で射られて、毒矢が刺さったので、みんな驚いて抜こうとしたが、その人は、 「 ちょっとまった。 この毒矢はどこから飛んできたのだろうか? 矢を射たのは男か 女か。 この毒の成分は何だろうか。 興味がある。 それが分かってから抜こう」 と、毒矢を抜かずに調べているうちに、死んでしまった。 このような、自分の救いに関係のない問いを仏教で「 戯論(けろん)」といいます。 が質問に答えられなかったのは、 「 の死後はどうなるのか」という問いは、この青年の救いとは関係なく、単なる知識欲を満たすための、戯論だったからなのです。 知識欲は無限に満たしきることはできませんが、は迅速ですので、戯論を問題にしているうちに、人生が終わってしまいます。 この「 無記」を根拠として一部の学者が 「 は死後を説かれなかった」 と主張しているのです。 なぜこんなわずかな根拠から、至るところに説かれている死後を無視して、そんな主張をするのでしょうか。 学者が死後を認めたくない理由 まず、こんな主張をするのは、 近代の仏教学者です。 本当の仏教を知りたいと思う人は、最近の仏教学者の説が本当の仏教だろうと思う人があるかもしれませんが、そうとも限りません。 近代仏教学というのは、大正時代以降、文明開化の風潮で、日本の仏教学者が西洋の文献学的な仏教研究を取り入れたもので、江戸時代にはなかったものです。 ところが、西洋の仏教研究は、19世紀に始まったもので歴史も浅い上に、2つの文化的な偏りがあります。 1つは、言葉と論理を重視することです。 仏教は本来、言葉を離れたを、やむを得ず不完全な言葉で表されたものです。 ですから仏教で明らかにされた真理は言葉や論理で表せません。 ところが西洋の伝統では、真理は言葉で表せるものという前提があり、言葉と論理で理解できないことは否定してしまう傾向があるのです。 もう1つは、実証主義によるものですが、五感で確認できないものは認めないのです。 その為、どうしても現世的、世俗的になります。 仏教には、この世に生まれる前の過去世や、死んだ後の未来世が明らかに説かれているのですが、現世以外は認めたくないのです。 この2つの偏りから、仏教の何が理解できなかったかというと、輪廻転生です。 仏教では「 」を説かれて、されているのに、死後「 」するというのは、おかしいのではないかと言い始めたのです。 仏教では「無我」も「輪廻」もどちらも説かれており、仏教を正しく理解すれば矛盾はないのですが、当時の仏教学者は理解できなかったため、西洋哲学に似ている「 無我」を受け入れ、「 輪廻転生」を否定し始めたのです。 「 輪廻…?私によく分からないということは、 釈迦も何かの間違いだろう」 といった感じです。 そして、経典の至るところに説かれる輪廻転生は、当時のインド文化の影響で、は当時の人々に合わせて使われたが、本心ではない、などと、何の根拠もないことを言い出したのです。 非常に主観的な態度と言わざるを得ません。 仏教を誤解した人の死後は? このように、仏教を誤解して、無我がよくわからなかった人たちの死後について、ブッダは『 雑阿含経』にこのように教えられています。 「 我が説く所を聞き、ことごとく義を解せずして慢を起し、無問等は無問等に非ざるが故に慢、則ち断ぜず。 慢、断ぜざるが故に此の陰を捨て已りて陰と与に相続して生ず。 この故に仙尼、我れすなわち記説せり。 この諸の弟子は身壊命終して彼々の処に生ずと。 ゆえんはいかん。 彼は余の慢、あるをもっての故なり」(雑阿含経) 「 我が説く所を聞き、ことごとく義を解せずして慢を起し」とは、私の説く仏教の教えを聞いて、その意味をよく理解せずに、自惚れている、といわれています。 次の「 無問等は無問等に非ざるが故に」とは、無我の道理に安住していないから、ということです。 やはり自分の五感に執着して、仏教の教えではなくて自分が正しいと思っている人は、無我がよく理解できていないので、自惚れているのです。 そんな人は、「 身壊命終して彼々の処に生ず」と言われているように、やはり肉体を失って命が終われば、死後、次の迷いの世界に生まれる、とブッダは死後のことを説かれています。 しかもそれはなぜかというと「彼は余の慢、あるをもっての故なり」といわれているように、とはどんなことか分からずに、自惚れているからです。 現代日本における影響 もし、近代仏教学の学者がいうように、が死後を「説かれなかった」とか、「説かれたとしても本心ではない」とすれば、輪廻転生からの解脱という仏教の目的も意味がなくなり、すべてはブッダのいわれる戯論になってしまいます。 もしそうなれば、 仏教の教えはこの近代仏教学の主張によって破壊されることになります。 この近代仏教学によって、 すべての人が本当のになれる道が閉ざされてしまいますから、何もそんなことを主張した、仏教学者の書いた難しい本を読む必要もありませんし、そもそも学者の言うことがすべて正しいとは限らないのです。 私たちとしても、このように自分の考えで2600年前から続いてきた仏教の教えを曲げてしまうということがありますので、仏教を学ぶときは、 自分の理解に仏教の教えを合わせるのではなく、仏教の教えを自分が理解しなければなりません。 当然ですが注意が必要です。 ところがこの主張は、日本の仏教学会で受け入れられてしまい、で学ぶ仏教は、このような西洋の影響を受けた近代仏教学になってしまいました。 最近では伝統仏教の教団の大学でも、この近代仏教学の影響を大きく受けていますので、現代の日本の大学で、自分の人生に関係のない学問的なものが多くなり、すべての人が本当のになれる、本来の仏教は学べなくなってしまったのです。 このままでは、仏教伝来以来1500年間続いてきた仏教は、私たちの世代で日本から消えてしまいます。 そこで、2600年前から説かれている私たちを本当の幸せにする力のある本来の仏教を、小冊子とメール講座にまとめました。 ただ、もしあなたが仏教を破壊する学者たちに共感するようなら読まないでください。 そうでない場合は、今すぐ本当の仏教を学んで、私たちの手で、本当の仏教の教えを伝えていきましょう。 メニュー•

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ブッダは死後を説かれなかった?

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仏教と聞くと、何か暗いじめじめしたものを感じるとしたら、そんなイメージを作り上げてしまった日本人の風土にあると思います。 現代仏教界の多くはその収入源を葬式や付随する法事か観光事業に頼っているような気がします。 読まれる経典は中国文の漢字を日本語読みしており、聞く方はなかなか理解できませんね。 仏教が日本に入ったのは538年、かれこれ1500年も同じ状態が続いており、仏教の内容も中国語に堪能であるか、解説書を読んだ人でないと意味もわかりませんよね。 仏教とは人間の生き方を教える積極的・能動的なものであって、決して死者を祭る為に創られたものではないような気がします。 仏陀(ブッダ)の教えは今の時代にどう語りかけているのでしょうか? 仏陀(釈迦)の言葉にこんな句があります。 「どのような友をつくろうとも、どのような人とつき合おうとも、やがて人はそのような人になる。 人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである」 やはり「縁」というものが人生の生きるための「何か」なのでしょう。 このページを見に来られた方も「めぐり合わせ」「縁」でしょう。 出典: (岩波文庫「ブッダの 真理の言葉 感興の言葉」中村 元訳 釈迦(Gotama Siddhattha・悉達多・釈迦牟尼・仏陀等)は紀元前400年頃(別説500年頃)に現在の印度とネパールの国境地帯、タラ-イ盆地のシャカ族の王子としてネパールのルンビニで、マーヤ夫人(Maya・摩耶・生後7日目死亡)を母に、4月8日(別説2月8日)生まれました。 16才で結婚し長子(Rahula・羅候羅)が生まれましたが、元来優しい人柄であったので人々の「生老病死」に苦しむ姿を見て、29才のとき出家しました。 6年間、苦行を通して人々を救う道を求めましたが、苦行はその道でないとウルヴィルヴァー山を出てナイランジャナー河で沐浴し髪とヒゲをそり、セーナ村の娘スジャータの介護を受けた後、対岸ガヤーのピッパラ樹(菩提樹)の下で、ついに悟りに達したのは35才でした。 やがてヴァナラシー郊外サールナート(鹿野苑)で教化し弟子5人を得て仏教教団が成立しました。 釈迦はキリストのように神の子として生まれるのではなく、無師独覚の人として聖者(Buddha・仏陀)となりました。 仏教は、人生の苦しみ・迷いから覚める(解脱)ための因縁を説いて人間の生きるべき道を明らかにしたものであり、死んだ時の葬式の為にあるものではないのです。 当時インド最大のマガタ王国で尊敬されていたバラモン僧のカーシャパ(迦葉)三兄弟や哲学者シャーリプートラ(舎利弗)、マウドガリヤーヤナ(目蓮)などの集団転向そしてビンビサーラ王(頻婆娑羅)自身の帰依により確固たる教団となり、やがて世界的宗教へと発展します。 教団(Samgha・僧伽)では階級制度を否定し、当時卑下されていた女性の僧侶を創るなど平等主義を貫きました。 毎年、雨季には竹林精舎や祇園精舎など一ヶ所に定住生活をしましたが、常に遍歴の教化を繰り返し、やがてクシナガラで2月15日に80才の生涯を終えました(入滅)。 仏陀の在世年代について、いまのところ世界的な定説はありません。 西欧の学界では一般に、紀元前560~480年頃という南方仏教の伝承が承認されているようです。 日本では北方伝承によって約1世紀遅い説(463~583)が有力とされています。 仏陀は80年の生涯をおくられ、一人の子供 男子【ラーフラ】後に仏弟子となる)がいました。 仏陀は29歳前後に修行のため家を出た後に、やがて悟りを開き究極の真理に目覚めます。 仏陀は悟りを開いて 成道)後の半生はその教説を説いて過ごされました。 彼の周りにはその教えを信じ実践する人々の集まり(サンガ)ができていきました。 仏陀の教説は8万4千の法門といわれています。 それは一人一人の相手に合った教説を説いたために対機説法ともいわれています。 したがって仏陀の言葉は、その時その場所でその人(その人々)に最も適した言葉として語られたものなのです。 仏陀はその生涯において1冊の書物も自らは残していません。 その言葉や行いは多くの弟子たちによって、仏陀入滅後に経典という形で私たちに残されました。 その後も仏陀の教えは(仏教として)語り継がれ、書き継がれて約2500年の時を経た今でも、私達にも語りかけているのです。 「人間」の「間」という字を『広辞苑』で引くと、説明の中に「めぐりあわせ」とあります。 めぐりあわせとは、ご縁です。 釈迦(Gotama Siddhattha・悉達多・釈迦牟尼・仏陀等)の呼び名は、沢山あります。 シッダールタとは、『すべてののぞみを成就するもの』という意味だそうです。 カピラバスト国は、シャーキャ族(釈迦族)という民族の国でした。 釈迦族は、今のインド人の大部分を占めるアーリア系白色人種でなく、日本人に似ている蒙古系の黄色人種であったと云われています。 釈尊は、釈迦族出身の聖者(ムニ)で、『世に比類なき尊いお方』のバガヴァン(世尊)の称号で呼ばれていました。 つまり、釈迦牟尼世尊です。 それを略して釈尊や世尊と言われています。 また、釈迦は、ご自分のことを『真如から来たもの』の如来といっていたそうです。 つまり、釈迦牟尼如来です。 ちなみに、真如とは、宇宙のあらゆるものごとを存在たらしめている大本の法のことで、無生、無滅、無始、無終のものということです。 実は、当時『釈迦』といった場合は、釈尊でなく釈迦族を指したそうですが、今では、釈尊のことになります。 また、釈尊は、お悟りを開かれたので『真理を悟った人』と言う意味の仏陀(ブッダ)と呼ばれ、仏さま、または、み仏さまと言われています。 つまり、釈迦牟尼仏です。 このホームページ内でもいろんな呼び方で表記していますのでご了承下さい。

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