総武線遅延。 総武線は遅延が多すぎ?なぜなのか

中央線・総武線(各駅停車)運用情報

総武線遅延

総武線快速に当たる東京~千葉間の区間で発生するトラブルもあるが、「他線区の影響」がさらに遅延頻発の状態に拍車をかける。 運転系統がもし総武線単独で構成されていたら、他の路線の影響はそれほど受けない。 踏切や駅構内での人身事故、線路内立ち入り、緊急停止非常ボタン作動、急病人救護といった内容もあるが、これは他路線にも当てはまる。 車両故障・設備故障なども設備的なトラブルもあり得る。 だが、こちらは影響度としてはそれほど大きくはない。 周辺の路線の混み具合について 路線名 平日20日当たりの遅延日数 ランク 16. 0日 非常に多い 19. 1日 非常に多い 総武線快速 17. 9日 非常に多い 18. 3日 非常に多い 10. 4日 ふつう 11. 8日 ふつう 17. 4日 非常に多い 参考: 総武線快速と関連のある路線については上記で解説。 総武線快速の列車の直通先• 東京~久里浜:横須賀線• 千葉~成田空港:総武本線・成田線• 千葉~上総一ノ宮:外房線• 千葉~君津:内房線 総武線快速とは言っても、線内を走るすべての電車が東京~千葉間のみを走るわけではない。 東京~津田沼・千葉間の区間運転の電車も存在するのは確かだが、全体の半数以上は他の路線へ乗り入れている。 これを「相互直通運転」という。 まず、東京駅からは品川・武蔵小杉・横浜方面とを行き来する横須賀線へ入る。 さらに、千葉駅からは成田空港方面の総武本線・成田線、上総一ノ宮駅まで運転する外房線、君津まで運転する内房線がある。 通しで3路線へ乗り入れる列車が少なくない。 運転系統は横須賀線+総武線快速+総武本線・成田線/外房線/内房線という形になっていて、実質的に同じ路線という見方も可能。 利便性が高いのは確かだが、直通先にてダイヤの乱れが生じると、同時に総武線快速にも波及する。 それらの路線にて遅延が発生すれば総武線快速(東京~千葉)の電車も同時に遅れが生じる。 例えば、横須賀線内にて人身事故が発生して運転見合わせになると、総武線快速の電車も一時的にストップするか、駅に電車がやって来ない状況になる。 最終的には運転再開までは、直接的な問題がない総武線快速では直通運転の中止(東京駅折り返しなど)になり、どこかの区間に区切って折り返し運転という代替手段が取られる。 とはいえ、それでも無影響にはならない。 少なくとも10分程度の遅れは発生してしまう。 総武本線・成田線、外房線、内房線での列車運行の支障が出た場合でも同じことが起きる。 乗り入れ先の路線はいずれも路線距離(営業キロ数)が長いことでダイヤが非常に不安定な事情もあり、さらに悪影響を受けやすい。 相互直通運転があることによって、総武線快速で遅延が頻繁に起きているのは揺るぎない。 関連路線の影響(湘南新宿ライン・埼京線など) 関連する路線• 横須賀線内全般:湘南新宿ライン(東海道線・宇都宮線・高崎線の直通サービス)• 相鉄・JR直通線、埼京線:横須賀線へ乗り入れ 総武線快速の単独の列車が直接乗り入れるわけではないものの、運転系統が何かしら関連する路線が上記。 横須賀線内では一部が「湘南新宿ライン」として運転されている。 大崎・渋谷・新宿・池袋を経由して東海道線・宇都宮線・高崎線と直通運転を実施。 東海道線での遅れが生じると、横須賀線区間の通過時刻も時刻表より遅れるため、横須賀線の電車にも波及してしまう。 これによって、総武線快速直通の横須賀線が遅れることで、総武線快速区間の東京~千葉間でも電車の到着が遅れる形につながる。 宇都宮線、高崎線内でのトラブルでも似たようなことが発生する例があり、横須賀線内のダイヤの調整で総武快速線直通列車が少し遅れる結果にもなったりする。 横須賀線内を走る列車は、総武線とは直接関係がないのは湘南新宿ラインだけではない。 大崎~武蔵小杉間では相鉄・JR直通線の電車が横須賀線の線路を走る。 相鉄・JR直通線と埼京線の運転系統は同じであるため、埼京線で何かの原因で遅延が発生すると、相鉄線直通列車が遅れて横須賀線全体へ影響を与えることもある。 埼京線内のみならず、相鉄本線にてダイヤの乱れが発生しても、JR直通列車にも一定の遅れが生じる。 このように関連路線の存在も、総武線快速そのものに問題がなくても電車が遅延する原因になる場面がよくある。 慢性的な混雑 大混雑の朝ラッシュの武蔵小杉駅 出典:www. youtube. 混雑率およそ180%前後という首都圏トップクラスの数値 総武線快速の朝ラッシュは首都圏でも上位クラス。 各駅停車に当たる中央総武緩行線の方が最大混雑率は大きいものの、快速線もまた余裕はまったくない。 混雑が激化すると、停車駅での乗降時間が長くなって遅れの理由になりやすい。 参考: 錦糸町駅に起因する混雑 朝ラッシュに当たる7~9時の場合で総武線快速に遅れが生じる原因は混雑によることが多い。 千葉駅から錦糸町駅までにかけての区間は各駅停車もあるが、長距離を移動する人達は所要時間が短い快速を選ぶ。 一方の錦糸町駅では秋葉原・新宿方面へ向かう中央総武緩行線へ乗り換える人が大量に降りていく。 ここでの停車時間が伸びることで、結果的に5分以上の遅れになる場合が見られる。 下り列車の遅れは、総武線快速よりも直通元の横須賀線内での混雑に原因があることがほとんど。 武蔵小杉駅での停車時間の延長などが主な理由。 東京駅では2,3分の停車時間がある場合が多いが、それでも遅延の回復が難しいほどにもなりやすい。 他線区の影響の方が大。 頻度は前述の内容ほどではない。 どこの路線もほぼ同じ。 遅延の原因として認識されやすい内容として上記の内容もある。 しかし、いずれも総武線快速が他よりも遅延が起こりやすい大きな理由と断定できるほどではない。 営業キロ数 路線距離が長い場合、途中で何かのトラブルが発生する確率が高くなる。 踏切事故、架線支障、ポイント動作不良、信号トラブルなどの設備の故障が距離が短い路線よりはリスクが高い。 1編成当たりの列車の走行距離も長いと、車両故障のリスクもまた高まる。 ただし、総武線の快速電車の区間にあたる東京~千葉間は営業キロ数がわずか39. 2kmと決して長くはない。 路線の距離そのものが遅延に大きく影響しているとは考えにくい。 対して、直通先の距離を合計すると2倍以上に長くなるものの、これらは直通運転という性質の問題。 総武線快速単体に存在する遅延の起こりやすさというわけではなく、あくまでも相互直通運転の実施による受動的な要因。 設備故障 車両故障、ポイント動作不良・レール破断・架線支障・信号トラブル・電気系統トラブルなどの設備故障も電車が運転見合わせになる原因。 実際にこれらの要因で遅延が生じることがあるが、その頻度は決して多くはない。 どんなに多く見積もっても、1週間に1回程度には収まる。 設備故障が毎日のようにダイヤの乱れが生じる原因とは言えない。 過密ダイヤ 過密ダイヤでは乗客にとっては電車への乗車機会が多くなり、輸送力もその分上がる。 しかし、定時運行の面では不利になりやすい。 駅での停車時間が少しでも長くなると、後続列車が追い付いてしまって電車の渋滞が発生してしまって、時刻表通りの運行の妨げになるからだ。 実際のところ、中央総武緩行線は朝は2,3分間隔で電車が行き来しているため、過密ダイヤによる遅延は結構多い。 一方の総武線快速では朝ラッシュでも5分以上空くことが多く、2,3分間隔という短い間隔ではない。 「ノロノロ運転」「ダンゴ運転」と呼ばれる現象は少なく、運転本数が遅延の原因になる度合いはかなり小さい。 踏切 踏切は人身事故が起きる場所の典型的な原因である、クルマなどの一般交通と電車が衝突する可能性も高い。 踏切での事故は電車が100%止まってしまう要因なのは確か。 復旧には時間を要するため、大幅にダイヤが乱れるよくある理由。 ただし、連続立体交差が完成している総武線快速にはそもそも踏切が1か所もないため、まず踏切関連の支障が単独では起きない。 JR東日本のほかの近郊路線と比べると圧倒的に有利な立ち位置である。 緊急停止ボタンによる安全確認 駅構内の列車緊急停止ボタン(非常ボタン)の作動に関しても他の路線と事情は同じ。 何も事故等が起こらなくても安全確認を行うなどで5分以上の遅れが生じるが、これは総武線快速などの一部に限った話ではない。 急病人救護、乗客間トラブルなども事情は変わらない。 自殺による人身事故で意図的な「人身事故」は多いものの、誤って線路へ転落するなどの事故はそう多くはなく、列車非常停止ボタンの作動回数も気になるほどのレベルでは全くない。

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中央・総武緩行線

総武線遅延

混雑率の目安(参考) 100% 座席につくか、吊革につかまるか、ドア付近の柱につかまることができる(定員乗車) 150% 広げて楽に新聞を読める 180% 折りたたむなど無理をすれば新聞を読める 200% 体がふれあい相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める 250% 電車がゆれるたびに体が斜めになって身動きができず、手も動かせない ちなみにJRと私鉄を含めた主要31区間で最も混雑率が高い路線は199%となっており、総武緩行線はそれに次ぐ数値であることを考えると、かなりの混雑率であると言えるでしょう。 沿線に住む人の実感による数値を平均すると、172%となりました。 一定の区間が混んではいるものの、距離が長い中央・総武緩行線においては、公開されている混雑率ほどの混み具合ではないと感じる人が多いようです。 2014年11月1日~2015年10月31日(平日241日間)の統計データを1週間(平日5日間)当たりに換算したものです。 これによれば、中央・総武緩行線(三鷹から千葉駅間)における10分以上の遅延は「1週間に2回以上」発生していることになります。 ちなみに今回の調査で中央・総武緩行線沿線に住む500人に尋ねた結果では「ほぼ毎日遅延する」が26. 0%で最も多い回答で、続いて「1週間に2回以上」(25. 2%)となりました。 利用者の体感としては、しばしば遅れている印象のようです。 なお、こちらは平日に限定した結果ではなく、利用時間も回答者によって異なりますので、あくまで参考としてご覧ください。 「錦糸町から爆発的に人が増えるが、御茶ノ水を過ぎるといきなり緩和される」(36歳男性) 「路線が長いので、悪天候や地震、人身事故ほか、かなり遠くの駅で起きたトラブルでもすぐ遅延するのでツイッターの情報はチェックする」 52歳男性 「もう入れないのに、無理やり入ってくる人を駅員が押している」 46歳男性 「津田沼駅で始発電車に乗るために10分以上前から並んで待っている光景」 62歳男性 「快速との乗り換えの接続のことを考えていないと思う。 特に御茶ノ水駅での快速との接続がせつない」 34歳男性 JR総武線の家賃相場の一覧はこちらからご覧いただけます。

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東葉高速鉄道線で遅延が多い原因を調査! 主要な理由は1つだけ

総武線遅延

東京駅 - 銚子駅間で運転される 特急「しおさい」 基本情報 通称 ( - 間の) (千葉駅 - 間の緩行線) 国 所在地 、 種類 (・) 起点 (本線) (支線) 終点 (本線) (支線) 駅数 49駅(貨物駅および金町駅を含む) ソムホセ 路線記号 (東京駅 - 千葉駅間の及び千葉駅 - 佐倉駅間) (御茶ノ水駅 - 千葉駅間の緩行線) 開業 所有者 (JR東日本) 運営者 東日本旅客鉄道(JR東日本) (JR貨物) 路線諸元 路線距離 120. 5 (東京-銚子間) 4. 3 km (錦糸町-御茶ノ水間) 8. 9 km (小岩-金町間) 11. 7 km (小岩-越中島貨物間) 1,067 3 6 線路数 (錦糸町-千葉間) (東京-錦糸町間・錦糸町-御茶ノ水間・千葉-佐倉間) (上記以外) 1,500 (越中島支線は非電化) 130 81 路線図 総武本線(そうぶほんせん)は、のからのを結ぶ(JR東日本)の()である。 このほか、東京都ので分岐してに至る支線(いわゆる総武緩行線)、()から分岐しておよび、に至る貨物支線を持つ。 電車内や駅構内の旅客案内上は主にから銚子駅の区間がこの名称で呼ばれる()。 なお、『』やJRの事業基本計画上は錦糸町駅 - 御茶ノ水駅間となっているが、東京駅 - 錦糸町駅間開業以前の起点の御茶ノ水駅には現在もが存在する。 概要 [ ] の都心から東へ伸び、そのである西部の各都市、同県の県庁所在地でありであるを通り、同県最東端のへ至る路線である。 と千葉県北東部の各地を結ぶが東京駅 - 銚子駅間を通して運行されているほか、都心からへアクセスする特急「」が当路線を経由している。 以西はに指定されており、区間外よりも割安な運賃が適用される。 このうち - 千葉駅間は、の電車が走行すると、や特急列車が走行するが並行するとなっている。 この区間は「 総武線」と呼ばれることが多く、「総武本線」と呼ばれる場合は特急列車は東京駅 - 銚子駅間、ローカル列車は千葉駅 - 成東駅 - 八日市場駅 - 銚子駅間を指すことが多く、JR東日本ウェブサイトの路線案内においてもそのようになっている。 ただし必ずしも統一されておらず、車内の路線ネットワーク図や、駅の時刻表などでは千葉駅以東も「総武線」と表記している場合もある。 なお、鉄道要覧においては全線通して「 総武線」となっている。 「」も参照 貨物支線を除きの定める大都市近郊区間の「」、および「」の首都圏エリアに含まれている。 路線データ [ ]• 管轄・路線距離():全長145. 4 (支線含む)• 東日本旅客鉄道()• - 間 120. 5 km• - 間 4. 3 km• - 間 8. 9 km(通称:。 小岩駅 - 新小岩信号場駅間2. 3 kmは本線と重複)• 小岩駅 - 間 11. 7 km(通称:。 小岩駅 - 新小岩信号場駅間2. 3 kmは本線と重複。 新小岩信号場駅 - 亀戸間は本線と並行)• (第二種鉄道事業者)• 新小岩信号場駅 - 間 44. 8 km• 新小岩信号場駅 - 金町駅間 6. 6 km• 新小岩信号場駅 - 越中島貨物駅間 9. 4 km• :1067• 駅数:49(起終点駅、金町駅を含む)• 旅客駅:46(金町駅・越中島貨物駅を除く)• 総武本線所属の旅客駅に限定すると、東海道本線所属の東京駅、東北本線所属の秋葉原駅・中央本線所属の御茶ノ水駅・常磐線所属の金町駅 が除外された43駅となる。 なお、名目上旅客併設駅だが実態は貨物専用となっている越中島貨物駅も旅客駅として計上すると44駅となる。 貨物駅:2(越中島貨物駅含む、旅客併設駅を除く)• 複線区間:• 錦糸町駅 - 千葉駅間 34. 4 km(新小岩信号場駅 - 亀戸駅間は越中島支線が並行し、実質的に複々線と単線の5線区間)• 東京駅 - 錦糸町駅間 4. 8 km• 錦糸町駅 - 御茶ノ水駅間 4. 3 km• 千葉駅 - 佐倉駅間 16. 1 km• 佐倉駅 - 銚子駅間 65. 2 km• 新小岩信号場駅 - 金町駅間 6. 6 km• 新小岩信号場駅 - 越中島貨物駅間 9. 4 km• 新小岩信号場駅 - 越中島貨物駅間を除き 1500 V• 保安装置:• 東京駅 - 銚子駅間• 御茶ノ水駅 - 千葉駅間(緩行線) ATS-P• 新小岩信号場駅 - 金町駅間(新金線)• 新小岩信号場駅 - 越中島貨物駅間(越中島支線) ATS-S N• 最高速度:• 東京駅 - 千葉駅間 東京総合指令室• 千葉駅 - 銚子駅間 千葉総合指令室(千葉駅 - 佐倉駅間:成田指令・、佐倉駅 - 銚子駅間:総武指令・CTC)• 御茶ノ水駅 - 千葉駅間(緩行線) 東京総合指令室• 新小岩信号場駅 - 金町駅間(新金線) 東京総合指令室• 新小岩信号場駅 - 越中島貨物駅間(越中島支線) 東京総合指令室• 東京駅 - 千葉駅間・御茶ノ水駅 - 錦糸町駅間 ATOS• 運転取扱駅(駅が信号を制御、運行を管理)• 佐倉駅・銚子駅• 新小岩信号場駅・金町駅・越中島貨物駅(新金線・越中島支線)• 準運転取扱駅(異常時、入換時は駅が信号を制御)• 東京駅・錦糸町駅(両国駅快速線含む)・西船橋駅・津田沼駅・幕張駅・成東駅 東京駅 - 馬喰町駅間、秋葉原駅 - 御茶ノ水駅間、新金線金町駅構内はJR東日本、それ以外は同社の管轄となっており、馬喰町駅 - 錦糸町駅間、浅草橋駅 - 秋葉原駅間、新小岩信号場駅 - 金町駅間にがある。 なお、越中島支線の越中島貨物駅は千葉支社所属駅となっているが、構内には東京支社が管轄する東京レールセンターが置かれている。 沿線概況 [ ] 停車場・施設・接続路線 120. 5 121. 3 -1978 ここでは総武本線の線路および沿線の概況について記す。 東京駅・御茶ノ水駅 - 千葉駅間 [ ] 側の起点であるでは、地上駅より丸の内側にある完成の総武地下ホームに発着し、同駅以南の(地下線)線路との直通が可能な構造になっている。 同駅を出ると都心部の地下を北東へ進み、から付近までの直下を通る。 両駅間ではと交差しているが、総武快速線に駅は設けられていない。 馬喰町駅を過ぎると東へ向かい、の下をくぐり、両国駅付近で地上に出る。 一方、は、直通運転を行うとの接続駅・から、高架上を東方向へ向かう。 中央本線()の上下線に挟まれる形で同駅を出ると中央本線と分かれてを渡り、東北本線(・・)との交差地点にあるへ。 続いてを跨ぎ、市街地を進むと国道6号との交点にがある。 そして隅田川を渡りをくぐると、およびの最寄駅・に至る。 同駅には緩行線ホームのほかに、快速線に繋がっている列車ホームがあるが、現在は定期列車では使用されていない。 両国駅からは快速線と緩行線による区間が始まり、千葉駅まで沿線は住宅密集地が延々と続く。 また海側(南側)には(一般道区間)が並行する。 緩行線・快速線間の最初の接続駅となっているは快速線・横須賀線列車の留置線を併設しており、またの南に位置している。 錦糸町駅を出ると、海側(南側)から単線の総武本線支線()が近づき、緩行線の。 同駅から発着するが内陸側(北側)へ離れていき、同時に越中島貨物線が本線を跨いで北側に並行して5線となると、国道14号から離れ、カーブして北東方向へ進路を変える。 を渡ると、次いでをくぐり、・を渡ると快速停車駅のに至る。 新小岩駅を過ぎると、左側の貨物線上にの線路群が広がる。 をくぐると同信号場より総武本線支線()が内陸側へ分かれていき、また快速線へも貨物線が合流する。 を渡り、を過ぎると右へカーブして今度は東南東にまっすぐ進む。 内陸側に再び国道14号()、さらにそれを挟んでが並行し、を渡るとからへと移り、同県最初の駅で快速停車駅でもあるに至る。 市川駅を過ぎると、線路はしばらく直線が続き、快速線を走行する列車は120 (特急は130 )の最高速度で運転する。 を跨ぐと、緩行線は、と接続する、次いでと続き、海側からが近づくと、・との交点に位置するに至る。 メトロ東西線と直通運転を行うも接続する主要駅だが、総武快速線は停車しない。 西船橋駅を過ぎると東西線からの短絡線が緩行線に合流し、進路を東に変える。 国道14号と京成本線が海側へ移り、続いて内陸側からが現れると快速停車駅の。 南口側にはやを挟んで京成本線のがある。 同線が一旦総武本線に接近してから右にカーブして海側へ離れ、を過ぎると今度は南東へ向かう。 ()を跨ぎ、海側から緩行線の車両基地・旧からの引込線が合流すると快速停車駅のに至る。 同駅は緩行線・快速線とも車両基地が近接する運行拠点の一つとなっており、周辺にはや、のが立地する。 津田沼駅を出ると、逆S字型にカーブを描く新京成線をくぐる。 まもなく京成本線が総武本線をくぐって方面へ向かって離れていく。 代わって海側にはが千葉駅まで並行し、幕張駅までは総武本線のすぐ隣を通る。 しばらく進むとに入り、快速線の上下線の間に車両基地・が広がる。 一方、その横の緩行線にはがあり、京成千葉線の京成幕張本郷駅が同一構内にある。 JRの駅と京成の駅が同一構内にある例は数少ない。 幕張本郷駅の先で京葉道路(有料区間)をくぐり、さらに東京 - 千葉間および中央・総武緩行線唯一の踏切であるを通過すると幕張車両センター構内が終わり、緩行線から京成千葉線が離れる。 を見送ると。 幕張の中央部で発展しているからは少し離れている。 東方向に進路を変えを過ぎ、再びカーブして南南東方向へ進路を変えるとをくぐり、快速停車駅の。 さらに直進し、の西側では快速線上にが、緩行線上にが位置する。 西千葉駅を過ぎると快速線の線路が総武本線東千葉駅(・成田線)方面と(・)方面の2本に分岐。 そして千葉県内各線のジャンクションであるに至る。 緩行線はこの千葉駅で終点となっている。 千葉駅 - 銚子駅間 [ ] 成田線と総武線の分岐点(佐倉市内) 千葉駅は総武本線と外房線との分岐地点上に位置するY字型の構造となっている。 総武本線は同駅構内からほぼ90度左にカーブし、まではとなって北東へ進む。 千葉駅を出てカーブを終えると右側に並行していたをくぐり、と交差する手前にがある。 そのままマンション群の中を直進で進んでと京葉道路を跨ぎ、北西側からモノレール2号線が再び寄り添うとに至る。 同駅を過ぎるとの西側を過ぎて 千葉市からに移り、緩やかに右にカーブしたところにがある。 同駅周辺にはをはじめとする学校が立ち並んでいる。 ここまで沿線は住宅地が続いたが、四街道駅を過ぎると沿線は一変して田畑が広がるようになる。 東関東自動車道をくぐるとに出る。 駅周辺は田畑だが駅西側には住宅街がある。 田園地帯を進んでいくとトンネルを抜け 、カーブして東方向に向きを変えると、との分岐駅である佐倉駅に至る。 総武本線はこの先終点の銚子駅まで単線となる。 佐倉駅を出ると複線の成田線と第二高岡踏切まで2 ほど並行する。 と交差後に成田線は北側に離れていき、総武本線は南東の雑木林の中を進み、ここからまではと並行する。 単線区間最初の駅であるは丘陵地帯の谷間に位置し、市街地からは離れたところにある。 同駅を出ると東関東自動車道をくぐり、平野部にある・へ。 八街は上にあり地盤が固く標高も高いため地震や水害に強いといえる。 に入ると再び丘陵の間を進んでを過ぎ、をくぐり進路を東方向に変えて平野部に出ると、山武市の中心都市であるが分岐する成東駅に至る。 成東駅からは国道126号と並行し、南東のに面したから5 kmほど離れた下総台地のふもとの平野部を進んで銚子を目指す。 成東駅を出て東金線が南方向へ分かれていくと、左にカーブして北東方向へ。 沿線は田園地帯が続き、手前では線路の方向が東向きに変わる。 旭駅を出ると国道126号が南側へ分かれ、銚子駅の手前にある松岸駅までは丘陵地帯の合間をカーブしながら進む。 この区間の - 間にはトンネルが1か所存在する。 で成田線と合流するととに沿い、市街地に入ると総武本線の終点・に至る。 同駅ではが接続している。 運行形態 [ ] 優等列車 [ ] 総武本線を走行するは下記のが運転されている。 詳細は各列車の記事を参照。 東京駅 - 千葉駅 - 佐倉駅・成東駅・銚子駅間• へのアクセス特急。 ・・・新宿駅 - 東京駅 - 間• 新宿駅 - 千葉駅 - 木更津駅 - (千葉駅以南は外房線・内房線)…土曜・休日のみ(臨時列車扱い・年末年始は一部変更となる)• ・ - 新宿駅 - 千葉駅…朝(松本・南小谷方面行き、富士回遊と)・夜(千葉方面行き)のみ運転• 地域輸送 [ ] 東京駅・御茶ノ水駅 - 千葉駅間 [ ] 詳細は「」および「」を参照 である・ - 間は、(昭和47年)の複々線化により快速線と緩行線に分かれ、東京駅経由で快速線を走行する快速電車(、案内上は「横須賀・総武線快速」)と、御茶ノ水駅を経由し緩行線を走行する各駅停車(、案内上は「中央・総武線各駅停車」)の2系統に分かれている。 (昭和56年)に錦糸町駅 - 千葉駅間が完全複々線化されて以降は、両者の線路・車両・もそれぞれ独立したものとなっている。 快速電車は東京駅 - 錦糸町駅で地下線を走行し、東京駅以南は(品川駅 - 武蔵小杉駅 - 鶴見駅間は通称)を経由してと直通運転を行っている(旅客案内などでは東海道本線の区間も含めて「横須賀線」と称される)ほか、総武本線も含めた千葉駅以東(総武本線・成田線・鹿島線)・以南(・)に直通する列車もある。 黄色帯の電車で運行される各駅停車は錦糸町駅から御茶ノ水駅方面への支線へ乗り入れ、同駅からの(夜間の一部は・)まで直通するが、千葉駅以南・以東への乗り入れは設定されていない。 また平日の朝夕にはで(東京メトロ)から緩行線に乗り入れる列車もある。 なお将来的な設置実施に伴い、実施予定のダイヤ改正 から、中央線は東京駅発着の各駅停車の運行を廃止して快速・特別快速などの速達列車のみを終日運転することになり、これに付随して、中央総武緩行線は早朝・深夜における御茶ノ水駅折り返しおよび武蔵小金井方面直通を廃止し、全列車を千葉駅 - 御茶ノ水駅経由 - 三鷹駅までの相互直通運転のみとする。 総武緩行線(E231系) 千葉駅 - 銚子駅間 [ ] 千葉駅以東では普通・快速・通勤快速の3種別が設定されている。 普通列車は旭駅 - 銚子駅間と(成田駅 - )松岸駅 - 銚子駅間の区間列車を除き千葉駅に乗り入れるが、東京方面千葉駅以西へは乗り入れない。 逆に快速・通勤快速列車は、すべての定期列車が千葉駅以西の快速線(多くはさらに横須賀線)に乗り入れる。 快速・通勤快速列車は佐倉駅から先の直通成田駅・成田空港駅発着列車と佐倉駅発着の列車がほとんど で、佐倉駅を越えて当線を走行する列車は、朝の成東発の快速上り1本と、夜間の成田空港・成東行きとその折り返し(佐倉駅 - 成東駅間は普通列車)のみである。 なお、千葉駅 - 佐倉駅間および松岸駅 - 銚子駅間は、成田線内、佐原駅・香取駅経由鹿島神宮駅発着あるいは佐倉駅 - 松岸駅間で成田線を経由 する列車も乗り入れている。 日中の1時間毎の運行本数をまとめると、以下のとおりになる(2020年3月14日改正時点)。 ただし、一部時間帯で快速列車が1本となり、代わりに千葉駅 - 成田線成田駅間の各駅停車が1本運転される。 の都合上、旭駅 - 銚子駅間の列車や横芝駅発着の列車も設定されている。 横芝駅発着に関しては2010年3月12日までは始発のみの扱いで、到着は回送列車であった。 航空燃料暫定輸送鉄道ルート 貨物列車は - - 間で運行される。 しかし、総武本線の駅を発着する定期貨物列車は設定されていない。 2014年3月改正時点では、およびからへ向かう1往復ずつ、常磐線からへ向かう高速貨物列車1往復、東海道貨物線から千葉貨物駅へ向かう1往復が、総武本線を経由する。 専用貨物列車はのほか、やが併結されることもある。 かつて、成田空港への本格パイプラインが稼働するまでの間、をから空港まで輸送する列車が総武線を経由していた(暫定輸送)。 新小岩信号場駅 - 間は定期貨物列車は運行されていないが、レール輸送用の臨時専用貨物列車が日曜日を除き3往復運行される。 過去の列車 [ ] 快速(千葉駅発着) [ ] 1975年3月10日のダイヤ改正で千葉駅 - 銚子駅間に1日1往復設定された快速。 朝に上り、夜に下りが運転され、当初の停車駅は千葉駅・四街道駅・佐倉駅・八街駅・成東駅・松尾駅・横芝駅・八日市場駅・旭駅・飯岡駅・松岸駅・銚子駅だったが、1978年10月2日のダイヤ改正で都賀駅・干潟駅が停車駅に追加され、1981年10月1日のダイヤ改正で普通に格下げされる形で廃止された。 荷物列車 [ ] 道路事情の悪い内房線・外房線沿線への夕刊新聞輸送のために、両国駅 - 千葉駅間でが1本運転されていた。 両国駅で新聞を積み込み、千葉駅に到着後各方面行きに分かれていく、特異な列車であった。 総武快速線開業当初は・が幕張電車区の千葉ローカル運用の113系に併結して運転された。 1986年11月1日に国鉄の郵便・荷物輸送が基本的に廃止されることとなったが、外房線・内房線の新聞荷物輸送は道路事情の関係により存続されることとなり、が幕張電車区に転属し充当された。 なお、夕刊の休刊日は運休となっていた。 この荷物列車は2010年3月12日まで運行された。 使用車両 [ ] 総武緩行線の車両については「」を、成田線・鹿島線直通列車については「」を参照 現在の使用車両 [ ] すべてで運転されている。 特急列車 [ ]• (所属)• 9両編成で「」に運用されている。 (幕張車両センター所属)• 10両編成で「しおさい」に運用されている。 なお、「しおさい」での定期運用は佐倉発東京行の「しおさい4号」のみ。 (所属)• 6両または12両編成で「」で運用されている。 東京駅で新宿方面と横浜方面の分割併合を行うことが多い。 (所属)• 12両編成で千葉駅発着の「」「」で運用されている。 普通・快速列車 [ ]• (鎌倉車両センター所属)• - 東京駅 - 成田空港駅・鹿島神宮駅・成東駅間の快速・通勤快速として11両または15両編成で運行される。 15両の場合、横須賀線以南では久里浜寄りの4両が逗子駅でされる。 朝の成東駅始発は11両編成、夜の成東駅発着・発着および折り返し列車は4両編成で運行される。 (幕張車両センター所属)• 2009年から千葉駅 - 銚子駅間の普通として4・6・8両編成で運行されている。 この節のが望まれています。 歴史 [ ] 背景 [ ] (5年)にが - 横浜駅(現在の)間に開通し、その後、(明治17年)に会社が- 間にを開業して良好な営業成績を上げたことなどをうけ、明治10年代後半に全国的な民営鉄道建設ブームが起きた。 千葉県内でも鉄道敷設の機運が高まったが、当初は資金面からの計画が多かった。 初期の鉄道敷設運動 [ ] 千葉県内では(明治19年)頃からによる鉄道建設の運動が始められ、(明治20年)11月にの伊能権之丞らが発起した 武総鉄道会社と、のらが発起した 総州鉄道会社が相次いで創立の申請を行った。 しかし、当時は従来からの水上交通の実績に対する評価が高く、またの開削も決まったばかりだったため、千葉県知事であったが鉄道敷設に対して慎重な姿勢をとるようになった。 船越は両者に対し計画の翻意や合併を促してきたが、総州鉄道はこれに応じず()を通じて正式に鉄道敷設を出願した。 これを受けて船越もやむなく千葉県知事として武総鉄道をに進達したが、「・両川の水運が至便であるうえに、この地方の状況は鉄道敷設を必要とするほど発展していない」などとして結局どちらも却下されている。 1887年(明治20年)11月に申請された計画ルート 武総鉄道株式会社:本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 成田 - 佐原 総州鉄道株式会社:本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 八街 - 芝山 - 八日市 - 銚子 総武鉄道 [ ] 上述の経験から、競願の不利益さを悟った両社の発起人は合併を協議し、発起人に利根川水運の株主であった県会議長のなどの有力者を加え、(明治22年)1月に 総武鉄道株式会社を創立した。 会社名称は(かずさのくに)・(しもうさのくに)とを結ぶことに因む。 総武鉄道は翌2月に再願を申請した。 この時の出願では、利根運河との競合を避けるとともにの支持が得られるように・・等の軍営所在地を通る以下のルートを採用し、その使命に「軍事輸送と政府開墾地への輸送」を掲げていた。 1889年(明治22年)1月に申請された計画ルート 総武鉄道株式会社:本所 - 市川 - 船橋 - 千葉 - 佐倉 - 八街 総武鉄道の狙いどおり「陸軍営所を通過し、用兵上にも便利である」とするの意見が決め手となり、1889年(明治22年)4月に仮免状が下付され、同年12月に小岩 - 佐倉間の免許状が降りた。 ただし、計画の一部変更などにより、工事着手は(明治26年)8月となる。 なお、1892年(明治25年)に公布されたで「下上野ヨリ下、ヲ経テニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテニ至ル鉄道」が将来建設されるべき鉄道として指定された。 このころになるとルートの候補地となった各地域で様々な鉄道誘致運動が行われるようになる。 なお、千葉県各所(船橋・千葉・佐倉・芝山・飯岡・茂原・流山等)で鉄道反対運動が行われたとの言説が市町村史や小学校副読本などで取り上げられることがあるが、当時の文献や記録にこれらを裏付けるものはなく、単なるであるとされる。 1894年(明治27年)7月20日に市川駅 - 佐倉駅間が開業し、千葉県内初の鉄道となる。 直後の8月1日に日清両国でがなされ、早速での兵員輸送に活用された。 同年12月9日にはを越えて本所(現在の錦糸町)に達した。 総武鉄道は、(明治30年)5月1日に成東まで、同年6月1日には銚子まで延伸され、でとの連絡も実現する。 両国橋から都心部への延伸は(明治33年)に本所 - 秋葉原間の免許 を得、1904年(明治37年)に両国橋(現在の両国)まで延伸され、ここを都心側のターミナルとした。 両国橋駅を利用する旅客はすでに開業していた(のちの)に乗り継いだ。 なお、この当時は貨物扱いも両国で行い、ここからなどの舟運を利用して物資が東京市内へと運ばれた。 1907年(明治40年)、により買収・国有化され、官設鉄道の 総武本線となった。 近代化と戦争 [ ] 鉄道開業により、総武本線の沿線には住宅地の拡大が両国から徐々に東側へ向けて始まった。 また、1912年(元年)に最初の区間が開業した京成電気軌道(現在の)とは東京 - 船橋 - 千葉の都市間輸送で競合するようになり、東海道本線からは少し遅れたが総武本線の近代化に向けた取り組みが始まった。 ただし、1923年(大正12年)9月1日にはで周辺で多数の犠牲者が出る惨事も起きた。 復興計画が立てられる中、1926年(大正15年)には常磐線と連絡する貨物支線()、1929年(4年)には東京湾岸に近い小名木川駅への支線(のちの)が開業し、旅客と貨物の分離が進められた。 震災復興をきっかけとして都心部への延伸が進められ 、1932年(昭和7年)7月1日には、御茶ノ水駅 - 両国駅間が延伸され、同区間で電車の運転を開始した。 これにより、総武本線は東京都心部で他の国鉄線と連絡するようになった。 以降、1933年(昭和8年)3月に市川まで、同年9月には船橋駅まで電化区間が延長され、まで緩行電車として直通運転を実施するようになった。 1935年(昭和10年)には、千葉駅までの電化が完成した。 以後、総武本線は千葉駅を境に、住宅地が広がる地域で通勤形電車が頻繁に運転される御茶ノ水駅方面の西側と、農村や漁村を蒸気機関車牽引の客車列車が結ぶ銚子駅方面の東側に性格が二分された。 末期の1945年(昭和20年)、沿線で米軍による、が実行され、一夜にして約10万人が死亡し、両国・錦糸町・亀戸などの各駅には多くの被災者が避難した。 また、アメリカ軍がに上陸する日本侵攻作戦が予測され、日本軍はに備えたにより総武本線で大量の軍事輸送を行ったが、同年8月15日に日本は受諾を発表し、沿線での大規模戦闘は回避された。 戦後の改良 [ ] 戦時中の酷使並びに食糧難による買い出し客の殺到や資材不足により、終戦直後の総武本線が置かれた環境は劣悪であった。 当初は国鉄の車両改善予算を承認しなかったが、両国駅で総武本線の木造客車を視察しそのあまりのボロさに仰天した担当官が即座にこれを認めたといわれる。 その後、被災地域の復興や高度経済成長による東京都市圏の人口急増により、千葉以西が複線電化、千葉以東が単線非電化という総武本線の輸送事情は逼迫した。 方面のの鉄道路線は、(昭和28年)に「気動車化モデル線区」に選定されが集中投入され てある程度の近代化が進展していたが、電化の進展は(昭和43年)までは総武本線の御茶ノ水駅 - 千葉駅までに過ぎず、他の路線は非電化の状況であった。 そのため、新たに発足した(国鉄)は1964年(昭和39年)に決定したの重要な一部として総武本線の輸送力増強に着手した。 その中核として、国鉄初の本格的な都市内地下鉄道になる東京 - 錦糸町間の新線建設を含む東京 - 千葉間の快速線建設が決定された。 一方、千葉駅以東の近代化も徐々に進み、通勤路線としての性格が強まり、1968年(昭和43年)3月28日に総武本線・成田線の千葉駅 - 佐倉駅 - 成田駅間の電化が完成し 、同年に千葉駅 - 木更津駅間の電化が完成。 同区間に電車が走れるようになり、から中央線の始発で成田駅・木更津駅へ毎日1時間に1 - 2本程度、総武線電車快速が走り始めた。 内の停車駅は中野駅 - (中央緩行線内各駅停車) - 御茶ノ水駅・秋葉原駅・両国駅・新小岩駅・市川駅・船橋駅・津田沼駅・千葉駅で、車両は各駅停車と同じくカナリアイエロー色のを使用していた。 ただ、この快速電車は秋葉原駅 - 千葉駅間の所要時間は40〜48分だったが、待避駅不足が災いして利用客には不評だった。 この改正から、御茶ノ水駅 - 千葉駅間に夜間下り2本のディーゼル快速列車が運行を開始した。 これは、新宿駅まで到着した上り急行列車の千葉気動車区への回送列車を客扱いしたもので、当時としては画期的な発想だった。 途中停車駅は、秋葉原駅・両国駅・船橋駅で、快速列車なので当然特別料金は不要であり、1971年10月12日付けの交通新聞の「好評の回送利用快速気動車」「毎日満席のモテぶり」と題した乗車ルポには、「車両の間合いによっては、キハ28形などの冷房車が充当され、急行列車なので座席もボックス形でゆっくりと座って帰れるので国電と比べると天国」なとど利用客には大変好評であったことが記事に記載された。 この列車は当時1年間限定の運転予定が、1972年7月の複々線化の前日まで運転された。 また、この列車はの元祖といえるもので、このアイデアは1984年の東北本線の「ホームライナー大宮」で復活している。 (昭和47年)7月には東京駅 - 錦糸町駅の地下トンネル区間及び津田沼駅までの複々線完成により総武快速線が開業した。 これにより起点が御茶ノ水駅から東京駅に変更され、新設された東京駅の地下ホームからは新たに設定された房総方面への特急列車が発着した。 一方、総武鉄道時代から東京と千葉以東を結ぶターミナルとなっていた両国駅は、急行列車の発着は残されたものの、その重要性が大きく低下した。 1974年(昭和49年)には銚子駅までの電化が完成し、東京からの直通電車特急「」の運行が開始された。 その後、1980年(昭和55年)には横須賀線との直通運転()が開始され、1981年(昭和56年)には千葉駅まで複々線区間が延長されて、当初の計画は完成した。 これにより、国鉄による輸送は高速化され、国鉄は東京 - 船橋・千葉の都市間輸送で京成電鉄より優位に立った。 また、1969年(昭和44年)には(現在の)が西船橋駅 - 津田沼駅間に乗り入れ、特に通勤輸送で総武本線(中央・総武緩行線)の負担を大きく軽減していた。 さらに、紆余曲折を経て1978年(昭和53年)に新東京国際空港(現在の)が開港すると、総武本線と成田線は京成電鉄を補完する鉄道アクセスルートとなった。 なお、複々線化にあたり、(成田財特法)による補助金のかさ上げの適用を受けている。 このような状況で(昭和62年)のを迎え、総武本線は施設保有と旅客輸送がJR東日本、貨物輸送がJR貨物へ承継された。 ただし、銚子漁港からの鮮魚・醤油輸送がトラックに切り替えられて銚子駅 - 新生駅の貨物線が廃止されたように、総武本線での貨物輸送量は減少していた。 民営化前の出来事 [ ] 総武本線の大部分を管轄する国鉄千葉鉄道管理局(民営化後は)では分割民営化に反対する(千葉動労)の勢力が強く、(昭和60年)に千葉動労が実施した分割民営化反対の際にはこれを支持する(中核派)によりが発生した。 特に浅草橋駅は国鉄職員を含む約120人の中核派グループにより破壊・放火された。 分割民営化後も千葉動労はJR東日本との対決を続け、特に千葉駅以東ではストライキによる列車運行の停止が毎年起こった。 民営化後の展開 [ ] 総武本線を受け継いだJR東日本は総武本線の改良を続け、ATS-Pの設置を進めた。 また、当初は貨物線で計画していたを旅客営業兼用に転換し、国鉄末期の1986年(昭和61年)の第1期区間開業に続いて1990年(2年)に東京駅乗り入れを実現させた。 ・直通列車は定期特急の大半と快速の一部が総武本線(快速線)から京葉線に移行し、乗客の転移もあって、総武本線(快速線)の過密緩和に役立った。 1991年(平成3年)にはの施設を転用した旅客ターミナルへの鉄道乗り入れが実現し、総武本線(および成田線)では空港連絡特急「」の運行が始まって、アクセス路線としての重要性を増した。 ただし、1985年以降のの延伸により、(、、、)の運行が拡大されると、「しおさい」などの「成田エクスプレス」以外の特急列車は本数削減や一部区間の普通列車化が行われ、総武本線(および成田線・)は東京と千葉県北東部・南東部を結ぶ都市間輸送で劣勢に立っていることが明確となった。 2000年(平成12年)のでは、2015年までに整備すべき路線として(京葉線) - - 間の新線建設(船橋 - 津田沼間は3複線化)が提唱された。 千葉方面からの総武本線の列車は津田沼から新線に乗り入れ、新浦安から京葉線経由で東京駅へ、あるいはこれも2015年を整備目標とする・方面への延伸線に向かうことが想定されている。 また、新木場 - 新浦安間の建設(複々線化)と新木場からの()乗り入れも明記されたが、運営会社のJR東日本はこの建設計画についてまだ正式な発表を行っていない。 年表 [ ] 当線の列車の沿革は「」、「」を参照 本線 [ ] 元は本線だった錦糸町駅 - 御茶ノ水駅間の支線も含めて記述する。 (明治27年)• :総武鉄道 市川駅 - 佐倉駅間が開業。 市川駅、千葉駅、船橋駅、佐倉駅が開業。 :本所駅(現在の錦糸町駅)- 市川駅間が延伸開業。 幕張駅・四ツ街道駅(現在の四街道駅)が開業。 (明治28年)• :中山駅が開業。 :津田沼駅が開業。 (明治30年)• :佐倉駅 - 成東駅間が延伸開業。 八街駅、成東駅が開業。 :成東駅 - 銚子駅間が延伸開業。 横芝駅、八日市場駅、旭町駅(現在の旭駅)、飯岡駅、松岸駅、銚子駅が開業。 (明治31年)• :猿田駅が開業。 :松尾駅・干潟駅が開業。 (明治32年)• :平井駅が開業。 :小岩駅が開業。 :稲毛駅が開業。 :日向駅が開業。 (明治37年)• :亀戸駅が開業。 :両国橋駅(現在の両国)- 本所駅間が延伸開業。 同日開業のが両国橋駅 - 亀戸駅間に乗り入れ開始。 (明治40年)• :両国橋駅 - 亀戸駅間が複線化。 :鉄道国有法により買収、国有化。 :四ツ街道駅が四街道駅に改称。 (明治41年)• :平井駅 - 小岩間駅、市川駅 - 船橋駅間、稲毛駅 - 千葉駅間が複線化。 :船橋駅 - 津田沼駅間が複線化。 :亀戸駅 - 平井駅間、津田沼駅 - 稲毛駅間が複線化。 :小岩駅 - 市川駅間が複線化。 (明治42年)10月12日 制定により、 総武本線になる。 (明治43年):東武亀戸線の両国橋駅 - 亀戸駅間への直通運転廃止。 (明治44年):四街道駅 - 佐倉駅間に物井信号所が開業。 (大正元年)11月1日 千葉駅 - 四街道駅間に都賀信号所が開業。 (大正3年):南酒々井駅が開業。 (大正4年)• 5月1日:本所駅が錦糸町駅に改称。 9月11日:中山駅が下総中山駅に改称。 (大正11年):信号所が信号場に改称。 (大正15年)• :平井駅 - 小岩駅間に新小岩信号場が開業。 :新小岩信号場が新小岩操車場に変更。 (昭和3年):新小岩操車場が駅に変更され、新小岩駅が開業。 (昭和6年):両国橋駅が両国駅に改称。 (昭和7年)• :鉄道省電化計画委員会が両国駅 - 市川駅間の電化を決定。 総工費は291万円、両国駅 - 亀戸駅間に電車専用線を新設し、市川駅に車庫、亀戸駅に変電所を新設、電力は自家変電・からの買電を併用する計画案であった。 計画案においては、運転時間は約20分で、平常時は2両運転・ラッシュアワーは4両運転とし、いずれも4分おきでの運転とした。 また、翌年3月中に工事を完成させ、4月1日から運転を開始するとした。 7月1日:御茶ノ水駅 - 両国駅間が延伸開業(複線、旅客営業のみ)。 同区間で電車の運転開始。 :鉄道省が市川駅 - 船橋駅間の電化を決定。 予算は50万円。 (昭和8年)• :両国駅 - 市川駅間が電化。 電車は御茶ノ水駅 - 市川駅間において、三等車2両連結・10分間隔(ラッシュアワー8分間隔)で運転された。 列車は同区間を無停車とした。 また、省線電車と同様特定運賃制を実施した。 9月15日:市川駅 - 船橋駅間が電化。 中央線中野駅まで緩行電車として直通運転開始。 市川駅 - 千葉駅間16往復のガソリンカーが船橋駅 - 千葉駅間30往復に増加して運転された。 船橋駅 - 千葉駅間は20分間隔の運転で、千葉以遠の列車は両国駅 - 千葉駅間をノンストップで走った。 (昭和10年)• 7月1日:船橋駅 - 千葉駅間が電化。 9月1日:本八幡駅が開業。 (昭和12年)4月5日:物井信号場が駅に変更され、物井駅が開業。 (昭和17年)10月1日:西千葉駅が開業。 (昭和26年):新検見川駅が開業。 (昭和33年)• 4月1日:榎戸駅が開業。 :西船橋駅が開業。 (昭和34年)10月1日:旭町駅が旭駅に改称。 (昭和35年)6月1日:倉橋駅が開業。 (昭和38年)4月28日:房総東線(現在の外房線)のスイッチバック解消のため千葉駅を西千葉寄りに0. 8 km移転。 (昭和39年)10月1日:飯倉駅が開業。 (昭和40年)• :千葉駅 - 四街道駅間が複線化および。 都賀信号場が仮乗降場に変更され都賀仮乗降場が開業。 :東千葉駅が開業。 (昭和41年):四街道駅 - 物井駅間が複線化および自動信号化。 (昭和43年)• 2月25日:物井駅 - 佐倉駅間が複線化および自動信号化(同時に成田線佐倉駅 - 成田駅間も自動信号化)。 :千葉駅 - 佐倉駅間が電化(同時に成田線佐倉駅 - 成田駅間も電化)。 都賀仮乗降場が駅に変更され、都賀駅が開業。 6月1日:新小岩駅から貨物扱い・操車場業務を分離して新小岩操駅が開業。 (昭和46年):亀戸駅 - 新小岩駅間が3線化。 (昭和47年)• 3月28日:。 :新小岩駅 - 津田沼駅間が複々線化。 7月15日:東京駅 - 錦糸町駅間が開業(複線、旅客営業のみ)。 総武本線の起点が東京駅に変更され、錦糸町駅 - 御茶ノ水駅間は支線として分離。 錦糸町駅 - 亀戸駅間が複々線化。 亀戸駅 - 新小岩駅間が5線化。 (昭和49年)• :佐倉駅 - 銚子駅間が自動信号化。 3月15日:千葉駅 - 銚子駅間に CTC が導入。 10月1日:両国駅 - 新小岩操駅間の貨物営業廃止。 :佐倉駅 - 銚子駅間が電化され、本線の電化が完成。 (昭和53年):成田空港への航空燃料輸送(暫定輸送)開始。 (昭和54年):新検見川駅 - 千葉駅間が高架化。 (昭和55年):稲毛駅 - 西千葉駅間に黒砂信号場が開業。 (昭和56年)• 7月5日:津田沼駅 - 新検見川駅間が複々線化。 10月1日:東船橋駅・幕張本郷駅が開業。 (昭和58年)8月:成田空港本格パイプライン稼働開始により、暫定輸送終了。 (昭和61年)11月1日:成東駅 - 銚子駅間の貨物営業廃止。 新小岩操駅が廃止され、新小岩操車場に変更。 (昭和62年)• :新小岩操車場が貨物駅に変更され、新小岩操駅が開業。 4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。 新小岩操駅 - 成東駅間は日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる。 (平成2年):御茶ノ水駅 - 千葉駅間(緩行線)で ATS-P 使用開始。 (平成5年)• :錦糸町駅 - 市川駅間で ATS-P 使用開始。 :市川駅 - 千葉駅間で ATS-P 使用開始。 (平成6年):千葉駅 - 佐倉駅間で ATS-P 使用開始。 (平成11年)• :御茶ノ水駅 - 千葉駅間(緩行線)で ATOS が導入される。 3月31日:佐倉駅 - 成東駅間の日本貨物鉄道の第二種鉄道事業廃止。 (平成12年)9月30日:東京駅 - 幕張駅間で ATOS が導入される。 (平成13年):佐倉駅 - 成東駅間で ATS-P 使用開始。 (平成16年):東京駅 - 錦糸町駅間が ATC から ATS-P に変更。 (平成17年):183系、189系を置き換える関係から特急にが投入され、運用を開始。 (平成18年):211系3000番台が運用開始。 (平成21年)• :成東駅 - 銚子駅間がに組み込まれ、同時にICカード「」サービス開始。 10月1日:113系の老朽化などの事由により、千葉駅 - 成東駅 - 銚子駅間に4ドア車の2000番台・2100番台が運用開始• :成東駅 - 銚子駅間で ATS-P 使用開始。 (平成22年):この日を最後に荷物列車廃止。 (平成23年):新小岩操駅が新小岩信号場駅に改称。 越中島支線 [ ]• (昭和4年):亀戸駅 - 小名木川駅間が開業。 (昭和33年):小名木川駅 - 越中島駅(現在の越中島貨物駅)間が延伸開業。 (昭和41年):全線で自動信号化。 (昭和46年):起点が新小岩操駅に変更される。 (昭和59年):小名木川駅 - 越中島駅(現在の越中島貨物駅)間の運転方式が入換方式に変更。 (昭和61年):新小岩操駅廃止のため、起点が小岩駅に変更される。 (昭和62年):国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。 日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる。 (平成2年):京葉線越中島駅との区別のため、越中島駅が越中島貨物駅に改称。 (平成12年):小名木川駅が廃止。 (平成13年):千葉総合指令室から東京総合指令室に移管。 (平成23年):新小岩操駅が新小岩信号場駅に改称。 新金線 [ ]• (大正15年):新小岩操車場 - 金町駅間が開業。 (昭和3年):新小岩操車場が新小岩駅に変更。 (昭和39年)• :全線で電化。 :全線で自動信号化。 (昭和61年):新小岩操駅廃止のため、起点が小岩駅に変更される。 (昭和62年):国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。 日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる。 (平成13年):千葉総合指令室から東京総合指令室に移管。 (平成23年):新小岩操駅が新小岩信号場駅に改称。 貨物支線 [ ]• (明治33年):銚子駅 - 新生駅間が延伸開業。 (昭和53年):廃止。 駅一覧 [ ] 東京駅・御茶ノ水駅 - 千葉駅間 [ ] 「」および「」も参照 ここでは駅名と主要駅のキロ程のみを列挙する。 内は起点からの営業キロ 本線 0. 0 - - - 4. 8 - - - - 12. 8 - - - - 20. 6 - - - 26. 7 - - - - - () - - 39. 2 支線(錦糸町駅 - 御茶ノ水駅) 錦糸町駅 0. 0 - - - 3. 4 - 4. 3 千葉駅 - 銚子駅間 [ ]• (駅番号)はからの連番で割り振られている。 停車駅• 普通…全駅に停車• 特急…「」参照 東千葉駅は、横須賀・総武快速線-成田線成田空港方面間の直通列車は全列車が通過する。 この区間は全駅内に所在 駅番号 駅名 駅間 営業キロ 東京 からの 営業キロ 快速 通勤快速 接続路線 線路 所在地 JO 28 - 39. 9 40. 3 43. 5 46. 2 51. 2 55. 0 59. 9 62. 7 65. 8 71. 2 76. 6 82. 3 86. 8 90. 6 | 3. 1 93. 1 98. 8 103. 7 106. 9 109. 2 | 2. 6 111. 5 117. 2 120. 内房線の正式な起点は外房線だが、列車は直通列車を除いて千葉駅へ乗り入れる• 小岩駅 - 新小岩信号場駅間は本線と重複。 内の数字は起点からの営業キロ。 詳細は各支線記事を参照。 小岩駅 0. 0 - 2. 3 - (貨)(8. 6 廃止) - (貨) 11. 7 小岩駅 0. 0 - 新小岩信号場駅 2. 3 - 8. 9 過去の接続路線 [ ]• 八街駅: - 1940年5月14日廃止• 八日市場駅:成田鉄道 - 1946年10月9日廃止 廃止区間 [ ] 貨物支線 銚子駅 0. 0 - (貨) 0. 8 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• にの位置に存在していた千葉駅を、現在の位置に移転したため。 から初期には、下志津駐屯地付近から四街道市、佐倉市一帯に、旧の砲術練習所を前身とするや、下志津駐屯地の前身のといった陸軍施設があった。 前身の総武鉄道は、軍事利用されることを意図して、こうした陸軍営所を経由して建設された。 に沿いに存在していた線形を改良したため、トンネルがある新線経由となった。 数本は成田駅からさらに佐原駅・香取駅経由鹿島神宮駅発着• 総武本線経由に比べて営業キロ数で13. 4 km長い。 総武鉄道はに車両修繕を委託する方針から秋葉原から上野まで路線を延伸する計画としていた。 横網町(付近) - 秋葉原間の建設は新橋 - 上野間竣工の時まで、という猶予がついていた。 本所 - 両国橋間は山手線同様の煉瓦造りによる高架線を計画していたが、資金不足によりプレートガータによって建設となった。 震災によって焦土となった延伸予定地周辺では、復興事業として区画整理が行なわれたため線路敷地の捻出が容易となった。 直接買収を行なったのは駅拡張の必要な両国駅・御茶ノ水駅周辺や奇跡的に焼失を免れたなどにとどまった。 このころは複々線化される前であり、この快速は現在の総武快速線とは本質的には異なるものといえるが、停車駅など後の総武快速線に踏襲されている部分もある。 「選手(優勝者)が走るのと変わらないスロー運転」や「中央線快速停車駅騒動に懲りた国鉄が、快速停車駅の既成事実化のために運転した」という声がファンや利用客の間から聞かれた。 出典 [ ]• 例:・(千葉駅) - 東日本旅客鉄道• - 東日本旅客鉄道• 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 1998年• 線形、平行・交差する鉄道・道路、周辺の建造物についての出典: 地図および航空写真(2012年1月)• PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道, 2019年12月13日 , 2019年12月14日閲覧。 PDF プレスリリース , 東日本旅客鉄道千葉支社, 2019年12月13日 , 2019年12月14日閲覧。 『貨物時刻表 平成26年3月ダイヤ改正』、鉄道貨物協会、2014年、 134頁。 成田 あの一年. 崙書房. 『貨物時刻表 平成26年3月ダイヤ改正』、鉄道貨物協会、2014年、 133頁。 - 47NEWS、2010年2月9日付け、同月22日閲覧• 千葉県企画部交通計画課. 1980. 1-3,36• 国立公文書館 デジタルアーカイブ. 独立行政法人国立公文書館. 2020年7月7日閲覧。 ちばの鉄道一世紀. 崙書房. 14-25• 千葉の鉄道. 彩流社. 18-21• 長谷川明「横須賀・総武快速線列車運転の興味」『鉄道ピクトリアル 【特集】 横須賀・総武快速線』第51巻3号(通巻第698号)、電気車研究会、2001年3月、 71頁。 2017年3月6日閲覧。 讀賣新聞夕刊: p. 1932年3月16日• 讀賣新聞朝刊: p. 1932年12月28日• 東京日日新聞朝刊. 大阪毎日新聞社 20330 : p. 1933年3月15日• 朝日新聞朝刊: p. 1933年2月14日• 朝日新聞朝刊: p. 1933年9月2日• (国立国会図書館近代デジタルライブラリー)• 、1979、「総武線新検見川-千葉間高架線完成」、『』29巻10号(通巻366号)、、1979年10月 p. 交通新聞社 : p. 2004年3月8日 報道発表資料 [ ]• 千葉日報社. 1968年3月27日 参考文献 [ ]• (監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』26号 総武本線・成田線・鹿島線・東金線、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、〈週刊朝日百科〉、2010年1月17日、5-19頁。 関連文献 [ ]• 老川慶喜「明治中期銚子港における鉄道建設 -総武鉄道成立過程の一問題-」『経営史学』第15巻第2号、経営史学会、1980年、 84-103頁、 :。 小野田滋「総武鉄道高架延長線計画の沿革に関する研究」『土木計画学研究・論文集』第18巻、土木学会、2001年、 17-24頁、 :。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 外部リンク [ ]• - 東日本旅客鉄道千葉支社.

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