シャロン テート 事。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』見る前に知っておくべき真実

タランティーノ最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観る前に知りたいシャロン・テート事件とは?

シャロン テート 事

1964年『』のエピソード「The Giant Jackrabbit」より、と共に(向かって右の黒いかつらを着けているのがジャネット・トレゴ役のテート)。 父親が軍人だったため、子ども時代は世界各地を転々とする。 高校生の頃にはイタリアに居住しており、現地で数本の映画にエキストラとして出演。 その後CMに出演したほか、モデルとしても活動した。 ハリウッドに渡り、映画「卑怯者の勲章」(1964年)などに端役で登場。 人気TVシリーズ「」でブレイクし、1966年の「Eye of the Devil(原題)」で本格的なスクリーンデビューを飾る。 映画『』で共演したのが縁で1月20日に映画監督のロマン・ポランスキーと結婚した。 同年にはブルース・リー監修のもとでアクションにトライした『サイレンサー第4弾/破壊部隊』が公開。 ポランスキーとの第1子妊娠も分かり、私生活、女優としてのキャリアともに順分満帆だったが、翌8月9日、狂信的指導者の信奉者達の一人、()ら3人組によって、一緒にいた他の3名の友人達と、たまたま通りがかって犯行グループに声を掛けた1名と共にの自宅で殺害された。 マンソンはシャロンの前にその家に住んでいた()が、マンソンの音楽をメジャーデビューさせられなかったことを恨みに思っていた。 当時シャロンは8か月で、襲撃を受けた際に「子供だけでも助けて」と哀願したというが、それが仇となりアトキンスらにナイフで計16箇所を刺されて惨殺された。 ポランスキーは、生まれることなく死んだわが子にテートと自らの父の名を取ってポール・リチャードと名付け、テートとともに埋葬した。 事件の10年後、彼女の母親ドリス・テートは殺害犯がカルト的信奉を得、の可能性が生じたことを嫌悪し、殺害犯の釈放反対運動に参加した。 彼女の運動は公の注目となり、州法修正システムへの批判はの刑法修正に結びついた。 これらの修正でとその家族が、および仮釈放審問においてを行うことが可能となった。 彼女は新法の下、娘の殺害犯チャールズ・マンソンの仮釈放審問において陳述を行った最初の人物となった。 テート殺害実行犯の主犯スーザン・アトキンスは、に死刑判決が下ったが、カリフォルニア州の死刑一時撤廃に伴い、マンソンらとともにに減刑され、に同州の刑務所でのため獄中死。 マンソンはその後も服役したが、11月19日に死亡した。 出演作品 [ ]• AFPBB News 2017年11月20日 関連項目 [ ]• - 殺害の前年に夫監督で公開された妊婦を主人公とする。 - 事件を起こしたマンソン・ファミリーの主要女性メンバー3人を中心に描いた2018年の映画。 - 妻をカルト集団に殺された男の復讐を描いた2018年の映画。 - 彼女の殺害事件をモチーフとした2019年の映画。 がテートを演じている。 - 彼女の殺害事件をモチーフとした2019年の映画。 がテートを演じている。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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【レポート】『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』映画評論家 滝本誠氏が語るシャロン・テート事件”3つのもしも”とは | anemo

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『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』が、いよいよ8月30日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷にて没後50年記念緊急公開されている。 そして9月1日(日)、 本作の公開記念トークイベントがヒューマントラストシネマ渋谷スクリーン2にてに開催され、ゲストとして映画評論家の滝本誠氏が登壇した。 日曜日の夜、老若男女幅広い年齢層に埋まった会場の中で、「チャールズ・マンソン 悪魔の告白」「聖書」「プレイボーイ」「ロマン・バイ・ポランスキー」(洋書)の書籍を傍らに、これから映画を見る観客に向けて、本作を見る鍵となる要素について解説した滝本氏。 まず1つ目は、「チャールズ・マンソン 悪魔の告白」の中から、犯人の1人テックスがマンソンに「どこを襲えばいいかわからない」と聞いたところ、例えとして「テリーの家とか知っているじゃないか」と、マンソンが答えたところから、テリーが引っ越したと知らない犯人たちに、ロマン・ポランスキーとシャロン・テートの家が襲われたという事が語られた。 2つ目にロマン・ポランスキーとシャロン・テートが引っ越した家は、もともとキャンディス・バーゲンとテリー・メルチャーが住んでいた家で、この2人の関係がそのまま続いていれば、家を出ることはなく、殺されたのはシャロンでは無かったかもしれないということ。 さらに、「ロマン・バイ・ポランスキー」の中で、ポランスキーが8月9日当日のことを語っている。 シャロンが庭で目のない小動物の死体を見た話などシャロンと長く電話で話した後、何かを感じたのか、即アメリカ行きをポランスキーは決め、シャロンお気に入りのイギリス人乳母のアメリカ行きVISAを準備しようとした。 しかし、夜7時頃にL. から悲劇を伝える電話が入った。 他に、シャロン・テートは、本格的デビュー作『アイ・オブ・デビル』のアドバイザーの魔術師の魔女儀式に参加したことなどが語られた。 滝本さんが語るキーワードはすべて本作を見る上で重要な意味を持つもので、観客は静かに耳を傾けていた。 イントロダクション 『ハリウッド 1969 シャロン・テートの亡霊』は、『戦場のピアニスト』や『テス』、『チャイナタウン』、『水の中のナイフ』などで知られる、名匠ロマン・ポランスキー監督の妻で、新進の女優だったシャロン・テートが、1969年8月にチャールズ・マンソン率いるコミューン「ファミリー」に惨殺された現実の事件を題材に、彼女の最後の日々を描いた作品。 本作の監督ダニエル・ファランズは、1968年8月にシャロンがインタビューで、その後の運命を予感させる悪夢を見たと答えている記事を偶然見つけ、本作の製作を決意しています。 もし彼女が自分に降りかかる悲劇的な運命を正確に予知できていたなら、彼女はその運命を回避できていたのだろうか。 シャロン・テートの死から50年、奇しくも昨今、1968年と69年を振り返る機会が多くなっている。 昨年には製作50年を迎えたスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』 68 が世界中で公開され、今年は1969年のハリウッドを舞台にしたクエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット主演の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 19 が公開されるなど、この時代、その当時の文化に対する若者の興味もかきたてられている。  ストーリー 1969年8月、ロサンゼルス・シエロ・ドライヴ10050番地、丘の上の瀟洒な邸宅。 映画監督のロマン・ポランスキーと結婚したシャロン・テートはその家に引っ越してきたばかりだった。 彼女は現在、妊娠8か月。 夫のロマンは仕事でロンドンに出かけており、不在だったが、家にはロマンの友人のヴォイテック・フライコウスキー。 コーヒー財閥の女相続人アビゲイル・フォルジャー、シャロンの元婚約者でヘア・スタイリストのジェイ・セブリングが集い、ロマンの帰りを待っていた。 そんな友人たちとの楽しい時間が不吉で不穏なものに代わったのは、一連の奇妙な出来事が起き始めたときからだった。 チャーリーという名前の不気味な男がその家の以前の住人を捜して、訪ねてきた。 以前の住人は音楽プロデューサーのテリー・メルチャーで、チャーリーという男は彼に自分が作った音楽のデモテープを送りつけていたのだ。 家の周りには奇妙なヒッピー風の少女たちが、うろつきまわっていた。 そして、彼女の愛犬が行方不明となる。 シャロンは自分に差し迫る死を予感させる幻影を見るようになる。 だが、それが現実のものになるかもしれないと友人たちを説得することはできず、やがて恐ろしい現実が起こったときにはすべては遅すぎた。 作品タイトル:『ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊』 出演:ヒラリー・ダフ『ヒラリー・ダフ in 恋する彼女はスーパースター』 12 〈未〉、『ブラッドワース家の人々』 11 〈未〉 ジョナサン・ベネット『ギルティ 狂った衝動』 15 〈未〉、リディア・ハースト『Zネーション』 シーズン5 18 、『トゥ・ヘル』 18 監督:ダニエル・ファランズ『悪魔の棲む家 REBORN』 18 〈未〉、『HIS NAME WAS JASON ~「13日の金曜日」30年の軌跡』 09 2019年/アメリカ/英語/カラー/90分/原題:The Haunting of Sharon Tate 配給:オープンセサミ フルモテルモ 公式サイト: 公式Twitter: コピーライト: C 2018 Cielo Tate Island, LLC 8月30日 金 ヒューマントラストシネマ渋谷にて没後50年記念緊急公開中! ほか全国順次公開•

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「ワンハリ」鑑賞前に予習 不運すぎるシャロン・テート殺人事件

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クエンティン・タランティーノ監督最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の舞台となるのは1969年。 この年の8月9日、本作にもバリバリ関係してくる大事件「シャロン・テート殺害事件」が起きた。 そして、その事件の首謀者で、60年代以降の映画、音楽、小説……いまなお様々なポップ・カルチャーに影響を与え続けているチャールズ・マンソンについても多少知っておくと、映画の理解がより深まるはず。 というわけで、本稿では「シャロン・テート殺害事件」に至るまでを、少々駆け足気味に辿ってみる。 あくまで『ワンス~』を観るうえで大事なポイントを要約したものとしてご理解いただきたい。 あ、もちろん内容のネタバレにはならないのでご安心を。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 自由の国アメリカが生んだラリった悪魔、チャールズ・マンソン まずは時代背景をおさらいするためにも、事件が起きる2年前まで遡らないといけない。 60年代後半のアメリカはまさにカオスだった。 終結の見えない泥沼化したベトナム戦争、公民権運動、ウーマンリブ運動 etc……本当に様々なことがひっきりなしに起こっていた。 そんな中、ベトナム反戦運動は盛んになっていき、それとともにヒッピー文化が若者たちの中で急速に浸透。 この波はサンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区を中心に全米中に広がっていった。 大麻やLSDは街に溢れかえり、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレインなどサイケデリック・ロックバンドのコンサートには一文無しの若きヒッピーたちが押し寄せ踊り狂っていた。 1967年。 いわゆるサマー・オブ・ラブってやつだ。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 チャーリーは娼婦の息子として生まれ、幼い頃からチンケな犯罪を繰り返し、施設を出たり入ったり。 1967年の仮釈放の時点で人生の半分以上を施設、あるいは刑務所で過ごしてきた。 それなりに凄みや神秘性を携えていたのかもしれない。 長く伸ばしまくった髪と髭、それから刑務所で習ったギターで、モノホンのヒッピー・ミュージシャン降臨! といった風情で路上に立った。 そして、取り巻きの女性たちを使って男たちをも魅了し、コンプレックスにつけいる驚くほどイージーな説教で信奉者を集め〈ファミリー〉を形成した。 マンソン率いるの意外な交流、そして過激化する思想 チャーリーには「いっぱしのミュージシャンになる」という夢があった。 かなり本気だった。 そして「時代」というやつは、どういうわけかチャーリーの味方をしてくれた。 なんと、ザ・ビーチ・ボーイズのメンバーであったデニス・ウィルソンと知り合ったのだ。 〈ファミリー〉はデニス・ウィルソン邸に住み着き、楽曲を共作し、潤沢な金とドラッグ、もちろんセックスも謳歌。 さらにチャーリーはデニス・ウィルソンから音楽プロデューサーのテリー・メルチャーを紹介してもらったのである。 当時メルチャーが住んでいたのは、ハリウッドの富豪たちが住む丘の上の豪邸。 住所は「シエロ・ドライブ10050番地」。 ハイ、ここテストに出るとこです。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 チャーリーのなけなしの神秘性でさえもありがたいものとして受け入れてしまうロサンゼルスのヒップな方々だったが、柱となっていたデニス・ウィルソンが引っ越してしまい、〈ファミリー〉は住処を失くしてしまった。 同時にチャーリーのレコードデビューの話もなし崩し的にたち消え、〈ファミリー〉は新たな住処としてロス市街地から少し離れた、サンフェルナンド・バレーにある西部劇撮影用の牧場に目をつける。 そこは82歳になる盲目の男ジョージ・スパーンが所有していたが、観光客用の馬貸しなどを手伝うことを条件になんなく移住成功。 表向きは乱行パーティーとドラッグを愛するただのヒッピー・コミューン。 だが、〈ファミリー〉はヒッピー集団というより「仮面ライダー」のショッカー。 牧場はコミューンではなく秘密基地のようになっていった。 というのも、この頃のチャーリーの信奉者への説教は殺人さえも正当化する暴力的なものになっていた。 チャーリーは1968年11月に発売されたザ・ビートルズの通称『ホワイトアルバム』に収録された(ビートルズにしては)激しいロックナンバー「ヘルター・スケルター」からインスピレーションを得て、「やがて黒人たちが武装発起し、黒人と白人の戦争がはじまる。 それは核戦争にまで及び、勝つのは黒人側だ。 しかし、世界を統治するのは我々ファミリーである」なんて言いだした。 あまりの放言に、「付き合いきれん」と〈ファミリー〉を抜けだすメンバーもいたが、逆により一層チャーリーに魅せられる者もいて、その放言によって〈ファミリー〉の結びつきは強化されたともいえる。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 完全に〈ファミリー〉はチャーリーの所有物だった。 チャーリーに命令されれば誰も疑問も抱かず、食料や金品狙いの夜盗をはじめ、どんなことでもやった。 妊娠8ヶ月のシャロン・テートを襲った悲劇! ポランスキー邸が血に染まる ある日、チャーリーはテリー・メルチャーの住む、あの「シエロ・ドライブ10050番地」に出かけた。 しかし、「メルチャーは引っ越した」と、ぞんざいに追っ払われたことに激昂。 のちにきっちり復讐することを誓い、おとなしく引き返した。 1969年8月8日金曜日、夜。 〈ファミリー〉のメンバーである4人(テックス・ワトソン、スーザン・アトキンス、パトリシア・クレンウィンケル、リンダ・キャサビアン)は、チャーリーの命を受けて牧場から車で出発した。 目指す場所はシエロ・ドライブ10050番地。 目的は、殺人。 だってチャーリーが言ったんだ。 「ヘルター・スケルターの時は来た!」って。 しかし、その頃シエロ・ドライブ10050番地に住んでいたのは、36歳の天才映画監督ロマン・ポランスキーと、その妻で26歳の女優シャロン・テートだった。 数ヶ月前にはポランスキーが撮った『ローズマリーの赤ちゃん』が公開されていた。 ということは、ふたりの名はもうじゅうぶんハリウッドに知れ渡っていたってことだ。 『ローズマリーの赤ちゃん』は悪魔崇拝者たちに捕らえられた女性が悪魔の子どもを妊娠する、という恐ろしい話だが、偶然にもこの時シャロン・テートは妊娠8ヶ月……。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 8月9日未明。 殺しのメンバーは予定通りシエロ・ドライブ10050番地に着いたが、車を降りてまもなく、向こうから一台の車が近づいてきた。 運転していたのはたまたま通りかかっただけのスティーヴン・ペアレントという若者だったが、「何をしているんだ?」と尋ねてしまったがために、ペアレントには4発の銃弾が撃ち込まれた。 そして、まだ新参者だったリンダを見張り役として外に残し、長めのナイフと銃で武装したテックス、スーザン、パトリシアの3人は邸宅に侵入した。 この夜、ポランスキー邸にいたのは4人の男女だった。 ひとりはテートの元恋人で、スティーヴ・マックィーンやロバート・レッドフォードも手がけた売れっ子ヘア・スタイリストのジェイ・セブリング。 もうひとりは、アメリカで有名なコーヒー・ブランドであるフォルジャーズ・コーヒーの跡取り令嬢、アビゲイル・フォルジャー。 フォルジャーの恋人で無職の遊び人、ヴォイテク・フリコウスキーもいた。 そして、シャロン・テートである。 ちなみに、この家の主人であるロマン・ポランスキーは新作の仕上げのためにヨーロッパにいたので留守だった。 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 まず殺人者と接触したのは、ドラッグでぐでんぐでんになりながら柔らかな高級ソファに沈んでいたフライコウスキーだった。 テックス・ワトソンは酔っ払いに銃を突きつけた。 するとフライコウスキーは目を覚ました。 「いま、何時だ?」 「動くと殺す」 「誰だ?」 「俺は悪魔だ。 悪魔がなすべき行いを果たすために来た」 その言葉通り、ロサンゼルスを見下ろすことができる豪邸に現れた悪魔たちは、たっぷり時間をかけて悪魔の所業をやってのけ、悪魔が待つ牧場へと帰っていった。 まだ若く不運な4人の男女は合計すると100回以上滅多刺しにされ、撃たれ、殴られ、死んだ。 しかし、彼らのことを4人の殺人者たちは名前すら知らなかったという。 正面ホールの扉にはシャロン・テートの血で「PIG」と書かれていた……。 以上がシャロン・テート殺害事件の概要である。 その後の〈ファミリー〉、チャールズ・マンソンについてさらに詳しいことは、膨大な数の資料、研究書、映像作品がいくらでもあるのでそちらを参照していただきたい。 そして、ネットで手に入る情報なんて、ほんのわずかなものだけ、ということも付け加えておく。 文:市川力夫 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は2019年8月30日(金)より公開.

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