雪 の いと 高 う 降り たる を 訳。 「雪のいと高う降りたるを」の現代語訳

枕草子『雪のいと高う降りたるを』解説・品詞分解

雪 の いと 高 う 降り たる を 訳

先日(2016. 18)横浜でも雪が降りました。 初雪です。 まあ、自分が起きたときにはやんでたし、雪はほとんど溶けてましたけどね。 でも、また明日の夕方に降るとか? 「ひらけ!ポンキッキ」の歌、「いちばんロック」です。 【現代語訳】 雪がそんなに高くなく、うっすらと降り積もっているのはとっても風情があるわ。 また、雪が非常に高く積もっている夕暮れ時から、 縁側近くで、気の合う三人くらいの友だちと火鉢を囲んで話をしているうちに暗くなって、 でも室内には灯火もつけず、外は雪明かりがとても白く見えていて、 意味もなく火箸で灰をかき混ぜたりしながら、しみじみすることや面白いことなんかを話しているのが楽しいのよね。 宵も過ぎたかな、と思う時分に、沓の音が近づいてくるのが聞こえるので、 何だろうと不思議に思って見てみると、時々、このような時に思いがけずやってくる人だったりして。 「今日の雪をどう過ごしているだろうと思いを馳せながら、つまらないことに妨げられてどこそこで過ごしていました」 とか言うの。 山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む 〔山里は雪が降り積もって道もない。 そのような中、今日やって来る人を真心のある人だと思おう〕 なんていう歌を踏まえて言っているみたいね。 昼にあったことなどをはじめとして、色々なことを話してくれるの。 座布団を差し出しても、片足は外に垂らしたまま縁側に腰掛けていて、夜明けの鐘の音なども聞こえるまで話す、 こういうお喋りは部屋の内でも外でも飽きることがないわ。 その人が、まだ暗い夜明け前に帰ると言って、「雪、なにの山に満てり」と吟唱したのは非常に風情があるものね。 女だけではそんな風に夜を明かすことはできないでしょう。 こうして風流な男が加わると、女だけでいるよりも面白くて、 男が帰った後まで、その風流な有り様などを話し合ったりするの。 雪にまつわる『枕草子』の一節です。 中盤から出てくる男の話は、実際に清少納言が経験したことなのか、あるいは理想像として書いたものなのか。 どっちとも取れるように訳しておいたつもりです。 さて、雪は古代の人の心も動かしていました。 前にもこのブログで紹介したことがある歌ですが、雪は吉兆ともされていました。 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 大伴家持の歌です。 雪見のために、雪に足跡を付けないようにするとか、 または今の「雪だるま」のような感覚で雪を大きな塊にする「雪まろばし」などという遊びもありました。 今回と同じ『枕草子』には、「雪がいつまで溶けずに残るか」という予想をして楽しんでいる描写もあります。 雪は現代人にとっても特別な感情をかき立てるものがあります。 もちろん、雪国の人にとっての雪と、そうでない地域の人にとっての雪とでは違いますが。 明日は本当に降るのかな? 【現文】 雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。 また雪のいと高う降り積もりたる夕暮より、端近う、同じ心なる人三人ばかり、火桶を中にすゑて物語などするほどに、 暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光、いと白う見えたるに、 火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも、言ひあはせたるこそをかしけれ。 宵もや過ぎぬらんと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、 あやしと見出だしたるに、時々かやうの折に、覚えなく見ゆる人なりけり。 「今日の雪を、いかにと思ひやりきこえながら、なでふ事にさはりてその所に暮らしつる」 など言ふ。 「今日来ん人を」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。 昼ありつる事どもなどうちはじめて、よろづの事を言ふ。 円座ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、 内にも外にもこの言ふことには飽かず覚ゆる。 あけぐれのほどに帰るとて、「雪なにの山に満てり」と誦じたるは、いとをかしきものなり。 女のかぎりしては、さもえ居明かさざらましを、 ただなるよりはをかしう、好きたるありさまなど、言ひあはせたり。

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雪のいと高う降りたるを: 高校古文こういう話

雪 の いと 高 う 降り たる を 訳

先日(2016. 18)横浜でも雪が降りました。 初雪です。 まあ、自分が起きたときにはやんでたし、雪はほとんど溶けてましたけどね。 でも、また明日の夕方に降るとか? 「ひらけ!ポンキッキ」の歌、「いちばんロック」です。 【現代語訳】 雪がそんなに高くなく、うっすらと降り積もっているのはとっても風情があるわ。 また、雪が非常に高く積もっている夕暮れ時から、 縁側近くで、気の合う三人くらいの友だちと火鉢を囲んで話をしているうちに暗くなって、 でも室内には灯火もつけず、外は雪明かりがとても白く見えていて、 意味もなく火箸で灰をかき混ぜたりしながら、しみじみすることや面白いことなんかを話しているのが楽しいのよね。 宵も過ぎたかな、と思う時分に、沓の音が近づいてくるのが聞こえるので、 何だろうと不思議に思って見てみると、時々、このような時に思いがけずやってくる人だったりして。 「今日の雪をどう過ごしているだろうと思いを馳せながら、つまらないことに妨げられてどこそこで過ごしていました」 とか言うの。 山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む 〔山里は雪が降り積もって道もない。 そのような中、今日やって来る人を真心のある人だと思おう〕 なんていう歌を踏まえて言っているみたいね。 昼にあったことなどをはじめとして、色々なことを話してくれるの。 座布団を差し出しても、片足は外に垂らしたまま縁側に腰掛けていて、夜明けの鐘の音なども聞こえるまで話す、 こういうお喋りは部屋の内でも外でも飽きることがないわ。 その人が、まだ暗い夜明け前に帰ると言って、「雪、なにの山に満てり」と吟唱したのは非常に風情があるものね。 女だけではそんな風に夜を明かすことはできないでしょう。 こうして風流な男が加わると、女だけでいるよりも面白くて、 男が帰った後まで、その風流な有り様などを話し合ったりするの。 雪にまつわる『枕草子』の一節です。 中盤から出てくる男の話は、実際に清少納言が経験したことなのか、あるいは理想像として書いたものなのか。 どっちとも取れるように訳しておいたつもりです。 さて、雪は古代の人の心も動かしていました。 前にもこのブログで紹介したことがある歌ですが、雪は吉兆ともされていました。 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 大伴家持の歌です。 雪見のために、雪に足跡を付けないようにするとか、 または今の「雪だるま」のような感覚で雪を大きな塊にする「雪まろばし」などという遊びもありました。 今回と同じ『枕草子』には、「雪がいつまで溶けずに残るか」という予想をして楽しんでいる描写もあります。 雪は現代人にとっても特別な感情をかき立てるものがあります。 もちろん、雪国の人にとっての雪と、そうでない地域の人にとっての雪とでは違いますが。 明日は本当に降るのかな? 【現文】 雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。 また雪のいと高う降り積もりたる夕暮より、端近う、同じ心なる人三人ばかり、火桶を中にすゑて物語などするほどに、 暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光、いと白う見えたるに、 火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも、言ひあはせたるこそをかしけれ。 宵もや過ぎぬらんと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、 あやしと見出だしたるに、時々かやうの折に、覚えなく見ゆる人なりけり。 「今日の雪を、いかにと思ひやりきこえながら、なでふ事にさはりてその所に暮らしつる」 など言ふ。 「今日来ん人を」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。 昼ありつる事どもなどうちはじめて、よろづの事を言ふ。 円座ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、 内にも外にもこの言ふことには飽かず覚ゆる。 あけぐれのほどに帰るとて、「雪なにの山に満てり」と誦じたるは、いとをかしきものなり。 女のかぎりしては、さもえ居明かさざらましを、 ただなるよりはをかしう、好きたるありさまなど、言ひあはせたり。

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雪のいと高うはあらで (訳)

雪 の いと 高 う 降り たる を 訳

先日(2016. 18)横浜でも雪が降りました。 初雪です。 まあ、自分が起きたときにはやんでたし、雪はほとんど溶けてましたけどね。 でも、また明日の夕方に降るとか? 「ひらけ!ポンキッキ」の歌、「いちばんロック」です。 【現代語訳】 雪がそんなに高くなく、うっすらと降り積もっているのはとっても風情があるわ。 また、雪が非常に高く積もっている夕暮れ時から、 縁側近くで、気の合う三人くらいの友だちと火鉢を囲んで話をしているうちに暗くなって、 でも室内には灯火もつけず、外は雪明かりがとても白く見えていて、 意味もなく火箸で灰をかき混ぜたりしながら、しみじみすることや面白いことなんかを話しているのが楽しいのよね。 宵も過ぎたかな、と思う時分に、沓の音が近づいてくるのが聞こえるので、 何だろうと不思議に思って見てみると、時々、このような時に思いがけずやってくる人だったりして。 「今日の雪をどう過ごしているだろうと思いを馳せながら、つまらないことに妨げられてどこそこで過ごしていました」 とか言うの。 山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む 〔山里は雪が降り積もって道もない。 そのような中、今日やって来る人を真心のある人だと思おう〕 なんていう歌を踏まえて言っているみたいね。 昼にあったことなどをはじめとして、色々なことを話してくれるの。 座布団を差し出しても、片足は外に垂らしたまま縁側に腰掛けていて、夜明けの鐘の音なども聞こえるまで話す、 こういうお喋りは部屋の内でも外でも飽きることがないわ。 その人が、まだ暗い夜明け前に帰ると言って、「雪、なにの山に満てり」と吟唱したのは非常に風情があるものね。 女だけではそんな風に夜を明かすことはできないでしょう。 こうして風流な男が加わると、女だけでいるよりも面白くて、 男が帰った後まで、その風流な有り様などを話し合ったりするの。 雪にまつわる『枕草子』の一節です。 中盤から出てくる男の話は、実際に清少納言が経験したことなのか、あるいは理想像として書いたものなのか。 どっちとも取れるように訳しておいたつもりです。 さて、雪は古代の人の心も動かしていました。 前にもこのブログで紹介したことがある歌ですが、雪は吉兆ともされていました。 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 大伴家持の歌です。 雪見のために、雪に足跡を付けないようにするとか、 または今の「雪だるま」のような感覚で雪を大きな塊にする「雪まろばし」などという遊びもありました。 今回と同じ『枕草子』には、「雪がいつまで溶けずに残るか」という予想をして楽しんでいる描写もあります。 雪は現代人にとっても特別な感情をかき立てるものがあります。 もちろん、雪国の人にとっての雪と、そうでない地域の人にとっての雪とでは違いますが。 明日は本当に降るのかな? 【現文】 雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。 また雪のいと高う降り積もりたる夕暮より、端近う、同じ心なる人三人ばかり、火桶を中にすゑて物語などするほどに、 暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光、いと白う見えたるに、 火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも、言ひあはせたるこそをかしけれ。 宵もや過ぎぬらんと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、 あやしと見出だしたるに、時々かやうの折に、覚えなく見ゆる人なりけり。 「今日の雪を、いかにと思ひやりきこえながら、なでふ事にさはりてその所に暮らしつる」 など言ふ。 「今日来ん人を」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。 昼ありつる事どもなどうちはじめて、よろづの事を言ふ。 円座ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、 内にも外にもこの言ふことには飽かず覚ゆる。 あけぐれのほどに帰るとて、「雪なにの山に満てり」と誦じたるは、いとをかしきものなり。 女のかぎりしては、さもえ居明かさざらましを、 ただなるよりはをかしう、好きたるありさまなど、言ひあはせたり。

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