スペイン 風邪 死亡 率。 100年前5億人が感染したスペイン風邪 なぜ日本も終息に丸2年かかったのか?

過去のパンデミック「スペイン風邪」から学ぶ。『スペイン風邪での感染予防対策を知る』

スペイン 風邪 死亡 率

新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に関する報道は、ときには怪しげで、ときには矛盾した統計で溢れている。 画面のなかを流れ、メールやツイートで拡散される数字のなかで最もやっかいなのは、致死率(CFR)、すなわち既知の感染者数に占める死亡者の割合だ。 パンデミックが始まったばかりのころ、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染症「」の平均致死率を2パーセントと、その後それを3. 4パーセントに。 一方、多数の疫学者は、世界全体におけるCOVID-19の致死率は1パーセントほどだと主張している。 わずかな差に思えるかもしれない。 だが、この割合を大人数に当てはめると、全体の死亡者数はかなり違ってくる。 現在進行中のパンデミックの場合には、致死率の算出はと専門家もいる。 その理由とは検査数の不足に加えて、感染症の発症から死亡までの時間差によって、致死率の算出時に推定される感染者数や死亡者数に偏りが生じるからだ。 こうした専門家からの助言にもかかわらず、ニュースの報道やソーシャルメディア上の議論はCOVID-19の致死率に執着し、その数字を歴史上のほかの感染症の致死率と比較することに躍起になっている。 特に繰り返し論じられている主張は、COVID-19の致死率は最低でも2パーセントと驚くほど高く、1918年に世界的に大流行したインフルエンザの致死率に匹敵するというものだ。 俗に「スペイン風邪」と呼ばれるこのインフルエンザは、歴史上最悪のアウトブレイク(集団感染)のひとつを引き起こした。 だが実のところ、COVID-19とスペイン風邪の比較には重大な欠陥がある。 さらに、この比較の基になる数値は、ほぼ確実に間違っている。 全世界における感染者数とされる「5億人」(当時の世界総人口の約3分の1に相当する)、死亡者数とされる「5,000万〜1億人」、そして致死率と言われる「2. 5パーセント」だ。 だが、この3つのデータが矛盾なく成立することは、数学的には不可能である。 致死率とは、感染症のパンデミックが終息したあとに算出された全死亡者数を、全感染者数で割った数字だ。 各国・各都市の致死率も、全世界の平均致死率も、同じように算出される。 仮にスペイン風邪の全世界の感染者数が5億人で、死亡者数が5,000万〜1億人だったとすると、致死率は10〜20パーセントになる。 致死率が2. 5パーセントで感染者数が5億人だったとすると、死亡者数は1,250万人だ。 また、2. 5パーセントの致死率で5,000万人が死亡するには、少なくとも20億人が感染していなければならない。 だが、それでは1918年当時の世界総人口である18億人よりも感染者数のほうが多くなってしまう。 出典元で唐突に示されていた数字たち こうした矛盾を不思議に思い、これらの数字の出典元を調べてみた。 まず、スペイン風邪の正確な感染者数および死亡者数は、誰にもわからない。 このふたつの推定値は、概して時間の経過とともに増加し、研究者たちはいまだに議論を続けている。 1918年のパンデミックによる全世界での死亡者数に言及する際、大半の人が引用するのが『Emerging Infectious Diseases』誌に発表されただ。 同誌を刊行している米疾病管理予防センター(CDC)は、この論文をCDCのウェブサイトに目立つように。 グーグルで「Spanish flu fatality」(スペイン風邪 死者数)と検索すると、最初にヒットする論文もこれだ。 この論文は冒頭の段落で、あまりに広く引用されている3つの矛盾する数字を、なんの脈絡もなく挙げている。 スペイン風邪における感染者数は5億人、死亡者数は5,000万〜1億人、致死率は2. 5パーセントというあのデータだ。 つまり、地域によって致死率がある程度は異なることを示唆しているのかもしれない。 だが、この数値が全世界の感染者数および死亡者数と並べて掲載されているせいで、ほとんどの読者は致死率も全世界の平均だと解釈しているのだ。 5パーセント」の謎 論文の著者たちが致死率を2. 5パーセントとした経緯は不明だ。 この数値の参考文献として挙げられているふたつの出典も、この数字を裏付けるものではない。 ひとつは1980年に出版されただ。 同書はスペイン風邪の全世界の致死率を4パーセントとしているが、これは論文に書かれている致死率の約2倍である。 もうひとつは、医学ライターと医学を専門とする図書館員が執筆しただ。 この書籍では、スペイン風邪の原因となったインフルエンザウイルスの全世界における感染率は28パーセントで、2,200万人超の人々が死亡したとしている。 そこから計算できる全世界の致死率は、最低でも4. 3パーセントになる。 矛盾を明らかにすべく06年の論文の著者たちに連絡をとったところ、ひとりからは返答がなかった。 もうひとりは「あなたが言及している数字は、わたしたちの数字ではありません。 でも、ほかの科学者たちは広く引用しているデータです」と答えた。 そのうえで、「あなたが引用する数値が正確かどうかについては、何も意見はありません」と続けた。 そして、06年の論文で示した数値を導いた科学者たちに連絡してみてはどうかと言った。 残念ながら、致死率2. 5パーセントの出典と考えられるふたつの文献は40年以上も前に出版されており、著者たちは他界していた。 致死率として合理的な推定値 だが、公衆衛生の専門家であるニーアル・ジョンソンとは連絡がとれた。 彼は1918年のパンデミックの際のデータとしてしばしば引用される、死亡者数5,000万〜1億人という推定値を算出したの筆頭著者である。 そのジョンソンは、「実際の致死率は、よく言われる(2. 5パーセントの)数字よりも高いはずです」と断言した。 04年にを著した歴史家のジョン・バリーも、2. 5パーセントという数値はあまりにも低すぎるという見解に同意する。 スペイン風邪の致死率は、米国などの先進諸国では恐らく約2パーセントだったが、その他の地域ではそれよりはるかに高かっただろうというのが、彼の見解だ。 今年3月初めには、ジョンズ・ホプキンス大学の疫学者ジェニファー・リーも、『ロサンジェルス・タイムズ』でスペイン風邪の全世界の致死率は10パーセント近くだった可能性があると。 なお、スペイン風邪の感染者数を、1918年の世界総人口の25〜75パーセント、死亡者数を2,500万〜1億人と幅をとって考えることによって、全世界の致死率として妥当と思われる数値の幅を計算できる。 この幅で考えると、スペイン風邪による全世界の致死率として合理的な推定値は6〜8パーセントだ。 誤解のないように言うと、この数値はスペイン風邪の感染者のうち6〜8パーセントが死亡したことを意味する。 全世界の人口に対してスペイン風邪による死亡者数が占める比率、つまり(感染者と非感染者を合わせた)世界総人口に占めるスペイン風邪の死亡者の比率は、おおかた2〜4パーセントだろう。 この数字と、スペイン風邪による致死率を考えると、スペイン風邪を巡って広まっている統計上の混乱の一部は、ある程度は説明がつくかもしれない。 実体のない数字が拡散される すでに述べた通り、スペイン風邪の致死率が2. 5パーセントである場合、少なくとも5,000万人が死亡したという結果を導くことは、当時の世界総人口からすると数学的に不可能である。 それにもかかわらず、この実体のない統計値は広範囲に拡散し、ブログからTwitter、『』、最も権威ある医学誌にいたるまで、あらゆるところで言及されている。 この矛盾する数字は、医学誌『The New England Journal of Medicine(NEJM)』に2月末に掲載されたでも引用されている。 そこで同誌の編集者や統計コンサルタントに連絡をとり、統計値の間違いを指摘し、間違いが生じた原因と思われる事実について発見した内容を説明した。 数日後、同誌のメディアアンドコミュニケーション部長のジェニファー・ジズから回答があった。 「著者たちは異なる情報源を基にしており、情報源によって食い違う数値が出ていたのでしょう。 たとえその数値が矛盾するとしても、いずれの数値も出版されている情報源に基づいています」 もちろん、推定値はさまざまだ。 ここで問題にしているパンデミックは1世紀以上も前に発生したので、完全あるいは正確な記録と言えるようなものはない。 だからといって、非常に明白な数学的な矛盾の言い逃れをしたり、学者としての責任放棄を正当化したりすることはできない。 論文の間違いが、論文の信頼性を担保する査読という網をかいくぐり、見過ごされたなら、その間違いはただちに修正されるべきである。 論文の間違いが誤解やパニックをもたらす恐れがある場合は、なおさらだ。 スペイン風邪とCOVID-19は違う スペイン風邪はウイルスによる大惨事の代名詞になった。 そしていま、新型コロナウイルスのパンデミックと言えば、スペイン風邪の場合と同様だと思われている。 スペイン風邪と新型コロナウイルスを同じように捉える間違った見方は、公表されるべきではなかったまことしやかな統計値によるところが大きい。 スペイン風邪と同規模のパンデミックの再来は確かに起こりうることであり、むしろ避けがたいことでもあるだろう。 だが、COVID-19の致死率および感染力に関する3月半ばの時点での推定値、さらには公衆衛生政策に対するCOVID-19の反応が示唆するのは、相対的に見ると今回のパンデミックは1918年の惨状には匹敵しないということだ。 スペイン風邪によって当時の世界総人口の3パーセントが死亡して、それを現在の総人口に当てはめれば、2億3,000万人が亡くなることになる。 現在の危機と1918年のパンデミックを軽々に比較すべきではない理由は、ほかにも数多くある。 まず、医療に関するインフラと技術に歴然とした差があること。 そして、スペイン風邪は第一次世界大戦の惨禍と重なったこと。 また、若年層が亡くなるという、スペイン風邪特有の傾向があったこと。 さらに、1918年のインフルエンザの感染者のうち、最多ではないにせよ、かなりの人々が(大量生産できる抗生物質がまだ存在していなかったせいで)二次感染で亡くなったことである。 全世界の致死率は平均値にすぎず、いかなる流行病の致死率も年齢、人口、地勢によってかなり異なる。 例えば、スペイン風邪の流行時の致死率は、ある地域では1パーセント未満だったが、アラスカのある村では90パーセントだった。 とはいえ、表面的な比較を行えば、このふたつの感染症の間にある数多くの違いがさらに見過ごされてしまう。 いま生じうる現象の予測に、1世紀前のパンデミックに関する怪しげな統計を用いてはならない。 WHO事務局長のテドロス・アダノム・ゲブレイェススが3月3日、新型コロナウイルスによる全世界の致死率は3. 4パーセントだと発表したが、その内容は既知の死亡者数を既知の感染者数で割った結果にすぎず、適正な推定値や確定的な数値ではなかった。 これに対して、感染症の数理モデルを扱う数学者アダム・クチャルスキーと彼の同僚らは、中国におけるCOVID-19の致死率が実際には0. 3〜2. 4パーセントであるとの計算結果を3月に。 、COVID-19の全世界の致死率もクチャルスキーらが示した数値とと。 ただ、この種の推定値は時間の経過や検査数の増加によって変化し続けるものである。 広範な検査が実施されても、COVID-19の全世界の致死率は2パーセント以下にとどまると専門家もいる。 しかし、全世界における最終的な致死率は、現時点でのデータが示す値よりも高くなる可能性もある。 09年に発生したH1N1インフルエンザのパンデミックの際、流行初期に推定された致死率は、実際の値の。 一方、02〜04年に重症急性呼吸器症候群(SARS)のアウトブレイクが続いたとき、初期に推定された致死率は実際の値の。 変動する数字にしがみつくことの危うさ 新型コロナウイルスのパンデミックは重大な脅威であり、迅速かつ大胆な対応を要する。 致死率が0. 5〜1パーセントだとしても、人口が多く相互接続されているわたしたちの世界においては、極めて警戒すべき確率だ。 そして、もうひとつ考慮すべき重要な事柄がある。 それは、COVID-19が致命的ではなくとも、何週間も続く重症疾患を引き起こし、医療資源に過大な負担をかけたり、生涯にわたる健康問題を一部の人々にもたらしたりする恐れがあることだ。 世界中で新型コロナウイルスのアウトブレイクの拡大が抑制されなければ、特に高齢者や基礎疾患がある人々の間で膨大な数の感染者や死亡者が発生する事態を目の当たりにするだろう。 感染症の専門家は3月初め、新型コロナウイルスのパンデミックの規模が、世界中で100万〜400万人が死亡したと推定される1957年の鳥インフルエンザのパンデミックの規模に達する可能性があると。 だが、その可能性は生じうるひとつの過程にすぎない。 いま進行しているパンデミックの結果はひとつの統計値ではなく、感染者の脆弱性、公衆衛生介入の速度と規模、政府の透明性など、社会、経済、環境といったさまざまな要因によって形成されるはずだ。 数値や図表があると、それによって示される事実は確実だという安心感が生まれる。 しかし、危機が進行しているとき、こうした確信は誤解である場合があまりにも多い。 十年以上も前につくり出されたひとつの不正確な統計値が突然広まり、パニックや物資の無意味な買いだめを誘発し、その物資を最も必要とする人々から奪うことになりかねない。 専門家やジャーナリストが、いいかげんな研究から無批判に数値を抜き出し、変動する統計上の数字にしがみつき、そうしたデータを指針として軽率に示すなら、人々を啓発するのではなく混乱させる結果になるだろう。 window. wired. 画面のなかを流れ、メールやツイートで拡散される数字のなかで最もやっかいなのは、致死率(CFR)、すなわち既知の感染者数に占める死亡者の割合だ。 パンデミックが始まったばかりのころ、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染症「 COVID-19」の平均致死率を2パーセントと、その後それを3. 4パーセントに。 一方、多数の疫学者は、世界全体におけるCOVID-19の致死率は1パーセントほどだと主張している。 わずかな差に思えるかもしれない。 だが、この割合を大人数に当てはめると、全体の死亡者数はかなり違ってくる。 現在進行中のパンデミックの場合には、致死率の算出はと専門家もいる。 その理由とは検査数の不足に加えて、感染症の発症から死亡までの時間差によって、致死率の算出時に推定される感染者数や死亡者数に偏りが生じるからだ。 こうした専門家からの助言にもかかわらず、ニュースの報道やソーシャルメディア上の議論はCOVID-19の致死率に執着し、その数字を歴史上のほかの感染症の致死率と比較することに躍起になっている。 特に繰り返し論じられている主張は、COVID-19の致死率は最低でも2パーセントと驚くほど高く、1918年に世界的に大流行したインフルエンザの致死率に匹敵するというものだ。 俗に「スペイン風邪」と呼ばれるこのインフルエンザは、歴史上最悪のアウトブレイク(集団感染)のひとつを引き起こした。 だが実のところ、COVID-19とスペイン風邪の比較には重大な欠陥がある。 さらに、この比較の基になる数値は、ほぼ確実に間違っている。 互いに矛盾する3つの数字 スペイン風邪に関して、新聞や科学誌がよく言及する3つの数字がある。 全世界における感染者数とされる「5億人」(当時の世界総人口の約3分の1に相当する)、死亡者数とされる「5,000万〜1億人」、そして致死率と言われる「2. 5パーセント」だ。 だが、この3つのデータが矛盾なく成立することは、数学的には不可能である。 致死率とは、感染症のパンデミックが終息したあとに算出された全死亡者数を、全感染者数で割った数字だ。 各国・各都市の致死率も、全世界の平均致死率も、同じように算出される。 仮にスペイン風邪の全世界の感染者数が5億人で、死亡者数が5,000万〜1億人だったとすると、致死率は10〜20パーセントになる。 致死率が2. 5パーセントで感染者数が5億人だったとすると、死亡者数は1,250万人だ。 また、2. 5パーセントの致死率で5,000万人が死亡するには、少なくとも20億人が感染していなければならない。 だが、それでは1918年当時の世界総人口である18億人よりも感染者数のほうが多くなってしまう。 出典元で唐突に示されていた数字たち こうした矛盾を不思議に思い、これらの数字の出典元を調べてみた。 まず、スペイン風邪の正確な感染者数および死亡者数は、誰にもわからない。 このふたつの推定値は、概して時間の経過とともに増加し、研究者たちはいまだに議論を続けている。 1918年のパンデミックによる全世界での死亡者数に言及する際、大半の人が引用するのが『Emerging Infectious Diseases』誌に発表されただ。 同誌を刊行している米疾病管理予防センター(CDC)は、この論文をCDCのウェブサイトに目立つように。 グーグルで「Spanish flu fatality」(スペイン風邪 死者数)と検索すると、最初にヒットする論文もこれだ。 この論文は冒頭の段落で、あまりに広く引用されている3つの矛盾する数字を、なんの脈絡もなく挙げている。 スペイン風邪における感染者数は5億人、死亡者数は5,000万〜1億人、致死率は2. 5パーセントというあのデータだ。 つまり、地域によって致死率がある程度は異なることを示唆しているのかもしれない。 だが、この数値が全世界の感染者数および死亡者数と並べて掲載されているせいで、ほとんどの読者は致死率も全世界の平均だと解釈しているのだ。 5パーセント」の謎 論文の著者たちが致死率を2. 5パーセントとした経緯は不明だ。 この数値の参考文献として挙げられているふたつの出典も、この数字を裏付けるものではない。 ひとつは1980年に出版されただ。 同書はスペイン風邪の全世界の致死率を4パーセントとしているが、これは論文に書かれている致死率の約2倍である。 もうひとつは、医学ライターと医学を専門とする図書館員が執筆しただ。 この書籍では、スペイン風邪の原因となったインフルエンザウイルスの全世界における感染率は28パーセントで、2,200万人超の人々が死亡したとしている。 そこから計算できる全世界の致死率は、最低でも4. 3パーセントになる。 矛盾を明らかにすべく06年の論文の著者たちに連絡をとったところ、ひとりからは返答がなかった。 もうひとりは「あなたが言及している数字は、わたしたちの数字ではありません。 でも、ほかの科学者たちは広く引用しているデータです」と答えた。 そのうえで、「あなたが引用する数値が正確かどうかについては、何も意見はありません」と続けた。 そして、06年の論文で示した数値を導いた科学者たちに連絡してみてはどうかと言った。 残念ながら、致死率2. 5パーセントの出典と考えられるふたつの文献は40年以上も前に出版されており、著者たちは他界していた。 致死率として合理的な推定値 だが、公衆衛生の専門家であるニーアル・ジョンソンとは連絡がとれた。 彼は1918年のパンデミックの際のデータとしてしばしば引用される、死亡者数5,000万〜1億人という推定値を算出したの筆頭著者である。 そのジョンソンは、「実際の致死率は、よく言われる(2. 5パーセントの)数字よりも高いはずです」と断言した。 04年にを著した歴史家のジョン・バリーも、2. 5パーセントという数値はあまりにも低すぎるという見解に同意する。 スペイン風邪の致死率は、米国などの先進諸国では恐らく約2パーセントだったが、その他の地域ではそれよりはるかに高かっただろうというのが、彼の見解だ。 今年3月初めには、ジョンズ・ホプキンス大学の疫学者ジェニファー・リーも、『ロサンジェルス・タイムズ』でスペイン風邪の全世界の致死率は10パーセント近くだった可能性があると。 なお、スペイン風邪の感染者数を、1918年の世界総人口の25〜75パーセント、死亡者数を2,500万〜1億人と幅をとって考えることによって、全世界の致死率として妥当と思われる数値の幅を計算できる。 この幅で考えると、スペイン風邪による全世界の致死率として合理的な推定値は6〜8パーセントだ。 誤解のないように言うと、この数値はスペイン風邪の感染者のうち6〜8パーセントが死亡したことを意味する。 全世界の人口に対してスペイン風邪による死亡者数が占める比率、つまり(感染者と非感染者を合わせた)世界総人口に占めるスペイン風邪の死亡者の比率は、おおかた2〜4パーセントだろう。 この数字と、スペイン風邪による致死率を考えると、スペイン風邪を巡って広まっている統計上の混乱の一部は、ある程度は説明がつくかもしれない。 実体のない数字が拡散される すでに述べた通り、スペイン風邪の致死率が2. 5パーセントである場合、少なくとも5,000万人が死亡したという結果を導くことは、当時の世界総人口からすると数学的に不可能である。 それにもかかわらず、この実体のない統計値は広範囲に拡散し、ブログからTwitter、『』、最も権威ある医学誌にいたるまで、あらゆるところで言及されている。 この矛盾する数字は、医学誌『The New England Journal of Medicine(NEJM)』に2月末に掲載されたでも引用されている。 そこで同誌の編集者や統計コンサルタントに連絡をとり、統計値の間違いを指摘し、間違いが生じた原因と思われる事実について発見した内容を説明した。 数日後、同誌のメディアアンドコミュニケーション部長のジェニファー・ジズから回答があった。 「著者たちは異なる情報源を基にしており、情報源によって食い違う数値が出ていたのでしょう。 たとえその数値が矛盾するとしても、いずれの数値も出版されている情報源に基づいています」 もちろん、推定値はさまざまだ。 ここで問題にしているパンデミックは1世紀以上も前に発生したので、完全あるいは正確な記録と言えるようなものはない。 だからといって、非常に明白な数学的な矛盾の言い逃れをしたり、学者としての責任放棄を正当化したりすることはできない。 論文の間違いが、論文の信頼性を担保する査読という網をかいくぐり、見過ごされたなら、その間違いはただちに修正されるべきである。 論文の間違いが誤解やパニックをもたらす恐れがある場合は、なおさらだ。 スペイン風邪とCOVID-19は違う スペイン風邪はウイルスによる大惨事の代名詞になった。 そしていま、新型コロナウイルスのパンデミックと言えば、スペイン風邪の場合と同様だと思われている。 スペイン風邪と新型コロナウイルスを同じように捉える間違った見方は、公表されるべきではなかったまことしやかな統計値によるところが大きい。 スペイン風邪と同規模のパンデミックの再来は確かに起こりうることであり、むしろ避けがたいことでもあるだろう。 だが、COVID-19の致死率および感染力に関する3月半ばの時点での推定値、さらには公衆衛生政策に対するCOVID-19の反応が示唆するのは、相対的に見ると今回のパンデミックは1918年の惨状には匹敵しないということだ。 スペイン風邪によって当時の世界総人口の3パーセントが死亡して、それを現在の総人口に当てはめれば、2億3,000万人が亡くなることになる。 現在の危機と1918年のパンデミックを軽々に比較すべきではない理由は、ほかにも数多くある。 まず、医療に関するインフラと技術に歴然とした差があること。 そして、スペイン風邪は第一次世界大戦の惨禍と重なったこと。 また、若年層が亡くなるという、スペイン風邪特有の傾向があったこと。 さらに、1918年のインフルエンザの感染者のうち、最多ではないにせよ、かなりの人々が(大量生産できる抗生物質がまだ存在していなかったせいで)二次感染で亡くなったことである。 全世界の致死率は平均値にすぎず、いかなる流行病の致死率も年齢、人口、地勢によってかなり異なる。 例えば、スペイン風邪の流行時の致死率は、ある地域では1パーセント未満だったが、アラスカのある村では90パーセントだった。 とはいえ、表面的な比較を行えば、このふたつの感染症の間にある数多くの違いがさらに見過ごされてしまう。 いま生じうる現象の予測に、1世紀前のパンデミックに関する怪しげな統計を用いてはならない。 WHO事務局長のテドロス・アダノム・ゲブレイェススが3月3日、新型コロナウイルスによる全世界の致死率は3. 4パーセントだと発表したが、その内容は既知の死亡者数を既知の感染者数で割った結果にすぎず、適正な推定値や確定的な数値ではなかった。 これに対して、感染症の数理モデルを扱う数学者アダム・クチャルスキーと彼の同僚らは、中国におけるCOVID-19の致死率が実際には0. 3〜2. 4パーセントであるとの計算結果を3月に。 、COVID-19の全世界の致死率もクチャルスキーらが示した数値とと。 ただ、この種の推定値は時間の経過や検査数の増加によって変化し続けるものである。 広範な検査が実施されても、COVID-19の全世界の致死率は2パーセント以下にとどまると専門家もいる。 しかし、全世界における最終的な致死率は、現時点でのデータが示す値よりも高くなる可能性もある。 09年に発生したH1N1インフルエンザのパンデミックの際、流行初期に推定された致死率は、実際の値の。 一方、02〜04年に重症急性呼吸器症候群(SARS)のアウトブレイクが続いたとき、初期に推定された致死率は実際の値の。 変動する数字にしがみつくことの危うさ 新型コロナウイルスのパンデミックは重大な脅威であり、迅速かつ大胆な対応を要する。 致死率が0. 5〜1パーセントだとしても、人口が多く相互接続されているわたしたちの世界においては、極めて警戒すべき確率だ。 そして、もうひとつ考慮すべき重要な事柄がある。 それは、COVID-19が致命的ではなくとも、何週間も続く重症疾患を引き起こし、医療資源に過大な負担をかけたり、生涯にわたる健康問題を一部の人々にもたらしたりする恐れがあることだ。 世界中で新型コロナウイルスのアウトブレイクの拡大が抑制されなければ、特に高齢者や基礎疾患がある人々の間で膨大な数の感染者や死亡者が発生する事態を目の当たりにするだろう。 感染症の専門家は3月初め、新型コロナウイルスのパンデミックの規模が、世界中で100万〜400万人が死亡したと推定される1957年の鳥インフルエンザのパンデミックの規模に達する可能性があると。 だが、その可能性は生じうるひとつの過程にすぎない。 いま進行しているパンデミックの結果はひとつの統計値ではなく、感染者の脆弱性、公衆衛生介入の速度と規模、政府の透明性など、社会、経済、環境といったさまざまな要因によって形成されるはずだ。 数値や図表があると、それによって示される事実は確実だという安心感が生まれる。 しかし、危機が進行しているとき、こうした確信は誤解である場合があまりにも多い。 十年以上も前につくり出されたひとつの不正確な統計値が突然広まり、パニックや物資の無意味な買いだめを誘発し、その物資を最も必要とする人々から奪うことになりかねない。 専門家やジャーナリストが、いいかげんな研究から無批判に数値を抜き出し、変動する統計上の数字にしがみつき、そうしたデータを指針として軽率に示すなら、人々を啓発するのではなく混乱させる結果になるだろう。 【重要】新型コロナは、あなたが何歳であろうと感染する。 そして現在進行中のパンデミックにおける比較には、単なる数字の間違いでは済まない危険が潜んでいる。 ",type:o,slug:p,link:i,pubDate:"2020-05-03 11:00:37",pubDateFormatted:"2020.

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スペインかぜ

スペイン 風邪 死亡 率

なぜ世界のメディアは前世紀初頭に起きた「スペイン風邪」(最大で1億人が犠牲に)と今回のコロナを対比して伝えないのか スペインかぜ Wikipedia から一部抜粋 1918年のインフルエンザ・パンデミック(1918年1月〜1920年12月、通称スペインインフルエンザ、日本語ではスペイン風邪)は、H1N1型インフルエンザウイルスが関与した2つのパンデミックのうちの最初のものである。 2番目は2009年の豚インフルエンザ[2]。 1番目当時の世界人口18〜19億人の約27%に当たる5億人が世界中で感染し[3]、その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれていた。 死者数は1,700万人[4]から5,000万人、場合によっては1億人と推定されており、人類史上最悪の伝染病の1つとなっている[5][6]。 歴史的・疫学的データは、パンデミックの地理的起源を確実に特定するには不十分である。 [3] 20世紀初頭には既に感染症によって平均寿命が制限されていたが、米国ではパンデミックの最初の年に平均寿命が約12歳低下した[7][8][9]。 ほとんどのインフルエンザの流行では、若年者と高齢者が不均衡に死亡し、その中間の人の生存率が高くなったが、スペイン風邪の大流行では、若年成人の死亡率が予想以上に高くなった。 戦時中の検閲官は士気を維持するために、ドイツ、イギリス、フランス、米国での病気や死亡の初期報告を最小限に抑えた[10]。 一方で新聞は中立国スペインでの伝染病の影響(アルフォンソ13世の重病など)を自由に報道することができた[11]。 これらの記事は、スペインが特に大きな被害を受けたという誤った印象を与え[12]、パンデミックのニックネームである「スペイン風邪」を生み出した[13]。 科学者たちは、1918年のインフルエンザ大流行の死亡率の高さについて、いくつかの可能性のある説明を提示している。 ある分析によると、ウイルスはサイトカイン放出症候群を引き起こし、若年成人の強い免疫システムを破壊するため、特に致命的であるとされている[14]。 これとは対照的に、パンデミックの時期の医学雑誌を2007年に分析したところ、ウイルス感染は以前のインフルエンザ株よりも攻撃的ではなかったことが判明した[15][16]。 その代わり、栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態が細菌性の重複感染を促進していた。 この重複感染により、通常は幾分長い臨終の後、ほとんどの犠牲者が死亡した[17][18]。 被害状況[編集] スペインかぜの患者でごった返すアメリカ軍の野戦病院。 マスクをつける日本の女性たち。 スペインかぜは、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)である[注 3]。 スペインかぜの感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は18〜20億人であると推定されているため、全人類の3割近くがスペインかぜに感染したことになる。 感染者が最も多かった高齢者では基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層では大量の死者が出ている。 大日本帝国(日本)では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡し[注 4]、アメリカでも50万人が死亡した。 これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである[注 5]。 流行の経緯としては、第1波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり[22]、アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5〜6月にヨーロッパで流行した。 第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な合併症を起こし死者が急増した。 第3波は1919年春から秋にかけて、第2波と同じく世界で流行した[注 6]。 さらに、最初に医師・看護師の感染者が多く医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。 この経緯を教訓とし、2009年新型インフルエンザの世界的流行の際にはインフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。

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スペイン風邪の死者はどの国が一番多かったのか?ヨーロッパとアジアの国々における死者数の比較

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提供 辞世の句まで詠み、死をも覚悟した芥川龍之介 (c)朝日新聞社 全国で緊急事態宣言が解除された。 とはいえ、5月30日段階で新型コロナウイルスによる死者数は約900人を数え、第2波への警戒は怠れない。 約100年前にパンデミックを起こしたスペイン風邪では、都合3回の感染拡大があり、国内でおよそ40万人が命を落とした。 スペイン風邪と闘った文豪たちの姿から、我々は今、何を学べるか? 「僕は今スペイン風邪で寝ています。 うつるといけないから来ちゃだめです。 熱があって咳が出てはなはだ苦しい」 1918(大正7)年11月2日、芥川龍之介は友人への手紙にこう記し、末尾に「胸中の凩(こがらし)咳となりにけり」という俳句を添えた。 呼吸のたびにヒューヒューと音がする自身の病状をこがらしに喩えた一句である。 その翌日には作家仲間への手紙で「スペイン風邪で寝ています。 熱が高くってはなはだ弱った。 病中髣髴として夢あり。 退屈だから句にしてお目にかけます」と書き、末尾に、「凩や大葬ひの町を練る」と、死者の増加を伝える句を記し、「まだ全快に至らずこれも寝ていて書くのです。 頓首」と続けた。 芥川の病状はかなり重かったようで、「見かへるや麓の村は菊日和」という辞世の句まで書いている。 回復後の11月24日に、漱石の長女と結婚した作家・松岡譲の肺炎入院見舞いとして「僕もインフルエンザのぶり返しでひどく衰弱していた。 辞世の句も作った」「御互に今度はと命拾いをしたほうだろうと思う」と書いた手紙を送っている。 新型コロナウイルス同様、スペイン風邪にも「再感染」があったようだ。 回復したはずの芥川が再び感染したのは翌年2月。 田端の実家に戻り、療養した。 半月ほど実家で過ごし、ようやく床を上げ、鎌倉の家に帰宅したのが3月3日。 12日に友人に書いた手紙の末文で「目下インフルエンザの予後ではなはだ心細い生き方をしています」と記し、「思へ君庵の梅花を病む我を」との句を書いた。 芥川が2度目の感染から回復した直後に、実父・新原敏三がスペイン風邪で入院してしまった。 芥川は病院に寝泊まりして看病したが、実父は3日後に死去。 亡くなる前の晩には、芥川の手を取り、自分が所帯を持ったころの話を語り出し、涙を流したという。 世界で5億人の感染者を生み出したスペイン風邪では、数千万人が亡くなったとされる。 日本で最初の流行があったのは大正7年8月。 3回の感染拡大の波を経て、約40万人が亡くなった。 芥川だけでなく、多くの文豪が感染した。 芥川とともに東大同人誌「新思潮」のメンバーだった久米正雄も、スペイン風邪で生死の境をさまよった一人。 大正8年2月1日に自作の戯曲が上演されていた大阪から帰京すると、翌日には風邪を自覚。 5日に予定されていた知人の結婚式を欠席すると、診察した友人の医師は、自らの手には負えないとノーベル医学賞候補にもなった東大病院の名医・呉建に助けを請うたほどだった。 そのおかげもあって回復した。 もう一人の「新思潮」メンバーだった菊池寛もこの時期、危うくスペイン風邪になりかけた。 菊池は2度目のスペイン風邪から回復した芥川と大正8年5月4日、長崎旅行に出発した。 車中で菊池は頭痛を感じて岡山駅で途中下車。 もしものときは故郷の高松に渡り、養生するつもりだった。 その気持ちを察したのか、芥川は下車する菊池に「君は讃岐で生れたのだから、讃岐へ死にに帰るというわけになるのじゃないかなあ」と言ったという。 芥川に不吉なことを言われた菊池は駅前の安宿に宿泊。 菊池はのちにこの旅について、「流行性感冒以来、病気に就いては極端に憶病になっている。 このまま、長崎へ行って病みついたりしては事だと思ったので、芥川に一足先へ行って貰って、自分は岡山で一旦下車することにした」(「長崎への旅」)と書いている。 菊池がスペイン風邪を疑ったのは、旅の前日に病後の久米正雄に会ったことも関係していた可能性がある。 それでも旅を続けるのが菊池の菊池たるゆえんである。 頭痛を抱えたまま、翌日からは尾道、下関などを経由して5月7日、芥川から2日遅れで長崎に着いた。 恐れていた感冒ではなかったようだ。 長崎滞在中の芥川は、歌人の斎藤茂吉と面会している。 茂吉は大正6年末から長崎医学専門学校教授に任じられ、併せて県立長崎病院精神科部長として赴任していた。 まるでスペイン風邪が芥川の後を追いかけるように、茂吉のいる長崎でもこの年の暮れ、スペイン風邪が猛威を振るった。 医師として、歌人として、茂吉は長崎を襲ったスペイン風邪をこう詠んでいる。 「寒き雨 まれまれに降りはやりかぜ 衰へぬ長崎の年暮れむとす」 その茂吉が感染したのは大正9年1月だった。 6日に東京から訪れた義弟とホテルで食事をして帰宅した後、急激に発熱して寝込んでしまった。 ウイルスは茂吉の肺を襲い、肺炎を併発。 一時は生死の境をさまよい、命も危ぶまれた。 妻と子にも感染した。 茂吉が床上げしたのは2月15日、勤務を再開したのはその10日後だった。 茂吉の勤務した長崎医学専門学校では、同僚の教授と校長がスペイン風邪で命を落としていた。 今でいう「クラスター」だろう。 このとき茂吉が詠んだ歌が、「はやりかぜ 一年(ひととせ)おそれ過ぎ来しが 吾は臥(こや)りて 現(うつつ)ともなし」だ。 茂吉の予後は悪く、6月には喀血し、しばらく温泉を転々として療養する一年となった。 死を招きうるウイルスを警戒したのは昔も今も一緒だ。 多くの文豪は過剰なまでにスペイン風邪を恐れた。 川端康成はこの時期、感染が広がりつつある東京を避け、伊豆を訪れている。 一高生だった大正7年秋、19歳の川端は、スペイン風邪を警戒して伊豆・修善寺から湯ケ島を旅した。 この旅で出会った旅芸人一座との思い出を描いたのが後の名作「伊豆の踊子」である。 当時、千葉県・我孫子に住んでいた志賀直哉は大正8年発表の短編「流行感冒」で、徹底したスペイン風邪対策をとった様子を「事実をありのままに」(あとがき)描いている。 「流行感冒」の主人公は、感冒を恐れ、医師が勧めるのに娘を運動会に行かせない、女中を街に出すときにも店での無駄話や芝居見物を禁じる。 近くの工場で300人規模のクラスターが発生するなか、女中は禁を破って芝居見物に出かけ……という物語。 実の娘を病気で失っていた志賀は「子供のために病的に病気を恐れていた」と書いているとおり、今で言う「3密」を排した。 志賀の「3密回避策」は新型ウイルス感染拡大中の現在にも通用する感染拡大防止策だが、歌人の与謝野晶子の主張も今に通じるものを感じる。 大正7年、与謝野の10人の子の1人が小学校でスペイン風邪に感染したのをきっかけに、与謝野家は家族が次々と感染してしまったのだ。 与謝野はこの体験を「感冒の床から」と題して「横浜貿易新報」(現・神奈川新聞)に論評記事を書いた。 「政府はなぜいち早くこの危険を防止するために、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか」 今も昔も国は十分な対策を打てなかったようだ。 新型コロナウイルスで大切な人を失わないために、先人の失敗から学ぶことはたしかにある。 スペイン風邪は収束まで2年以上かかり、第2波では高い死亡率となった。 新型コロナウイルスの流行が長期化する恐れは多くの専門家が指摘している。 油断は禁物だ。

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